アイリス
復興目覚ましいハイラル城下町はいつもの賑わい様、特に市場が忙しない
買い物袋の重みを抱え、夕食の憩いの時を思って、隣を歩く黒い彼の横顔を見上げた
「今日は野菜が安売りでしたから、何かデザート買いましょうか」
「梨が食べたい」
「私は桃が良いです」
「間を取って林檎か」
「あ、林檎もいいですね」
テンポの良い会話に、嬉しくなって一人にこにこしている間に、通りすぎそうになった果物屋さんの前に足を止めた
「どの林檎が良いですかね」
「この艶が良いやつがいいだろう」
「あ、こっちの赤いのもなかなかですよ」
「名前」
「はい?」
ちぅ、
「んーー――!!!」
市場のただ中、果物屋さんの店先で何の前触れも無しにされた口付け
唇の隙間を抉る様に吸い付く彼の柔らかい唇が、離れ、角度を変えてもう一度、と近付いてくるそれに掌を押し付けてなんとか回避した
「…なっ、な、な」
「何だこの手は」
「何してるんですか、こ、…、だっ、…ひ、人前で!」
「したくなっただけだ」
構ってくれないのならば仕方ない、と言うようにさっさと諦めた彼は、さっさとフルーツの品定めに戻ってしまった
本当に、何でもないことのように、ただの会話の一端のようにされたキスだけど、そう思うのは本人ばかりで、私は恥ずかしいし、通りすがりの町人も、目の前の店主さんも、好奇やら冷やかしやら軽蔑の視線をはっきりと突き刺してくる
私はいたたまれなくなって、彼の手を引いて足早にその通りを離れた
昼下がりの賑わう市場に出来上がった小さい野次馬を掻き分けて
結局林檎は買えなかった
「何か怒っているのか、名前」
「あ、あの…人前であんなこと、私は恥ずかしいです」
「怒っていないのか」
「……お、」
怒ってないです
消え入るように言った
なんてことを言わせるんだろう
だって、恥ずかしかったけど、少し嬉しかったのは事実で
でもこんなこと言ったら調子に乗っちゃうのかな、彼は本当になんと言うか、こういう世間の感覚とずれているから
なんて少し後悔していたら、ぐい、と彼の腕に引かれ、闇雲に前を歩いていた私は小さな装飾品店の出店につれていかれる
「あ、の、ダークさん?」
「この髪留めを買いたい」
「え、髪留め?」
店主さんが、ダークさんの言葉を聞いてさっさと、そのルビー色の装飾がなされた、結構上等そうな髪留めを包みに入れ始めた
そんなお金ないかもしれないのに、と断りの声を挟もうとしたら、ダークさんが懐から銀ルピーを取り出していた、な、なんですかそれ
「ほら」
「え、…え?私に?」
「俺がつけてどうする」
「ダークさん、美人だから似合うかな…て、あの、冗談ですから、睨まないで」
あげるから、機嫌を直せ、だなんて言われた
機嫌が悪かったわけではないけれど、せっかくの厚意を無駄にはできないから、ありがたくいただこう
なんて思いながら、凄く嬉しくて口元はにやにやしてしまって仕方がないのだけど
別に自慢できる程、綺麗な髪じゃない
髪を纏めて捻り、上にあげる、その工程の間でもからまって度々指に引っ掛かる程だ
俯き、ぱちん、と髪留めをして、少々照れ臭くなりながら、彼の方へ向き直る
「ど、どうですか、ね」
「ああ」
「ああ、って…変になってませんか」
徐に、彼がとん、と近づいたかと思えば、するり、腰に手が回される、い、嫌な予感が
ちうぅー――
「ひぃぃぃぃ!!」
今度は、よく見えるようになった首筋を、す、吸われてしまった
「似合ってる」
そうしてポソ、っと耳に吹き込まれ、くらくらくら、目眩がした
そして再び突き刺さる人々の視線の槍
今度は固まって動けなくなった私を、ダークさんが引っ張ってそこから逃げた
「って、あ、何処に、行くんですか、そっち、路地裏…」
「人目につかなければいいんだろう?」
「!!」
何をするかなんて聞けませんでした
だから、何をしたかなんて聞かないでください
もうダークさんとお買い物は行きません
11.01.17.(四-再)