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||| エラン・ケレスと昔の事件

※8話時点での執筆



大きな音がした。それから、人の悲鳴。生まれて初めて感じる熱がお腹のあたりを渦巻く。どく、どく、と、まるでろうそくが揺らぐような速度で心臓が脈を打ち熱が増す。
「お嬢様、お嬢様!聞こえますか!?」
「連中が交渉に応じなきゃお前らもこうなるんだ、分かっただろ!?」
聞き覚えのある声とない声が耳の中にこだまする。何の話をしているんだろう、わたしにも教えてほしい。でも、聞きたいのに声が出ない。見慣れたはずの照明がいやに眩しくて、視界がちかちかと明滅する。
こんなにお腹が熱いのに、なぜか指先がとっても寒い。ああどうしよう、これじゃあお兄さまと手を繋げない。きっと嫌がられてしまう。
「このシャトルは俺たちが乗っ取った!生き残りたきゃデリングの野郎を引きずり出してこい!」
お兄さまと手が繋げなかったら、わたし、どこにもいけない――。



……本日、ベネリットグループフロント行きシャトルにて乗客13名が人質に取られる事件が発生しました。実行犯はアーシアンの男3名とみられており、警備隊によって無事鎮圧されました。この事件により乗客1名が重体、搬送先で失血による死亡が確認されました。犯人の身元は捜査中であり、詳細が分かり次第追って発表され――。

青白く光るモニターを前に、青年は静かに佇んでいた。停止した動画の中、唯一の被害者として報道されている少女の画像へと視線を落とし、その輪郭を指先でなぞる。画面の向こうの少女は声も上げず、表情も変えない。ナマエ・ケレスではなく、ペイル・テクノロジーズの令嬢として撮った写真は、生来持ち合わせた幼さを全て包み隠した微笑みだけを切り取っていた。

7年前と比較して、フロントの警備体制は大きく変わった。その転換点を聞けば、大半のものがナマエ・ケレス殺害事件を挙げるだろう。
A.S.115某日、大学病院の建設されたフロントとベネリットグループ本社を繋ぐシャトルで起きた星間軌道船強取事件。長い入院生活から退院した年端も行かぬ子供を襲った残忍な事件に多くの者は胸を痛め、我が身のためベネリットグループの警備体制に疑念を呈した。
対策が不十分だったのではないか。同行していた使用人がなぜ無事なのだ。病院に銃火器が持ち込まれるなどあってはならない。そもそも、当のペイル・テクノロジーズは何をしていたのだ。
多くの者が口々に不安を露わにし、当時大衆感情は大きく膨れ上がった。この感情の変容こそが、転換点と呼ばれる所以である。対立するもの、表立って非難できないもの、その立場は多岐にわたるが、死者を悼む言葉だけは一様だった。
結果、大衆感情が形を変える前にベネリットグループは警備体制の改革を終え、7年の時を経た現在では人々の記憶からナマエ・ケレス殺害事件の記憶は薄れつつある。

青年は光源を背に受け、机に腰を下ろす。暗く、空調も作動していない室内は窓の外に広がる宇宙のように冷たい。
対価を得るため、呪いを肩代わりする者たちが訪れる場所。立ち寄ったその部屋で過去の記録を眺める青年は、決して自身が腰かけることのない手術椅子を一瞥し、手元の端末へ視線を移した。
新着メールを告げる通知には、ニューゲンの名と共に短い呼び出しの一文が表示されている。

モニターは依然、煌々と少女の画像を映し出す。その背後には、警備員に取り押さえられたテロリスト達が連行される映像が表示されていた。
「……馬鹿馬鹿しい」
青年の口から言葉が漏れる。誰もいない部屋の中、それは静かに溶け消えた。


「――お兄さま!ここにいらっしゃったんですね」
青年はその声に顔を上げた。気付けば、死者によく似た顔をした少女が、廊下の光を背に受けて立っている。同じ色をした目が合うと、少女は動画にない笑みを浮かべた。
その小さな足が調整室へ踏み込むより、青年が立ち上がる方が早い。
「探した?」
少女へ視線を向けながら、青年は手元でモニターの電源を落とす。他の光源を持たない部屋は、瞬時に薄闇へと消えた。突然闇へ紛れる兄に少し驚いた顔をすると、少女は首を小さく横に振る。
「一本道だったので、すぐ見つかりました」
「そ。じゃあ行こうか」
廊下へ出ると、青年は少女の頬へと手を伸ばす。耳の後ろを撫でるように手を滑らせ、親指で目元をなぞれば少女はくつくつと喉を鳴らして嬉しそうに目を細める。くすぐったいです、という言葉に返事をせず手を離せば青年はそのまま足を進めた。

青年の後ろを、少し遅れて少女が進む。固い廊下に二人分の靴音がこだまする中、少女はわずかに俯いた。その視線は手袋のない青年の左手に引き付けられ、何度逸らしてもそこへ戻る。
置いていかれないよう小走りで進みながら、たっぷりの時間で躊躇いを振り切ると少女は口を開いた。
「お、お兄さま!」
少しうわずった声に、青年が初めて振り返る。少女は力を籠めるように胸の前で両手を握りしめた。
「……お兄さま、その、手を繋いでもいいですか?」
等身大の幼い子供が、緊張で頬を赤らめ、不安に眉を下げ恐る恐る顔を上げる。足を止めた青年に、少女は握りしめた手をほどき右手を差し出した。
青年の視線は少女の手を撫でる。小さな爪、白い指先、手首に次いで腕を滑り、緊張しどこか怯えた様子の顔を一瞥した。
足音を失い静まり返った廊下の中、息を吸う。
「いま両手塞がってるんだ。一人で歩けるだろう?」
一言だけ告げると、青年は再び前を向く。血の気の引いた少女の頬など見向きもせず、そのまま歩き出した。

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