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||| ベリアルとルシファーと珈琲

(現パロ)


「珈琲ってどんな味がするんですか?」
芳ばしい香りが肺を満たし、薄明かりとゆったりとしたジャズが店内を彩る。知る人ぞ知る名店と名高い喫茶店にて、その雰囲気には不釣り合いなほど幼い少女はストローから口を離すとそう呟いた。見た目通り幼い声だが、不思議と店内において違和感を感じさせない。
そしてその眼前に座る赤い瞳の青年は、くつくつと喉を鳴らすように笑いながら自身のコーヒーをストローでかき混ぜた。光が差し込み黒い液体はキラキラと輝く。氷が崩れグラスにあたり、カランと甲高い音が周囲を満たした。こちらは深く、蕩けるような声をしている。
「興味があるのなら飲んでみるかい?」
「飲みたいわけじゃありません、味の感想だけ聞きたいんです」
「欲張りだな、そういうのは実によくない。何事も経験は大切だ、いつもファーさんが言ってるだろう」
「だってコーヒーは苦いでしょう」
「なんだ知ってるじゃないか」
言葉に詰まって、少女ナマエは自身のストローへと口をつける。不透明な薄茶色の飲み物は吸い込まれ、上に飾られたクリームがまた一歩その形を失っていく。砂糖の塊、アイスココアを口にしては満足げに頬を緩めるナマエへ青年ベリアルはまたくつりと喉を鳴らした。
今日の彼は機嫌がいい気がする――笑みを絶やさないベリアルを眺め、ナマエは頬杖をついて考える。
窓の外に広がる炎天下を無視して、二人はお互いの顔を見つめあっていた。そういえば今日は今年の最高気温を更新するんだったか、待ち人は大丈夫だろうか。お互いそんなことを頭の片隅に置きながら。
「苦いものはね、口にすると怖くなるの」
「ほう?」
「苦くて頭がぎゅうってなる。コーヒーは眠気が覚めるなんてよく言うけれど、眠らずに夢へ行けなかったら人はどこに行くの?」
「なるほど、子供の感性だ。おっと、そんなに睨むなよ」
「意外と真剣な話をしてます」
「だろうな。付き合おう」
切り替えるようにお互いグラスへ手を伸ばす。冷たい液体を喉の奥へと送り込み、冷房の効いた空気もろとも飲み込んだ。
店内に流れる音楽はフェードアウトし、艶やかなピアノの残響を耳に残して次の曲を流す準備を始める。
どう説明したものか。そう頭を悩ませる中、遠くで鐘の音が聞こえた。これは入店時に聞いたものと同じ。わずかに人の声もする、客が来たのだろう。
「先日、図書館でコーヒーに関する伝承を読みました。山羊飼いと赤い実の話」
「起源か、カルディの説だな。赤い実を食べて興奮する山羊を不審に思ったカルディが修道僧に相談し、やがて彼らはその実が強い眠気覚ましの効果を持つものだと知る」
「覚醒薬として利用されたという記述もありました」
「ほう?それは初耳だが」
「――それは僧侶が修業の際に意識を保つという意味で使われた言葉だ、現代における覚醒剤とは意味が違う」
低い音が耳を揺らした。疲れた人の掠れた声だ、聞きなれたそれと共に荷物を投げ捨てる乱雑な音もある。
予想外の方向からかけられた声にナマエは目を丸くし、そちらへ顔を向けた。美しい人が立っている。
青い瞳と白い髪を持つ青年は、二人掛けの柔らかいソファへと躊躇うことなく腰かけ我が物顔で腕を組んだ。綺麗な所作。荷物を押し付けられたベリアルは、当然のことのように空いた場所へそれをどける。
二人が到着を待っていた人物、ルシファーは店内の冷たい空気を大きく吸い込み額へと手を当て息を吐いた。その肺には外の熱せられた空気が未だ残っているのだろう。
「今日はすっごく遅刻ですね」
「道が混雑したおかげでバスが遅延した。それで?話の続きは」
「ええと……カルディの話を読んでコーヒーが怖くなったんです」
「その記述は勘違いらしいが、それでも怖いのか?」
ルシファーの分のコーヒーを注文し終えたベリアルが話へと合流する。
常日頃から笑みを絶やさず上手な話術で周囲によく溶け込む人物だが、それでも。それでもほんとうに、今日はこの人の機嫌がいい。隣に掛けるルシファーもそれを感じ取ったのか、視線を真っ直ぐにベリアルへ向けていた。
「動物すら夢に行けなくなる実です、怖くないはずない」
「夢は救済か」
「夢というよりは、眠りが。眠れなくなるのがいやなの、でもその味は知りたい」
「禁断の果実を食べてしまえば、恐ろしい未知の世界が見えることを知っている。けれどその真っ赤な皮の内側にある、柔らかい果肉を味わってみたいと」
「そう、それ!」
ぱちんと両手を叩きナマエは頷いた。なるほどどうして的確な発言だ。店の奥から漂う甘い香りがその言葉を誘発したのか、ベリアルが「そういえば今日のケーキはリンゴのタルトだったか」と独り言つ。
禁断の果実という神話的な例に心当たりがあるのか、僅かに眉を釣り上げたルシファーは組んだ腕を崩し顎へ指を添えた。
「豆というのは二つの世界の回路を開閉し繋ぐもの、神話の上では仲介役として機能する。カルディの一説は神話ではないが、コーヒーの実を発見した山羊飼いのカルディは山羊と僧侶の間……動物と人の間を仲介し、その存在を人へ伝えた」
ルシファーの前に注文したアイスコーヒーが置かれる。一度言葉を止め、きつく冷やされた液体を口にする。豆といえば、この店のコーヒーは店主のこだわりが強くこの辺りでは評判だったとナマエは頭の片隅で思い出した。
「お前の感性に基づいて話をすると、お前の回路は平時夢と現が開いた状態にある。しかしコーヒーという豆が介入することでその回路が強制的に閉じられる、救済へ至る眠りの回路が閉じることを本能が忌避しているというわけだ」
「わああ、なるほど」
「夢と現の回路ねえ……」
「あくまでその感性に基づいた話だ。実際は子供が苦いものを拒絶しているだけ、カフェインの作用にも科学的に解明された原理がある」
「むむむ」

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