きおくのなかのそのひとは

シャトーが切り取られる前のお話。


『長靴を履いた猫』のお話をモチーフに、独自解釈や展開をしています。



Cast:
シャトー







―――ごしゅじんさま わたしは
―――やりとげることができた、でしょうか




「ありがとうな」
柔らかい主人の声が、頭上高くから聞こえてくる。
「お前のおかげで、僕はこんなに素敵なお城を手に入れることができた。侯爵様なんて、空のもっと上にいる方だと思っていたよ。……まさか、僕がなれるなんて」
小奇麗な、しかし着慣れなさそうな服に身を包んだ青年は、お城の広間の床に膝をつく。ちいさな『猫』の細い首が痛くならないようにと、視線をそろえようとしてくれる。
目の前の青年の表情や衣服、振る舞いに、粉ひきの三男だったと思わせるようなものは、もはや片鱗もない。柔軟性が高くて、賢くて、何よりも心根の優しい方だ。こんな小さな猫一匹にも、心を配ってくれる。……だからこそそれに応えたいと、ここまで『お仕え』してきたのだ。
きっとこの方なら、これから臣民にも親しまれ、愛されるだろう。あの姫君を迎え入れ、オーガに支配されていたこの領地をますます発展させ、幸せな生活を送ることだろう。
……お傍にいられるのは、後十年もないだろうけれど。
大切なのは、今この時、まさにこの瞬間だ。

「ごしゅじんさまの、おやくにたてたのなら」

少年のような高さと透明さを持った、けれど落ち着いた声。それが震えないよう細心の注意を払いながら、ずっと大切にしまっていた言葉を、高らかに紡ぐ。
猫は緑の瞳を細め、貴族風のお辞儀―――ボウ・アンド・スクレイプをする。
尻尾がゆったりと、左右に動く。どんなに表情を引き締めても、尻尾の感情までは隠せない。
すっと伸ばした体躯を見て、青年も膝をついたままふっと笑みを零した。そのまま猫に手を伸ばそうとして、ふと動きを止める。
「……立派な騎士さんを抱きかかえるなんて、失礼かな」
目の前のうら若い青年は、出した手をそのまま床について、よいしょ、と腰を下ろす。金色の髪がさらりと揺れた。綺麗な服が床につくのも厭わない。それを咎める人も、今はまだ、いない。
「しかしお前、なんだか大きくなっちゃったなぁ。もうそろそろ3歳になるんだっけ。それとも、前から大きくなっていたのに、気づかなかったのかな?……もうお前の事、minet<子猫>とは呼べないね」
膝を抱え込み、すらすらと、ある種片方向的な言葉を並べ立てる。猫はその様子を、黙ったままじっと見つめていた。
「……そうだ、名前を新しく考えようか。何がいいかなぁ……。うーん、お前は、自分のことを何と名乗っていたんだい?」
そう問われ、猫はしばらく考えを巡らせる。人前で名乗った名前、人から呼ばれた名前―――
「……Le Chat Botte<長靴の猫>、です」
「あはは、なるほど。言いえて妙だね。それは自分で考えたのかい?」
「いえ。まちでみかけた、ぎんゆうしじんが」
「へぇ、そうなんだ。いい名前を付けてもらったね」
青年の破顔する様子を見ながら、猫はふと思いを馳せる。
名も知らぬ楽器を手に、愛や戦、物語を詩う自由気ままな吟遊詩人。
二足で歩く猫を、「面白い」と受け入れてくれた存在。
「レ・シャ・ボット、か。……君らしくて素敵だけれど、ちょっと、名前っぽくはない、のかなぁ?」
ぽつりと漏れ聞こえた言葉に、猫は顔を上げた。青年の碧眼と目が合うと、慌てて少しだけ申し訳なさそうな、困ったような笑顔を浮かべる。
「あ、ううん。否定しているんじゃなくて、えっとね……」
良くも悪くも、素直な人なのだ。思ったことをぽんと口に出す。人前では気を付けているようだが、気の知れた関係である自分には、率直に思いをぶつけてくれる。
それだけ信用してくれているということなのだ。
……そういうことなのだ。
ふとよぎった過去の記憶を打ち消すように、猫は小さく笑みを浮かべる。
「それでは、……おそれおおくも、ごしゅじんさま」
「うん?」
「……Chat troubadour<吟遊詩人の猫>、というのは」
青年は、シャトロバドゥール、と、言葉を繰り返す。
「うん、いい響きだな。でも、トロバドゥールって、……お前は、吟遊詩人になりたいのかい?」
「……はい、ごしゅじんさまが、おゆるしいただけるのならば」
小さな胸が、大きく高鳴る。
目の前の青年は、膝を抱えたまま、ふぅん、と小さく声を上げた。
「うん。お前……シャトロバドゥールが望むなら、僕は反対しないよ。まあ確かに、お前がねずみ獲りで一生を終えるのも、勿体ないしね」
「ごしゅじんさま、わたしはまだまだ、いんたいする きはありません」
「あはは、そっか。……あれ、でも、吟遊詩人って、いろんな所に―――」
「わたしは、ごしゅじんさまのもとを はなれるつもりはありません。……このみは、ごしゅじんさまのために」
主人の言葉を珍しく遮り、真剣な眼差しで訴える小さな猫。青年は、少し悲しげな色を込めた微笑を浮かべる。
「……いいんだよ、シャトロバドゥール。無理をしないで」
その言葉に、猫はぎくりとした表情を見せた。緑色の瞳が揺らぐ。
「むりではありません、わたしがごしゅじんさまに、ただおつかえしたいだけで―――」
その声に、焦りとかすかな不安とが混じる。
「ううん、もういいんだ」
「…………それは」
「……これからは、お前はもっと、自分に正直に生きていっていいんだ」

青年の最後の言葉は、猫の耳にはほとんど届かなかった。
暗闇に呑まれるかのように、猫の意識は過去へと向かっていく。



―――ごしゅじんさま
―――わたしは
―――あなたさまのおやくに、たてたのでしょうか?





―――あぁ、兄さんたちは良いなぁ。
   上の兄さんは水車小屋。
   下の兄さんはロバ一頭。
   なのに、僕には猫一匹。
   粉ひきの役にも立ちやしない。





その言葉が自我を生む呪句となったのか
その言葉を聞かせるために神が自我を授けたのか


『―――ごしんぱいなく、ごしゅじんさま』


どちらにせよ


『わたしがかならず、ごしゅじんさまのおやくに、たってみせましょう』


小さな猫の双肩に背負うには
あまりにも重たい言葉だった





人は本を読んで知識をつけるのだろうけれど
文字が読めない猫は 経験と人の話から策略を練るしかない

寝る暇さえ惜しい

街中を 森中を 駆け回って
沢山の物事を吸収して

“王様は兎狩りがお好きだそうな”
“とびきりの兎を献上したものは良い位を与えられたと”
“姫はたいそうお美しく、聡明だ”
“王様の行く所、馬車でついて行きなさる”

“あの領地は人食いオーガに支配されていて”
“収穫物を奪っていくから、民は飢えて苦しんでいる”
“何にでも変身できるそうだな”
“だれかあのオーガを倒して、新たな領主様に”

沢山の物事を見聞きして 小さな頭を精一杯ひねって

―――ごしゅじんさまを りょうしゅさまに したてあげよう
―――そのためには 
―――おうさまに おちかづきになって
―――オーガを たおして


―――きっとそうすれば ごしゅじんさまを しあわせにしてあげられる


―――おやくに たてる ?




人の目なんて気にするな
彼らが見落とすような視点からものを見ろ

何と言われようと
鋭い耳が拾い上げる言葉からは
ご主人様に必要な単語だけを探し出せばよい


“―――ねえminet、お前はいつも、どこに行っているんだい?さっき、鼠が出てさ”


―――おやくにたてず、もうしわけありません、ごしゅじんさま
―――けれど、いつか、かならず





「おや、また会ったね。Le chat botteくん」
城下町の、中央広場。
空っぽの麻袋を半ば引きずるように歩く猫の、頭上から声がかかった。
聞いたことのある単語にふと顔を上げると、噴水の縁に吟遊詩人が腰を掛けていた。
「こんにちは、ながれの ぎんゆうしじんさん」
猫の言葉に、吟遊詩人は口の端を上げる。羽飾りのついた帽子の下の、栗毛色の髪が明るい太陽の光を反射して、きらきらと光っている。
「なかなかどうして、この街が気に入ってね。しばらく滞在することにしたよ。……君はまた、兎を届けた帰りかね」
「ええ」
「ま、ま、座りたまえ。君の話が聞きたいんだ。それとも急ぐのかな?」
吟遊詩人は膝に楽器を抱え、自分の右横の縁石をぽんぽんと叩く。それを見て、わずかな逡巡の後、猫は口を開いた。
「……すこしのあいだ、でしたら」
「ふむ、上出来だ」
袋を咥えて四肢を使い、ひらりと縁石に飛び乗ると、石に腰を下ろす。ただ、よく見る猫の座り方ではなく、後ろ脚をまっすぐに伸ばして、だ。
人が前屈をするような姿勢でぺたんと座ると、猫は吟遊詩人を見上げた。
「どうしたのかね、生きるための戦に疲れたのか、人の波に疲れたのか。そんな泣きそうな顔をして」
流れるように言葉を操りながら興味深そうに顔を向けてくる吟遊詩人に、猫は丸い目をしばたたかせる。そのままふいと視線をそらし、ぽつりと口を開いた。
「……ねこは、かんじょうによって なみだをながすことはありません」
「へぇ、そうなのか。面白いことを聞いた。嬉しいときも、悲しいときも、なのかな?」
「ねこによっても ちがうとはおもいますが、ひとのようには なきません」
「ふむ……」
吟遊詩人は口元に右手を当てて、何やら考え込んでいる。
「でも君なら、いっぱしの人と同じように、感情を持って表現できるようにも見えるがね」
黄色と黒の縞模様の耳が、ぴくりと動く。
「……いえ、できません。……しません」
長靴を見つめながら、肉球のついた細い前足を、ぎゅっと握りこむ。
感情も、表情も、自分のすべてを抑え込んででも、あの方に仕えると決めたのだから。
ふむ、と小さく声が聞こえた。それは「続けてくれ」という、無言の肯定のように聞こえた。
この人ならば、ただ寄り添って聞いてくれるのかもしれない。ぐちゃぐちゃなままの、胸の内を。
背を押されるように、ずっと渦巻いていた疑惑の一かけらを、ぽつりと絞り出す。
「……わたしは、ふつうのねこではありません。ですが、ひとでもありません。じぶんがなにものなのか、わかりません」
一度こぼれ出してしまったものは、もう止まらない。
「ごしゅじんさまに、いつまでおつかえできるのかもわからない。ひとはみな、わたしのことを、なにかおそろしいもののようなめで みてくる。やりたいこと、やるべきことはたくさんあるのに、それがほんとうにごしゅじんさまのためになるのかも わからない。ふあんばかりがつのって、……わたしは、なにがなんだか、わからなくなるのです」
体は猫で、頭は人間。
ならば、こころは。
自分が人間だったのならば。あるいは、なれたのならば。
もっと簡単に、すべての物事が丸く収まっていたのだろうか。
「……君は、人間になりたいのかね。それとも、元の猫に戻りたいかね」
その思いを見透かされたかのように、静かな声が頭上から降ってくる。
猫は目を閉じ、考えを巡らせる。長い逡巡のあと、小さく口を開いた。
「…………いえ、どちらものぞみません」
「それが答えさ。つまり、君は君だよ、le chat botteくん」
さも当たり前といった響きで聞こえた声。思わず顔を上げると、口の端を上げた吟遊詩人の、茶色の瞳と目があった。
「そうだろう?」
そう言いながら、吟遊詩人は、猫の頭をぽんぽんと撫でた。
猫は一瞬首をすくめたあと、まん丸の瞳をさらに大きく見開き、そして、顔を伏せた。
「……ありがとう、ございます」

―――なんだろう、このむねのいたみは。
―――あたたかいのに、くるしい。

―――ひとは、このようなきもちのときに、なくのだろうか。





「おーい?」
遠くから、ご主人様の声が聞こえる。記憶の縁から呼び覚まされ、猫ははっと顔を上げた。
「はい、しつれいしました。……どうかなさいましたか、ごしゅじんさま」
「ねえ、シャトロバドゥール。愛称を考えたんだけどさ」
猫の耳がぴくりと動き、尻尾がぱたりと揺れた。
「―――Chateau<城>、はどうだい?」
青年は右手の人差し指をたて、にこっと笑ってみせる。その明るい青の瞳に、どこか子供っぽさが伺えた。
「……シャトー、ですか」
「はは、珍しく表情に出ているね。嬉しいかい」
「……ごしゅじんさま。そのようなだいそれたなまえは、わたしにはもったいないです」
「そうかい?お前は、僕にこんなに大きなお城をくれたんだから」
楽しそうな青年の表情に、猫は目を伏せながら、必死に喜びを抑えようとする。
本当は、……嬉しくてうれしくて仕方がない。
大切なご主人様からもらった、大切な大切な名前。
「それに今ね、名字も考えているんだ」
「みょうじ……」 
「そうさ。いつか君が、家族を持ったとき。名字があれば、本当の家族になれるだろう?……ふふ、可愛いお嫁さんをもらうんだよ」
青年はにっこりと笑う。
「……ごしゅじんさま、わたしは」
「家族っていうのは、良いものだよ。助け合って、愛し合って、生きていく。傍にいてくれるだけで幸せになれる。昔の僕の家を思い返せば、お前も、なんとなくわかるだろう?……僕だけに忠誠を誓って、仕えてくれるのも嬉しいけれど、……僕は、君に幸せになって欲しいな」
猫が口を開く間も与えず、青年は言葉を紡ぐ。最後の言葉を言い終えた時、青年の碧眼には、優しい光がともっていた。
「…………はい」
猫は顔を伏せ、小さな小さな声で、呟いた。その様子を見て、青年は再び破顔する。
「さて、何がいいかなぁ。……うん、いいことを思いついた。さっきの呼び名を使ってさ、le-botteはどうかな。えーと、……シャトロバドゥール・ド・レボット。縮めて、シャトー。上流階級っぽくて、格好良くないかい?どうだい?」
猫は、何も言うことができずに、ただただ青年の顔を見上げていた。尻尾が、ぱたり、ぱたりと揺れ動く。
「あはは、嬉しいのかな」
「……ごしゅじんさま、……ほんとうに、ありがとうございます」
「大げさだなあ、名前くらいで」
そんなことはありません、と猫は心の中で呟いた。
名前というのは、その人を表す大切な言葉だから。
青年の背後から、声が聞こえた。王の使いや城の小間使い、領民の代表。これから青年を囲んでいく人々。その声に反応して、青年が腰を上げた。
「さて、と。シャトーはまた、忙しくなるのかな。まあ、お前が望む生き方だからね、僕は応援するよ。……僕が何か、してあげられることはあるのかな?」
「―――いいえ、いいえ、ごしゅじんさま」



長靴と袋、そして名前。
……もう、十分すぎる。これ以上は罰が当たってしまう。



けれどもし もしも わがままがゆるされるのならば
ひとつだけ のぞんでもよいというのならば



てのひらのぬくもりを



あたまを なでて ください



「ごしゅじんさま、―――、……?」
口を開こうとして、違和感に気付いた。
目の前の青年は、振り返ろうとしたままの姿勢で固まっている。
どうなさいました、そう声をかけようとして、自身の身の異変を感じ取る。
自分の体も動かない。ぱくぱくと動く口から紡がれているはずの言葉は、宙に消えていく。

しゃきん、しゃきんと、金属がこすれあうかすかな音。
目の前の人々が、モノクロに霞んでいく。

足元に、黒い亀裂が少しずつ走っていく。
小さな猫と、青年を切り裂くように。


―――ごしゅじんさま?
―――まってください
―――いやだ
―――はなれたくない

   いかないでください―――





……これは、天罰なのだろうか。


暗闇に呑まれるその刹那、そう思ってしまった。







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