楪様(PIF引退)のスノーローズさんをお借りして、うちの子エリサと庭先での小さなお茶会のお話を書かせていただきました。 Cast スノーローズさん エリサ はじまりの街が迎える初夏。 太陽はぐんぐんと力をつけ大地を照らし、日陰に入ればさわやかな風が吹く、そんな心地よい季節。 こんな日には、庭先でのお茶会が良く似合う。 「ごきげんよう」 凛と澄んだ声が響く。庭の木陰で空を眺めながら紅茶を口に運んでいたエリサは、文字通り座ったまま飛び上がった。 右手に持ったままのティーカップも体とともに飛び跳ね、中に少しだけ残っていた紅茶がちゃぷんと小さな音を立てる。 「……あ」 「あら失礼、驚かせてしまったかしらぁ」 声のするほうを見やると、赤茶の切れ長の瞳と目があった。エリサより少し年上に見える、白いふんわりとしたワンピースの女性……いや、少女か。 ―――初めて見かける顔だ。 「えっと、……その」 カップを受け皿に置き、腰を浮かせる。何か用があってきたのだろうか。 「ああ、座っていてよろしくてよ。わたし、何かドキドキできることを探してお散歩しているんですの」 「……そう、ですか」 「そうしたら、おいしそうな焼き菓子の香りがしてきたので、ちょっとドキドキして―――つい声をかけてしまったのですわ」 雪のように白い肌が、明るい太陽の下で大理石のように輝いている。真っ白なワンピースや白薔薇の髪飾りも、彼女の肌の白さを際立って引き立たせる舞台装置のようだ。 「丁度好いわ。ねえ貴女、このあたりで何かドキドキできるものはないかしらぁ?」 「え?」 突然思いもよらない話を振られ、エリサは戸惑いを隠せなかった。 「ものじゃなくてもいいわ、お話でもよいのよ。何か知らないかしらぁ」 庭と道を隔てる垣根に手をかけて、体を乗り出すように尋ねる少女。小さな子供のように目が輝いている。 その勢いに押され、エリサは軽く身を引いていた。軽く5mは離れているというのに。 「えっと……その、……ごめんなさい、ちょっと、思いつかなくて」 「あらぁ、残念だわぁ。……ふぅ、暑くなってきましたこと」 残念、と言いながらも、その声や表情に責めるような様子は全くない。純粋に、「あら残念」という表情なのだ。 垣根から身を起こし、すっと背筋を伸ばしたあと、手でぱたぱたと顔を扇ぐ。午後とはいえ、まだ日は高い。あの美しい肌が、日差しに焼かれてしまっては勿体ない。それなのにこの美しい女性は、日傘も差さずに太陽の下に凛と立っている。ただでさえ気温も上がってきて、日差しの下では汗ばむくらいの気候だというのに。 「……あ、あの」 気づいたら、声をかけてしまっていた。目と目があい、頬が一気に熱くなってくるのがわかる。思わず胸の前で両手を握りしめた。 「はぁい?何か思い出して?」 「いえ、……でも、あの」 うまく言葉が出てこない。そんなエリサを見つめながら、彼女は微笑みを浮かべたまま続きをじっと待ってくれている。 「……よろしければ、ですけれど、……その……こちらに、……いらっしゃいません、か」 「そちらに?」 「ええ、……木陰で、お休みしながら、お茶でも…………、一緒、に」 最後の言葉は聞き取れたかどうか怪しいくらい、小さな声だった。声量と連動するように視線も下がっていき、芝生の間に咲くネジリバナを見つけるまでに至った。 「まあ、素敵!」 その声に、弾かれたように顔を上げる。そこには、満面の笑みが待ち受けていた。 「お友達とティータイムなんてドキドキしますわぁ。それでは、お呼ばれしようかしら。わたし、紅茶は大好きですのよ」 きらきらとした、絵本ならば背景にハートマークが見えそうな声と顔で、少女は屈託なく承諾する。その笑顔に、エリサは救われた思いがして、目を細めて微笑んだ。 「お邪魔しますわぁ」 道から庭に続く木戸を開け、少女が入ってくる。エリサはふと我に返り、慌てて身なりを整えた。先ほど飛び上った時に紅茶が跳ねていないか胸元やエプロンを確かめ、スカートの裾を直す。顔を上げようとしたとき、ふと少女の足元が目に入った。 「あら、……靴、……」 「ああ、気にしなくて結構ですわ。いつもこうですもの。それに、芝生がふわふわで気持ちいいわぁ」 「……そうですか」 裸足の少女が目の前に立つ。エリサよりも少しだけ背が高い。彼女はワンピースの両裾を軽くつまみ、足を折って深々とお辞儀をした。宮廷の晩餐会のような優雅な立ち振る舞いだ。 「改めまして、ごきげんよう。お招きいただき光栄ですわ」 エリサも左手を胸に、右手はスカートをつまむようにして、足を折る。彼女より簡素なカーテシーだが、精一杯の礼を込めたつもりだ。 「……ようこそ、いらっしゃいませ。 ……ええと」 続きを言おうとして、ふと気づく。そういえば。 「あらぁ、そういえばはじめまして、でしたわね。わたしはスノーローズですの。貴女は?」 「……エリサです。どうぞ、よろしく」 目を見合わせて、お互いにくすりと笑う。途端に恥ずかしさがこみあげてきて、エリサは頬を真っ赤に染めた。隠すように、机に体を向ける。 「…………準備を、してきます。……どうぞ、お腰をかけて、ください」 「まあ、ありがとう。それでは失礼」 スノーローズが腰を下ろすのを見ながら、エリサはポットを手に取った。先ほどから感じていたが、話し方や座り方など、所作の端々に気品を感じる。きっと良い家柄の出なのだろう。 お湯を足して、カップをもう一脚持ってきて。焼き菓子は足りるかしら。 家に向かってぱたぱたと走りながら、普段の緊張や恥ずかしさからくる動悸とはまた違う、何か別の胸の高鳴りを感じていた。 思わず笑みがこぼれていた。 ―――なんだか、ドキドキするわ。 「そうだわ!」 カップをソーサーに置きながら、スノーローズがさもいいことを思いついたとばかりに声を上げた。 エリサは口に運ぼうとした焼き菓子をソーサーに置き、軽く首を傾げて目で続きを促す。 「どうせなら、貴女、何かお話を聞かせてくれないかしらぁ。もちろん、ドキドキできるものよ?」 「えっ……あの、……ドキドキ……?」 予想だにしなかったスノーローズの言葉。エリサは目を丸くした。 「何でもよいのよ、パンケーキを焼いたら歌いながら転がって行っちゃったとか。ああ、それくらいじゃドキドキが足りないわ、そうねぇ、……昨日森でもいできたリンゴに毒が入っていたとか!」 スノーローズの言葉に、エリサはぽかんとするしかなかった。ドキドキ、のレベルが、エリサの基準とは大幅に―――天と地ほどずれている気がした。焼いているパンケーキが歌いだした時点で、エリサなら失神ものだろう。あまつさえ、毒のりんごがなる木などとは。そんな木には一生出会いたくない。 「あの、……えっと」 「はぁい?」 言いたいことはたくさんあるが、純粋な目で見つめられると、何も言えなくなってしまう。 「……あ、いえ、……」 「何か思いついたのかしらぁ?聞かせてくださいな」 「いえ、そういうわけでは、…………あ」 「どうしたのかしらぁ?」 ふとあるお話が、頭をよぎる。いつかの井戸端会議で噂されているのを聞いたのか、それとも昔物語で読んだのか。それにしては、妙にリアルな感覚を伴っている気がする。 「……」 「なぁに?話して頂戴な」 「あ、……じゃあ、……そんなに、ドキドキ、では、ない……かもしれない、ですが」 「かまいませんわぁ」 スノーローズが、きらきらした笑顔でぐいと顔を近づけてくる。煉瓦色の瞳が、好奇心をたたえて見つめてくる。一瞬気後れしながらも、話の流れを頭の中で一度確かめる。 真正面で向かい合いながら話をするなんて、普段の自分では考えられないことだ。そう思いながら、エリサは怖々口を開いた。 「……これは、あの、本当かどうか、わからない、の、ですが」 「まあ、本当かもしれないのね」 「街を出て、森の中、……湖が、ありますよね」 「ええ、ありますわね」 「……そこに、綺麗な白鳥が……ええと、何羽か。住んでいるそう、です」 「ええ、ええ。それで?」 「その白鳥たちは、……あの、実は」 「実は?」 スノーローズが真剣な表情で、さらに身を乗り出す。一言ごとに顔を近づけているので、ほとんどおでこがぶつかりそうなくらいの近さだ。 「えっと、あ、あの、…………魔法を、かけられた人間……なのですって」 ここまで言って、ふと眼前のスノーローズの表情を見やる。彼女は、「実は?」と問いかけた表情のまま、固まっていた。思わず、固唾をのんで見守る。 一瞬の間。 スノーローズの表情は―――見る間に和らぎ、今日見た中で最高の笑顔となった。 「まあ、なんてこと!魔法だなんて!白鳥が、元は人間だなんて!しかもそれが、本当にいるかもしれないなんて!ドキドキしますわぁ」 胸の前で手を組み、背もたれに倒れこむように寄りかかる。そんなスノーローズの様子を見て、エリサは心底安堵した。 今日何度目かの、心からの笑みがこぼれる。 「それで、その白鳥たちは何者ですの?」 「本当は、……遠い、遠い、北国の……王子様、ではないか、という……話、です」 「呪いですの、それとも何か悪さをした罰ですの?」 「ええっと……確か……」 彼女たちのお茶会は、まだ終わりそうにない。 企画初作品、エリサのおはなしです。 [目次] [はじまりの街 案内板](小説TOP) |