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その日は遠く




仕立て屋の敷居を跨ぐ男が一人。カウンターで頬杖をついてうとうとしていた名前は薄ら目を開き、一直線にこちらへ向かってくる男を見て目を見張った。
自分が寝惚けているのではないかと強めに目を擦るも、その男は消えず少しばかり難しい顔をしてその場に突っ立っていた。用件を言い辛そうにしているので、どうやらこちらから口を開くしかなさそうだと悟った名前は驚きを隠せぬままの瞳で無駄に背の高い男を見上げた。


「あんたが仕立て屋にくるなんてどういう風の吹き回しだ?いつも軍服で済ませてるっていうのに……」

「悪ィが俺のじゃねぇんだ。子供服ってどこにあるよ?」

「…………イクサ、お前もついに子持ちか」

「ばっ、違ぇっつのアホか!」


冗談を本気にして否定する男イクサは、その様子を見てくすくす笑う彼女に睨みを利かせるも、大して気にならないらしく名前は笑いを隠せないまま店員としての業務に戻ることにした。


「本当俺のガキじゃねぇからな、職務の一環だ」

「はいはい分かった分かった、私はイクサがそんな節操無い奴だとは思ってないよ」


笑いは止めないながら、彼女の手もとでは注文を取るためのメモが用意されペンをインクに浸している。
会話しながら色んな事を同時進行できるのは自分にない才能だと、少し感心しながらイクサもまた腰を曲げカウンターに頬杖をついて、作業というほどのものでもない動きを眺めた。

吐息を感じるほどに近づかれたことに動揺し名前は一瞬手を止めるが、表情には出さず震えそうになる唇を噛み締め耐える。
くすぐったい感情すらも抑えて、意識を業務用に切り替えるべく目を閉じながらなるべく事務的な口調になるように徹した。



「で、既存のものを買うのかそれとも仕立てるのか、どちらにする?」

「んー……じゃああるもの見せてくれよ、サイズは適当でいいから」


子供の保護者にしては無責任すぎる発言に苦笑して、名前はそれを揶揄することも考えたが今口を開けば碌な言葉が出ないと思い、早急に彼を遠ざけるため子供服のある方向を指差す。
だが何故かイクサは動こうとはせず、あろうことか黙したまま名前の顔を凝視していた。心臓が高鳴り上ずった声が出そうになるが、我慢強いことを自負している名前は表面だけで冷静を装った。



「人の顔をじろじろ見るな……それとも何か、私の顔がそんなに面白いか?ん?」


「いや別にそういうわけじゃねぇ、こうやって名前と話すのも久し振りだなーと思ってさ」


悪びれもせず笑顔を浮かべるイクサの髪の色は、光の世界の空に黄昏時が来る直前に染まる色だと聞いている。影の一族を統べる姫の髪の色とよく似ているが、名前はそれを羨ましく思ったことはない。鏡を見るたび眩しさに目を細めるのはごめんだからだ。
小さくため息をついた名前が呆れた表情を見せたことにイクサは首を傾げる。



「暫く会ってなかったのは、お前が、ザントと一緒に、馬鹿なことをやらかしたから、だろう?」



わざわざ区切りをつけはっきりと告げられればイクサの笑顔が凍り付き、目に見て分かるほど落胆した。万華鏡のようにころころと変わる表情が面白いと初めて思ったのは果たしていつのことだろうか。物心ついたときには既に彼が近くにいたので、もはやそれは忘却の彼方だった。

普段より幾分か低くなった肩に軽く手を置き、慰めの意を表せばイクサは顔を上げる。



「まぁ、姫君が優しい方でよかったじゃないか。あそこまでの愚行にお咎めなしだなんて甘い気もするけど」

「愚行っていうなよ……その代り今は子守押し付けられてるけどな」



言いながら、イクサは先程指示された子供服の売り場へと向かう。さほど広くない店内はどこにいても会話ができるので便利だ。そして見て回る彼が死角に入った際、高鳴る心臓をなだめることが出来るのに関しても割と便利だと名前は思う。
暫くして彼は宣言通り、サイズが統一されていない数枚の子供服を持って来てオレンジのルピーを投げ渡した。


「何かもう面倒くさいから釣りはいらねぇぜ」

「前置きが無かったら格好もついたのにな。何ならその金で、イクサ、あんたの服でも仕立ててやろうか?」


冗談半分でそうは言ったものの、イクサが衣類に対して無関心であることくらい名前はわかっていた。なのでてっきり軽い調子で断られると予想していた彼女は、イクサが子供のように顔を輝かせていることに気付かなかった。
カウンターから身を乗り出し、服を畳んで袋に入れていた名前に詰め寄るイクサの様子は子供そのもの。


「本当か、俺に作ってくれるのか!」

「え……あ、まぁ…嫌じゃないなら、いくらでも」

「嫌なわけあるかって、俺一回でいいから名前の仕立てた服着てみたかったんだよ!」


特別な意味はないと分かっていながらもどこかで期待してしまう自分が恥ずかしいく感じられ、その言葉について追及する勇気は名前にはなかった。
期待は裏切られても悲しまないよう胸の内だけに留めておくことにしたが、服の入った袋を渡す際に触れあった手が熱を持ってしまいどうも落ち着かない。触発されて顔も熱くなり、赤らんだ顔を見られるくらいなら、とカウンター内部を片付けるふりをしてイクサに背を向けた。



「そ、それじゃあ今度来る時までには終わらせておく、だから――」

「ああ、また来るぜ。完成したらそれ着て、一緒に遊びに行こうか」



まぁ休みが取れたらの話だけど、と続けられるのさえも気にならなくなり、全てが遠くの世界の出来事に思えた。カラン、とベルが鳴りイクサが完全に店を後にしたのを確認し、名前はその場に座り込んだ。
熱を持った顔は一向に冷める気配がなく、影の一族特有の冷たい手で冷やそうとするもそれすら熱を宿しているのであまり意味がない。両手で頬を挟んだままに、あの男の笑顔の残像を瞼の裏で思い浮かべてしまえば、また熱が冷めるのが遅くなってしまう。



何故彼はあの笑顔で私の全てをかっさらって行ってしまうのか、と

悔しさと歯がゆさでやりきれない名前はそこが床であることも気にせずに寝転んだ







彼が私の想いに気付いてくれる







「ちょい忘れ物、ってお前何してんだ?」

「気にしないでくれたまえ…」




fin.
09.0312.円様へ
  






翡翠様のお宅「空渡り」さんの看板息子(違)、イクサくんの夢をリクエストさせていただき、かっさらって参りましたよぉぉおお!!オリキャラさんの夢をリクエストするという反則技をしかけました円はかなりの勇者ですか(聞くな)
このほのぼの片思いのシチュエーションのなんと素敵なことか!ニヤケが止まりませんこれ!天然たらしイクサくんは円の心かっさらってしまったようです!!さて…服を仕立てるのに色々と測らせてもらいまs(逝)やばい、こんなに悶えるとは思わなかった、本当に計算外…イクサくん指数の上昇率が異常です(謎)

翡翠様ありがとうございました!そしてこの度は、空渡りさん3000hit、おめでとうございます!!




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