その変化は

みそ様(@tetemiso)のお話『捕らわれているのは』に続く形で、お話を書かせていただきました。


今回のお話の流れは、フックさんの親御さんであるみそ様からアイデアとこちらで書かせていただく許可をいただきました。本当に感謝しております……!




やっと自分の感情に素直になれました。



Cast:
楪様(PIF引退)宅 ロードさん
みそ様宅 フックさん

シャトー







欲するな
求めるな
そうやって生きてきた

……はずだ


部屋の扉を後ろ手に閉め、そのままずるりと背中からもたれかかった。
先ほど酒場で聞いた彼女の叫びが、頭の中で何度も何度も反響する。
“てめぇの感情を殺して”
―――なぜ、彼女はわかったのだろう。
ただその考えだけが、頭を支配していた。

抑えよう、と思っていたのに。
彼女と会うごとに、激流のように様々な感情が襲ってきた。
あの月夜の浜辺でも。
「俺のだ」と言われた日も。
むしろ、意識してしまった分、今までよりも強く。

その度に、ぎゅうぎゅうに押し込んで、蓋をして、鍵をかけて。
少しだけ疲れてしまった。
それでも、やっと今まで通りに接することができるようになったと、思っていた、のだが。

彼女を、怒らせてしまった。
確かに感情豊かな彼女ではあるが、理由もなく激情をぶつけてくることはないはずだ。自分とのやり取りの中で、何らかの不満や鬱憤、あるいは苛立ちが募っていたのだろう。

あれほどの爆発的な感情をぶつけられて、嫌だと感じたか?
―――いや、そんなことはなかった。
むしろ、きちんと受け止めたいと思った。
しかし、受け止めたとして、自分はどう返せばよいのだろうか?
ただ大声を上げればよいという問題でもないはずだ。

明日彼女に会ったら、どんな顔をすればよいのだろうか。何を言えば良いのだろうか。
心の中で呟き小さくため息をついたところで、ふと思い至った。
明日必ず彼女に会えると、確証があるのだろうか?
もし酒場に来なかったら?
一瞬よぎった不安を、頭をふって打ち消す。
もつれた思考の糸にからめとられ、身動きが取れなくなっているのがわかる。
抑えれば抑えるほど、湧き出してくるこれは何なのだろう?

―――どうして俺は、こんなにも彼女のことが気にかかるのだ?
―――どうして、会いたいなんて

前髪をくしゃりとかき乱し、唇を軽く噛む。
掴まれた腕が、まだ熱い。
少し落ち着こう。明日になれば、きっと状況も変わっているはずだ。
……そう、明日。


頭では分かっていたのに、体がなかなか動かなかった。
昨晩の一件が気にかかり、今日はほとんど詩や演奏に集中できなかった。
一日が溶けるように過ぎていき、夕暮れが街を包むや否や、早々に宿に引き揚げてきて、今に至るわけだ。
普段なら宿に荷物を置いてすぐ、あるいはその足で酒場に向かうというのに、今日に限っては部屋の椅子に腰を下ろしてしまった。
空が墨を流したように暗くなっていくのを、机に片肘をついて、窓越しに見やる。
何度目かのため息の後、静寂と胸の空漠さに耐えきれなくなり、部屋を出た。
一瞬ためらってから酒場のドアを開け、違和感を覚える。いつもより幾分遅い時間だというのに、カウンターに彼女の姿はなかった。
いつもの注文をしながら店員に尋ねても、今日はまだ来ていないという。
謝罪の言葉があてどもなく頭の中を流れては、降り積もっていく。
一度も口をつけないままのウィスキーの、氷が融けきってもなお、フックは顔を見せなかった。
かすかないらだちと不安に突き動かされるように、席を立った。


別の酒場にも、バーにも、彼女の姿はなかった。
落ち着け、冷静になれ、と言い聞かせても、もはや歯止めが効かない。
思えば、自分は彼女がどこに宿を取っているのか知らなかった。
昼間何をしているのかも、聞いていない。
知りたいと思うのはおこがましいと、聞かないようにしていた。
今日も会えたのだから、また明日も自分の横に座ってくれるだろうと、根拠もない安寧にあぐらをかいていた。

彼女と会えないかもしれないなど、考えもしなかった。
日常の一コマとして、あまりにも馴染んでいたから。

―――会いたい。
―――声が聞きたい。


シャトーが何軒目かの宿に着いた頃には、日付はとうに変わっていた。
宿の者に特徴を告げると、確かに昨日から泊まっているが、今日一日姿を見ていない、と返された。
教えられた部屋の前に立ち、やや躊躇った後、軽くノックする。やや間をおいて、もう一度。
「フック?……いるだろうか」
声をかけるも、返事が返ってこない。もしかして、宿の者が見かけなかっただけで、外出しているのでは。
あるいは寝ているかもしれない。こんな夜半に押しかけてくるような形になってしまい、まずかっただろうか。
思考が悪い方向に傾きかけた矢先、部屋の中から物音がした。ゆっくりと足音が近づいてくる。
がちゃり、と鍵の開く音がした。
「すまない、夜半に―――」
謝罪の言葉も、不安も、すべてが吹きとんだ。
「……あ、猫坊か、……どうした」
右腕で壁に寄りかかりながら、荒い息で答えるのは、会いたかった女性。
顔が赤く、瞳もうるんでいる。自分よりも背が高いはずのその体が、今日は小さく見える。
普段と明らかに違うフックの姿を見て、二の句が継げなくなった。
「君こそ、どうしたんだ」
絞り出した声が、いつにもまして固い。
「気にすんな。……ちょっと、な」
「気にしないわけがないだろう!」
背を向けようとした彼女の、右腕を咄嗟につかむ。シャツ越しに熱が伝わってくるのを感じたと同時に、フックが小さく顔を歪めた。
「いてっ……」
その小さな声に、我に返って手を離す。
「……すまない」
一瞬の沈黙があたりを支配した。シャトーは目を伏せ、思考を巡らせる。
何があったのかは、彼女の口から聞くまではわからない。だが、立っているのもやっとという姿を見る限り、急性の病気か何かなのだろう。
「……医者を呼んでくる。その様子だと、かなり調子が悪いのだろう」
医者という単語に、フックが一瞬眉をしかめる。だが、肯定も否定もせずにいるところを見ると、自覚はあるらしい。
「君は寝ていてくれ。歩けるか」
「ああ」
そう答えてベッドのほうへ一歩踏み出した、フックの背がぐらりと揺れる。
「おい!」
反射的に、倒れそうになる体を支えた。意識はあるようだが、相当まずい状態だろう。
「……わりぃ……」
熱を帯びた声がいつもより近く聞こえる。だがそんなことに構っている余裕もなく、うまく支えながらベッドに運び込んだ。
「少し待っていてくれ、すぐに呼んでくる」
布団をかけるとそう言い残し、シャトーは部屋を飛び出した。


酒場でたまに見かける、白衣の男性。話したことがないため確証はないが、可能性としては一番高い。
今日もどこかで見かけたはずだ。確か―――
宿から一番近いバーに飛び込むと、果たしてその姿があった。一人でグラスを傾けている。
シャトーが帽子を取りながら近づくと、ちらりと目線を向けてきた。
「おくつろぎのところ申し訳ありません、貴方はお医者様でしょうか」
「あーうん、そうだけど?なんか用?」
軽くあしらうような口調で目線を手許に落とす男―――ロードに、シャトーは小さく頭を下げる。
「……急患を、お願いできますか」
シャトーの言葉に、ロードは顔を上げた。緑色の視線が交差する。数秒の間の後、ロードがにっと口端を上げた。
「いーよ。患者はどこ?」
「……感謝します」
よいしょ、と声を上げて立ち上がるロードに、もう一度頭を下げた。


ロードがてきぱきと診察をする間、シャトーは水や清潔なタオルなどを部屋に運ぶ役割を仰せつかっていた。
「机の上にでも置いといて。……あー、義手の付け根が切れちゃってるね。ここから細菌が入ったかな。ここさ、昨日あたり強くぶつけた?」
ロードの言葉に、シャトーの耳がピクリと動いた。
「ん……少し」
「これ、少しってレベルじゃないでしょー。消毒は?」
「酒で」
「うーん、なかなかワイルドだね」
二人のやり取りを聞くでもなく聞きながら、そっとベッド脇から離れる。入り口付近の壁に寄りかかりながら、ロードが傷口を手当てしているのを見やった。
「よし、これで消毒は終わり。あとはこの薬を飲んで寝とけば、明日には大丈夫なんじゃないかな」
「ありがとうございます。……外まで送ります」
「おー、ありがと」
器具をしまい立ち上がるロードに声をかけ、ともに部屋を出る。扉を閉める寸前に振り返ったが、フックは目をつむっていて、表情を伺うことができなかった。
「まあとりあえず様子を見て、もしあんまり良くならないようだったらまた呼んで。昼間は海辺の診療所にいるからさ」
からからと、木の階段と下駄がぶつかる音が響く。
「じゃー、お大事に。……彼女さん、大事にしなきゃダメだよ?」
からかうような口調で言われた言葉に、頬が引きつるのがわかった。なぜだろう、顔に血が上ってくる。
「いや別に私たちはそういう関係ではなくて」
―――では、何なのだろう?
よぎった思考を即座に打消す。けらけらと笑っているロードにやや憮然とした表情を浮かべながら頭を下げ、ある程度距離が開いたのを見計らって、踵を返した。
部屋のドアを開けると、紅い瞳と目があった。
「なんだよ、……帰らねぇのか」
苦しそうな息遣いで、それでも小さく笑って見せるフックを見て、胸がずきりと痛んだ。
「……ここまで来たのなら、熱が引くまで付き合うさ」
そう言いながら、自分に苛立つ。どうして一番大切なことが、言えないのだろうか。

―――そばにいたい、と。

「とにかく早く寝た方が良い、医者にも言われただろう」
「ん、……わかった」
誤魔化すように、話題を変える。先ほどの言葉を思い出して、口を手で押さえた。フックも素直に聞き入れ、目を閉じる。
ベッド脇に椅子を運ぼうかとも思ったが、あまり近いと圧迫感を与えてしまうのではと思い直し、そのままの位置で腰かけた。
数分で、小さな寝息が聞こえてきた。まだ呼吸は少し荒いが、先ほどよりはずいぶん落ち着いたように見える。
心の中で一息つき、机に片肘をついて寝ている姿を眺めやる。静寂が広がると同時に、働いていなかった思考が急に稼働を始めた。
“こいつは俺のだ”
“彼女さんを”
先日の彼女の言葉と、つい先ほどの言葉。
それから。
ここ何日も、抑えきれないほどに高まっているこの思いは、いったい―――
―――そばにいてほしい
―――笑ってほしい
―――俺の横で
空回りをし始める考えを振り払おうと、ぎゅ、と強く目をつぶる。
その時、小さく、う、と声が聞こえた。
「どうした?」
ばっと顔を上げ、声をかける。苦しげに顔をゆがめるフックの口から、切れ切れに言葉がこぼれ出してくる。
「……俺、が、……あん、な、……、言わ、…………死なな、かった……のに」
いつの、何の話だろうか。見当がつかない。だが、うわごとに出てくるならば、その出来事が彼女の中に深く引っかかっているのだろう。
もしかしたら、忘れてしまったという過去かもしれない。きっと彼女も覚えていない何かに、無意識のうちに、捕らわれているのかもしれない。なぜ今まで、それに思い至ることができなかったのだろう。自分の視野の狭さに気付き、唇をかんだ。
「死ね……なんて……」
「……あまり、自分を責めるな」
きっと聞こえていないと思いながらも、なだめるように、小さな声で言い聞かせる。

「過去に捕らわれるな」

ぽつりと、口から洩れた言葉。その瞬間、ずきり、と頭が痛んだ。自分のことを棚に上げて、と、心のどこかでささやく声がした。
自分が捕らわれているものは何だろうか。思い当るとしたら、一つしかない。

“かんじょうを もつな”

すっと目を細める。
あれは、過去の自分と今の自分をつなぐ何らかの鍵だと思っていた。
それがもしかしたら、自分を縛っている、鎖だとしたら?
数回瞬きをして、目を閉じる。
そうだとしたら……自分は、なんと大きな間違いを、していたのだろう。
彼女が怒ったのだって―――
「猫、坊」
突然呼ばれた名前に、心臓が跳ねる。
「……何だ」
平静を装って声をかけるが、返事は帰ってこない。聞こえてくるのは、荒い息遣いだけだ。
どうして自分の名前が?
聞き違えただろうか、そう思った刹那。
「……すまねぇ……」
その言葉に、はっきりと思考が冴え渡った。
「どうして、君が」
悪いのは全て自分ではないか。
怒らせて、怪我をさせて、こんなに熱で苦しませて。
物語でよく見る、胸が張り裂けそうになる、という語句は、きっとこの瞬間のためにあるのだろう。
「謝らなくてはいけないのは、こちらだ」
だから早く、目を覚ましてくれ。いつもの元気な笑顔で―――
胸元をつかんだまま、歯を食いしばる。

気づいてしまった

ああ

俺は

この女性を



愛している




「……んぅ」
小さく聞こえた声に、顔を上げた。紅と深緑の瞳が交わりあう。
「目が覚めたか。調子はどうだ」
「……んー、だいぶ良くなった、かな」
右腕を持ち上げ包帯を見たり、額に左手をやったりしながら答える、フックの姿を見やる。
「そうか」
短く返し、席を立つ。
「あ?どっか行くのか」
「ああ。もう昼近いからな。何か食べられそうなら、買ってくるが」
「え、昼!?おい、俺どれだけ寝て……」
がばり、と跳ね起きようとするフックの肩を、押しとどめる。
「まだ寝ていたほうが良い」
「でも、もう平気……」
「君の体が心配なんだ、いつも無理ばかりして」
相手の言葉を遮るように早口で言い、フックが黙り込んだのをちらりと見やる。そのまま顔を背け、言葉を紡ぐ。
「また戻ってくるから、それまで横になっていてくれ。……行ってくる」
彼女の返事も待たず、振り向きもせず、そのまま歩き出した。

瞳の熱を見られないように。






―――これからは お前は もっと 自分に正直に 生きていって いいんだぞ ……シャトー 







男の人の恋慕や感情は、瞳に出ると思っています。
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