その贈物は

遅刻気味、シャフクのクリスマスネタ。




Cast:
みそ様宅 フックさん
モブのお兄さんA
シャトー







偶然見かけたその石は、昼でも暗いテントの下、ランプの灯りを受けて紅く輝いていた。
普段気にも留めない市場の一角。宝石を商う露店の一軒に足を踏み入れた時点で、何かの力に吸い寄せられていたのかもしれない。
「お目が高いね、猫の兄さん」
奥の暗がりから聞こえてきた声に、シャトーはぴくりと耳を動かした。次いで、原石へと落としていた視線を、ゆっくりと声の方へと向ける。
「そいつぁね、ちょいとばかし変わった石なんだ。興味があるってんなら、見せてやっても構わないがねぇ」
どうする?と、声は楽しげに問いかけてくる。黒い箱と布に収まった、掌に収まる大きさの赤い石にもう一度視線を送りながら、シャトーは顎に手を当てた。
「……ふむ。そこまで言われてしまっては、興味がないとは言えませんね」
極めて普段通りに答えたつもりだったが、尻尾がぱたり、と一度大きく揺れる。
「そう来なくちゃなあ。よし、兄さん、今のうちにその石をよぉく眺めておくんだな」
ぱんと一つ手を打ち、商人が立ち上がった。大股で近寄ると、黒の箱をひょいと持ち上げ、黒い布で石を包み込むようにする。その様子を、緑色の瞳はじっと眺めていた。
「さあさ、お立合い。さて兄さん、石の色は何色だった?」
「……ふむ?…………紫に近い紅色と、私の目には映りましたが」
相手の真意を測るべく目を覗き込もうとしても、厚いテントの幌と目深な帽子がそれを妨げる。数秒の間の後、口火を切ったのは相手の方だった。
「さぁて?」
軽口を叩きながら、商人の男が幕を押し上げて外へと出ていく。シャトーもそれを追うように、太陽の下へと移動した。晩秋の風が、細い路地を通り抜けた。
「答え合わせといきましょうぜ、兄さん」
はらり、と黒い布が捲られる。そこには、淡い緑色の石が全く同じ位置取りで収まっていた。シャトーの瞳が一度大きく見開かれ、次いですっと細められる。尻尾の動揺までは、咄嗟には隠しきれなかったが。
「…………ふむ。確かに面白いものを見ることができましたが、……私は、手品を見に来た訳ではありませんよ」
ゆっくりと、自分を落ち着かせるように相手に話しかける。返答は、ちっちっち、という舌打ちと人差し指の揺れ動きだった。
「手品なんか使っちゃねぇぜ。これがこの石のおもしれぇ所だ。……太陽とランプの光とで、緑と赤。それぞれ色が変わるんだ」
ふいに声を潜め、商人がくるりと踵を返す。ランプが妖しく光る暗いテントの下に入った瞬間、石の色が緑から赤になるのが見えた。
「……さすれば、魔法の石でしょうか」
「さあ、どうだかね。俺にゃあ難しいことはわかんねぇよ。ただわかるのは、こいつぁ滅多に手に入らない、珍しい代物だってことだ」
「…………ふむ」
露店の入り口に立ち止まったまま、シャトーはふと考えを回した。すぐに思い浮かんだのは、愛しい女性の姿。金と赤が鮮やかな、太陽の似合う女性。
「ははぁん、贈り物ってか。そろそろそんな季節だもんな。いや、やっぱりお目が高い」
商人の軽口には、耳を軽く傾けるのみで答える。聞き流そうとしていた言葉の流れの中で、ふとした単語に耳がぴんと反応した。
「―――何にでも加工するぜ。指輪でも髪飾りでもな」
ゆるりと視線を上げると、相変わらず目許の隠れた商人が、口許ににぃと笑みを浮かべているのが見えた。
「……さて、どうする?兄さん」
その言葉に、シャトーはもう一度、ぐるりと思考を回した。



「あ?お前、今日も仕事かよ。ここんとこずっとじゃねぇか?」
「ああ、すまない。今日は遅くなるだろうから、食事もこちらで適当に済ませる」
分厚いビロードの本を捲り、昼と夜の演奏会に適した題材を探し出しながら、シャトーは半ば機械的な返事を返した。
はらりと捲ったページには、挟み込まれた数枚の紙。それぞれに、数日間の予定がびっしりと書き込まれていた。御呼ばれの演奏が、ここ数週間の予定を彩っている。
―――スケジューリングなど、今までしたこともなかったな。
ほんの数秒それに思いを馳せながらも、普段よりも更に寝不足の頭が、考えることを妨害する。次の瞬間には、今日予定されている二度の公演へと意識が移る。
「……無理すんなよ?」
「…………ああ。気を付ける」
ふと声に振り返ると、こちらを真っ直ぐに見つめるフックの瞳と目があった。その紅色の中に、小さく心配の色が垣間見える。それに笑って見せながら、シャトーは長い厚手の肩掛けマントを羽織った。
「行ってくる」
玄関を出ると、冷たい寒風が吹きつけてきた。階段を下りながら、遠くに広がる街並みの、
盛り上がった雰囲気へと思いを馳せる。
すれ違う顔見知りに会釈を返しながら、やや速足に街を通り抜ける。楽しげに街を歩く恋人たちの姿にちらりと視線を送りながら、それでも足を止めることはない。
ふるりと頭を振り、帽子をしっかりと被りなおすと、 シャトーは 今日最初の会場へと足を速めた。



ずしり、と重い袋が、薄暗い店内のカウンターへと置かれる。
小気味よい音を響かせながら商人が金貨を数える間、猫耳の男は肩掛けマントをきつく体に引き寄せて俯いたまま、微動だにしなかった。
「確かに。―――はいよ、これが出来上がったもんだ。確認してくれ」
黒い箱に収まった品が、目の前に出される。数度目を瞬かせると穏やかに細め、シャトーはこくりと頷いた。
「…………ええ、素晴らしい出来栄えです。ありがとうございます」
わずかに掠れの混じった声が、小さく響く。
「よし、商談成立だな」
赤いリボンで簡単にラッピングされた箱が、掌の上に乗せられる。シャトーはそれを、ベストのポケットへと大切そうにしまった。
もう一度感謝の言葉を述べ、軽く頭を下げる。仲良くやれよ、という商人の声を背に幕を押し上げて外に出ると、空には一番星が輝き始めていた。
日が暮れてなお一層賑やかな街を縦断するように、人の波を縫い進む。
街外れのアパートへたどり着いたその時、森からの冷たい風が火照った頬を撫でて行った。
「―――ただいま」
部屋の暖かさと料理の香り。満足感、幸福感に、ふと気が緩んだらしい。どさりと珍しく音を立ててソファに沈むと、咳を一つ。
「猫坊?……どうした?」
「……ああ、……」
背後から聞こえた声に、大丈夫だ、と反射的に答えようとした口を、ふと噤む。視線を上げ振り向くと、フックの射抜くような紅の瞳と視線が合った。嘘も言い逃れもきかないだろう。ゆっくりと言葉を探しながら、再び口を開く。
「……少しだけ、疲れただけだ。今日以降は、何も予定を組んでいないから、家でゆっくり……」
言い終える間もなく、フックの左手が伸びてきた。柔らかな掌が、額に添えられる。
「……家でゆっくり、じゃねぇよ。……何だよ、この熱」
表情を険しくしながら、フックが厳しい声で告げる。
「今すぐ寝ろ。立てるか」
「…………ああ」
口ではそう答えたものの、体がうまく動かない。どうやって家までたどり着いたのか、不思議な程だ。
「……無理すんな」
短い声が耳に届いた瞬間、ふわりと体が浮いた。横抱きに抱えられたということに、遅れて気づく。
「ジェンナ、……降ろしてくれ」
身じろぎして何とか抜け出そうとしても、弱った体では難しい。暴れるんじゃねぇ、と諭され、シャトーは大人しく動きを止めた。
数日前に整えられたままのひんやりとしたベッドに、ゆっくりと体が降ろされる。てきぱきと水やタオルを運んでくるフックの姿を、ぼんやりと見上げていた。
「……消化の良いもん作ってくるから、大人しくしてろ。良いな」
フックの手が、ふわりと頭を一撫でした。振り返り際にさらりと流れた、彼女の長い金髪を瞳に納める。
扉が閉まったのを確認して、シャトーはベストから黒の箱を取り出した。無理やりに体を起こすと、手を伸ばし、机の上、筆立ての後ろへとそれを隠す。
安堵交じりの深い息を一つ吐くと、もう一度体を横たえ、ゆっくりと瞼を下ろした。



シャトーが一人で起き上がれるまでに体力を持ち直したのは、それから数日が経過した頃だった。
水を飲みに部屋を出ると、ふわりと香草の香りが鼻に届いた。明るい予感に、尻尾がぱたりぱたりと正直に反応し始める。
ひょこりと台所を覗き込み、まな板に向かう長身の人影を認める。
「お、起きてきたのか。どうだ、調子は?」
「……ふむ、大分楽になった。世話をかけて済まなかった。…………兎肉か?」
「ああ。丸焼きにしようと思ってな。……けど、明日までに治らなけりゃ、俺が一人で食うからな」
フックの言葉に小さく苦笑すると、ならば早く治さないとな、と呟く。
入り口の壁に軽く寄りかかったまま、愛しい相手の横顔を見つめる。真っ直ぐに手元へと注がれる紅い瞳と、たっぷりとした金の髪。
暫くの後、不思議そうな視線が返ってきた。
「何、突っ立ってるんだ?……何か顔についているか?」
「……いや?何でもない」
表情を緩めながら、シャトーは言葉を返した。紅と深緑の視線が交差する。
あの小さなプレゼントボックスは、まだ机の上に隠したままだ。
明日の夜、食事が終わった後にでも渡そうか。


赤と緑に変化する石をはめ込んだ、大きめの金のバレッタ。
それが収まった箱を渡せば、彼女はどんな反応をするのだろう。





石は、アレキサンドライトをイメージしております。
黒い箱は、正方形とも掌に収まるサイズとも書いていませんものね。
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