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||| 七種茨

メアリーの部屋は比較的有名な思考実験だ。
とある科学者メアリーは白黒の部屋で生まれ育ち、一度として色というものを見たことがない。
けれど、彼女は視覚の神経生理学について世界一線レベルの専門知識を持っている。光の特性、眼球の構造、網膜の仕組み、視神経や視覚野のつながり、どういう時に人が「赤い」という言葉を使うのか、「青い」という言葉を使うのか。彼女は視覚に関する物理的事実を、すべて知っている。
そんな彼女が、白黒の世界から解き放たれた時、一体何を感じ何を得るのか。何か新しい事を学ぶのだろうか?
彼女に関する詳細資料を見て真っ先に、随分昔に見た本の内容を思い出したのだ。



──秀越学園には開かずの間がある。時折その中から楽器の音が聞こえるなどと言った話は、創立以来そう時間の立っていない我が校で早くも七不思議として根付いていた。
……優れたアイドルを育成する機関に所属する者が、浮かれた噂話に踊らされるのは如何なものかと思うのだが。しかしそれも、学園内でも特別視されている我々の耳に入る程度には知名度のある話と化していた。時折子供の幽霊を見ただの、女性の泣き声が聞こえるだのといった尾鰭のついた話も届く程度には。

……だから正直、上層部に呼び出しを食らった際には半信半疑であったのだ。子供の世話をしろ、だなんて。
はあ、お子様の世話でしたら優秀なベビーシッターを探しますが。それとも家庭教師の方が丁度いい年齢でしょうか?お年は幾つになるでしょう。
そんな言葉はギリギリのところで飲み込んだとも。何かしら理由をつけて学生に世話をさせ自身の懐を温めるようなクズも世の中には腐るほどいる、今回もその一つか?とは思ったのだ。
けれど話はそれ以前の問題だった。語られた言葉と手渡された資料に記載されていた、理解し難い言葉の数々。
要約すると、以前Edenに数々の楽曲を提供した作曲家を学園内で監禁してるからお前が世話をしろ。最近やる気がないのか曲を作らないから、さっさと新曲を作らせろ。ただしそいつは公的には死亡扱いとなっているから、決して外には出すな。大事にはするな。
──いや、馬鹿じゃないのか?





死体と見紛う程の、太陽を知らない白い肌。手入れされているのか怪しい跳ね放題の長い髪。そして、この世界の美点も汚点も何も知らないただ青いだけの眼。
「だあれ?」
警戒心のかけらもない声色で問いかける。ああ、ここが戦場だったら自分がこの部屋に入ってその言葉が出るまでの時間で、この女は既に50回は殺されていただろう。
けれどここは戦場でもない。この子供は敵でもない。むしろ、自分がこれから守るべき護衛対象だ。上層部はなんて面倒な仕事を押し付けてくれたのか。

「やあやあ、お初にお目にかかります!自分は本日より貴方のマネージャーのようなものを務めることと相成りました、七種茨と申します。漢字はご存知でしょうか?七種は七つの種と書いてさえぐさと読みます、愉快でしょう!」
「……」

……ぽかんと口を開け、青色の目をまっすぐ此方へと向けたまま。なんと間抜けな顔だろう。
しかしよもや反応がないとは。子供には理解出来なかったか?もう少し何か違った対策を取るべきだったか。けれど資料には特別子供扱いをすると拗ねる、などといった如何にも子供らしい様子が注釈として記載されていた筈だ。
ならば第一印象は普段通りの物を与え、大人としての関係を築いた方が良いだろう。所詮はビジネスパートナー、たとえどれほど幼かろうとその一点に変わりはない。所詮この子供は道具だ。

「えー、もう少し分かりやすく説明をしますね。今日から"先生"に変わって自分が貴方のお仕事を見る事になりました。あ、今まで通り先生の方がよかったですか?もしそうなら話は通しておきま──」
「──おともだち?」

ぞわ、と鳥肌の立つ言葉を耳にする。なんだそれは、よもや自分の事をそう認識したと?
何をどう思って友達などという単語を口にしたのだろう。いや、それを考えるのは後でいい。今必要なのは言葉だ。

「違いますよ、自分は先生の代わりです」
「せんせいは来ないの?」
「ええ、皆さん仕事がお忙しいようで」
「お仕事ってなに?」
「貴方の作る音楽を世に広める事ですね」
「……たくさん音楽作ったら、せんせい帰ってこない?」
「あー……まあ、そうですね。貴方が頑張れば頑張る程その分彼らも忙しくなります」

言い方を見るに、彼女も連中の事を快くは思っていなかったのだろう。どんな理由で殺されたのかは知らないが、外出を一切禁じられている時点でヘイトは溜まるに決まっている。ましてや子供、資料には7歳と書かれていたはずだ。自分や閣下など周辺は例外として、一般的な七歳ならばまだ遊びたい盛りの年頃だろう。……いや、そう考えれば彼女も一般的な人間ではないのか。
「せんせいが、こない……!」
どこか力のこもった声色。そんなに嬉しいか、嬉しいだろうな。どうせ連中が来なければ外に出してもらえるとでも思ったのだろう。自身が世間的には死んでいる事など知りもしないのだから。
ここ最近連中が来ない理由も、あんたが曲を書かないからですよ。なんて言ったらどんな反応をするのか。仕事をサボるようになれば奴らも新たな対策を講じるだろう。そうすれば必然的に世話を任された自分の首も閉まるに違いない。

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