<『真夜中コール』の続きです>



どたっ

鈍い音を立ててベッドから落ちた。
けれど、そんな程度の痛みなんて気にしていられないくらい私は混乱している。

だって、暁彦さんが来てるんだ。

"私"を

待ってる。


それだけで、1分1秒でも急がないといけない理由になる。

ケータイを充電器から外し、部屋を出て、真っ暗な廊下と階段を寝静まった家族が起きないように気をつけながらも走り降り、玄関に置きっぱなしになっていた鍵を握って、適当に近くにあった健康サンダルに足を突っ込んで扉を開いた。

肌寒い風に吹かれるのも気にとめず、視線の先を見ればあの人は車からわざわざ降りて私を見つめていた。

爆発しそうなくらいなんにも考えられないくせに変なところで冷静な私の頭は、現実から目を背けるように振り返り、持っていた鍵で家の扉をしっかり締める。その後、改めて夢のような現実と対面した。


「こ…こんばんは…」

「こんばんは」


止まらない胸の鼓動。
でも頭の片隅で、もしかして『こんばんは』って挨拶したの初めてかな、いつもおはようございますとかこんにちはばっかりだっ!て考えてちょっと嬉しくなっていたり。ああ、なんで私、こんなにおかしくなっちゃったんだろう。


「寒くはないかね」


心配そうな表情。
すぐにでも大丈夫です!と言おうと思ったのに、気づけば私はパジャマ姿。

なんだかすごく恥ずかしくって、口が開けなくなった。

「…すまない」

いつもはうるさいくらいの私が答えなかったからだろうか、暁彦さんは申し訳なさそうに謝る。

いけない。

このままでは家に戻れと言われかねない。
何してるんだ私、普段通りに……!


「大丈夫です!全然っ!これっぽっちも!私、暁彦さんに会えて幸せですから!」


「そうか」

口任せで飛び出した言葉に暁彦さんらしい素っ気ない返事が返ってきた。
けれど、その3文字が酷く優しく感じられたのは気のせいではないはずだ。だって、にこりと笑ったりはないけれど、暁彦さんの顔が安心したようだったから。


「だが君をこのままに寒空の元、野ざらしにする訳にはいかないな」


ばさり、

音と共に
肩から背中にかけて温もりが。

「…!え、あ…きひこさ」

「車に乗りたまえ」

数秒前まで暁彦さんの一部だったコートが、私の肩にかけられた。

「は、い」

夢でもこんなに幸せなことってない。

エスコートされるがままに私は車に乗り込んだ。
暁彦さんは私を殺す気だろうか。
殺す、とは違う。蒸発…に近い。

生きた心地がしない。




実は車には数回乗せてもらったことがある。
毎回ド緊張していて落ち着かない。なのに、今は逆にちょっとホッとしている私がいる。
いままで向かい合っていた暁彦さんが隣りになったからだ。
あ、別に向かい合うのが嫌ってのじゃなく、むしろ天国なんだけど…あの瞳に見つめられると思考が停止してしまうんだ…。


「どこか行きたいところはあるかね?」


ぶぉおん、と
車が嬉しそうな声をあげた。
暁彦さんはドライブ好きなのだ。夜のドライブを愛車も喜んでいるみたい。


「え、あ、あの…」

「…突然すぎたな」

ミラー越しの表情が曇る。また暁彦さんに謝らせる訳にはいかない。

「う、海!…に行ってみたい、です」

「海か」

「だめですか?」

「いや、構わない」

定番すぎただろうか。
けれど、私の頭では気の利いた場所が浮かばなかった。



そして車は走り出す。
見知った道なのに、車通りが極端に少ないからか初めて通る道のように不思議な気分だ。


流れる沈黙。夜に二人っきりでドライブだなんて大人のデートみたい。
そう思うと緊張してくる。

「…あっ暁彦さん!私、電話すごくうれしかったです!

…うれしかったんですけど、…どうして電話下さったんですか?」

暁彦さんが私に電話を…さらに呼び出してくれるだなんて。
こんな時間だというのも気になる。
だからストレートに聞いてみた。



「…………」



しかし言葉は返ってこない。
暁彦さんが私の話を無視するのは珍しくない。けれどそれはお仕事中の時の話で、左を向いて暁彦さんの顔色を伺うと、いつもと変わらない無表情をしているのにどことなく困ったような様子だった。


どうしよう。
何か別の話題を振った方がいいだろうか。

視線を下に向けると羽織ったままの黒いコートが視界に入った。
まるで、暁彦さんに包まれているようだ…。

「…君の顔が見たくなった」

小さな声が聞こえ、驚いて暁彦さんの顔を見る。

「え…」


顔が、見たくなった?

私の…?


「…………」

暁彦さんはまた黙ってしまった。見つめる先は暗い道路。

電灯とヘッドライト、そして月明かり。
導かれるように車はぐんぐん進んでいく。


それは、暁彦さんが私に……会いたくなった。ってこと…?


夜中に家を抜け出してドライブだなんて、悪い子みたいでちょっと罪悪感を感じていた。でも、そんなの全部吹き飛んだ。


「…わたしは…いつだって、暁彦さんに会いたい、です」


声が震えた。

膝の上で両手をギュッと握る。

「…ありがとう」


また、小さな声がした。



今日の暁彦さんはいつもの暁彦さんとちょっと違う。
私の顔を見たいと思ってくれたり、自分から車に乗せてくれたり。

とにかく、違う。




何かあったのだろうか。

聞いたら答えてくれるだろうか。


ぐるぐる考えていたら、車が止まった。

海だ。






「わぁ……」


波の音がするのに昼間の海とは全然違う。
引き込まれそうな闇色の風景。
恐ろしいのに何か惹かれる。


「待ちたまえ」

砂浜まで降りようとする私を暁彦さんの声が止めた。


「その格好で海へ入るつもりかね」

はっとしてまだ車の傍にいる暁彦さんの元まで小走りで戻る。


「…ごめんなさい」

寝間着でサンダル。しかも暁彦さんのコートを羽織って。

みっともない、よね。

見回して見ると辺りに人は全くいない。
こんな時間なのだから当たり前といえば当たり前なのだけど。

ちょっと嬉しくなって暁彦さんの左手を両手で包む。
温かい。

「えへへ」

何故か今日は許される気がした。
いつもはやっぱり学校の理事長だからどんなに大好きでも触れることはいけないことのような気がしていた。
誰かがダメだと言ったわけでもないのに。

「外は冷える、車に戻りなさい」

きっと手はすぐ振り払われるだろうと思っていた。
しかし、ごく自然に離れた暁彦さんの手のひらはわずかに肩を抱いてくれ、さらに私をきゅんとさせる。

本当に今日の暁彦さんはどうしたのだろう。









「暁彦さん」

車の中は暖房がついていて暖かい。
外にいたのはそんなに長い時間じゃなかったのに、身体は少し冷えていたみたいだ。
でも、もし私が今風邪をひいて熱を出したとしても、この体中が火照る感覚には勝てないだろうな。


「私、まだまだガキだし、頭も良くないから難しいことは分からないですけど…。暁彦さんの力になれることがあったらなんでもしたいです。愚痴だって聞きますし、か、簡単なお仕事なら手伝えると思います!だから、…何かあったら言ってくださいね。今日みたいに電話だって年中無休で受け付けますから!」


素直に言おうと思った。
私は全部、暁彦さんを想う気持ちを。
暁彦さんが話すことを好まないのなら、私はその分暁彦さんを理解する力をつけたい。





「…では一つ頼もうか」

「はい!なんでしょう」

こんなにすぐに頼み事だなんて!
私はわくわくして尋ねる。

「勉学に励みたまえ」

「…ぅえ!?」

が、返ってきたのはすごく大人らしい返答。
勉強か…私の苦手ジャンルだ。とっても。


「私は君の将来を楽しみにしているよ」


そう意地悪く笑った暁彦さん。

私の…将来?

「… あ ああの!それってどう意味でしょう!?期待しますよ?私期待しちゃいますよ」

将来って、…これからもってことだよね?生徒としてだけじゃなく…その後も?私が学院を卒業してからも暁彦さんは気にかけてくれるって意味で捉えていいの?

「好きにしたまえ」

「……はいっ」


幸せだ。

一人の生徒として以上に暁彦さんに見て貰えるなんて。


明日からはちゃんと勉強しよう。
暁彦さんに認めて貰えるように。



「さて、もう戻ろう。家に着いたら声をかける、少し眠りたまえ」

「…えっ!………せっかく暁彦さんといるのに眠るのなんてもったいなさすぎます!!!」

「君は授業中によく居眠りをするそうだが」

「…………」

否定できない。
確かにこんな時間に起きていたら、間違いなく明日の授業は睡眠学習だ。

「じゃ、じゃあ1つだけ我が儘聞いてください」

こそっと耳打ち。

車の中なんだから誰も聞いたりしないけど、ちょっと恥ずかしいから。

って、こうやって耳打ちしてること自体もなんだか照れるな。

「…そしたら私、いい子に寝れると思います」


なんとも言えない表情を見せる暁彦さん。
…お願い、聞いてくれるかな…?


暁彦さんは小さくため息を吐いて、口を開いた。
その顔は微笑むでもなく、嫌がるでもなく、私をしっかりと見据えた真面目なものだった。





「おやすみ、明希」




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