きみとぼくのせかいではじめて | ナノ


 ピンクベージュのサテン地にあしらわれたレースが、細く白い滑らかな太ももにさわさわと揺れている。短めのワンピース型のネグリジェから伸びる脚はすらりと長く、しかし小柄な体が今まさに自分の隣でもぞりと寝返りをうつ気配を感じて、佐伯は思わずこくりと唾液を飲み下した。
 その体はスポーツをやっているにも関わらずどこを見ても雪のように白く、日焼け止めを使用していることもあるのだろうが、元来日に弱い肌質であるらしい。どんなに日に当たろうともその肌は一時的に赤く染まるだけ。そんな彼女の頬にかかる黒髪は艶やかで、前下がり気味のショートボブがとてもよく似合っており、清楚さを醸し出している。しかし長めに下ろされた前髪はどこかミステリアスさも感じさせ、折角の大きな黒い目が見えないじゃないかと前に問うたことがあるが、彼女は眉根を下げて薄く笑うばかりだった。
 人と目を合わせるのが苦手だという彼女は、しかしその可憐な容姿も相俟って、学校の男子生徒はおろか見知らぬ男性にまで声をかけられることがしばしばある。その度に佐伯は肝を冷やすことになるのだが、生来の引っ込み思案で人見知りの性格がゆえ、無論淳とその男性たちとは何の発展も見せない。一部の幼馴染くらいしか友達がいないのではないかとお節介な心配をしてしまうくらい内向的な彼女だが、しかしそのお陰で必要以上に自分に引っ付いてきてくれるような気もするので、佐伯としては何とも複雑な心境だった。
 さて、そんな木更津淳という少女が佐伯の“彼女”になってもうすぐ半年が経つ。しかし、そんな彼女の性格が為か、はたまた佐伯がただ単に意気地の無い男だからか――佐伯は淳に、未だ手を繋ぐ以上のことが出来ないでいたのだ。
 「サエ、さぁ、え」
 「っわ、!」
 「何だ。起きてるんだったら返事してよ」
 隣で寝息を立てていたはずの淳がうつぶせになりながらこちらを見つめているのに、不意をつかれた佐伯は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。情けないなあと自省しながらも、しかし改めて今現在の状況を思うと、冷静さなど保っていられようもないというものだ。


 今日は二人にとって特別な日であった。
 東京の学校に通い、その付属寮に住む淳は月に一度、決まって帰省する。金曜日の部活終わりに帰ってきて日曜日の夕方頃には帰るのだが、今は丁度その真ん中、土曜日の昼下がりである。兄である亮、そして両親と家族水入らずに過ごしたのは昨日のこと。そして今日は、他でもない恋人である佐伯と一緒に過ごそうと、あろうことか彼女は――家に自分以外誰もいないことを知っていながら、なんとも危なっかしい格好で一人訪ねてきたのである。
 キャミソールワンピ型のネグリジェに、薄いカーディガン。それに不釣り合いな学校指定の長ジャージにスニーカーを履いてきた淳は、突然の訪問に驚いて目を丸くさせる佐伯もよそに無遠慮甚だしく家に上がると、そのまま佐伯のベッドに倒れ込んだのである。制止の声を上げる間も無く淳に手招きされるがまま恐る恐る隣に寝転べば、彼女はおもむろにジャージとカーディガンを脱ぐと、それをそのまま部屋の片隅に投げ置いたのだった。
 淳は一体、何をしにきたのだろうか。
 上手く回ってくれないのは頭だけではなく呂律もそうで、「あ、あああつし……?」と半ば狼狽する佐伯に対し、しかし淳はいつものポーカーフェイスのままやんわりと小首を傾げ、薄桃色の唇をぼんやりと動かしたのだった。
 「サエ。……一緒に、寝よ?」
 寝る。
 寝るとは、その……どういう寝る、なのだろうか?
 学校では千葉のロミオなどともてはやされている佐伯ではあるが、彼とてその言葉に不埒な妄想をよぎらせてしまうくらいには極々普通の中学生男子なのだ。その手の本や映像を見たことがないと言えば嘘になる。そんなに多く見たことはないが、少ないその中には――まさに今のようなシュチュエーションもあったことを、ひっそりと思い出す。
 かあっと顔が熱くなり、鼓動は段々とそのスピードを上げてゆく。試合中でもこんなに汗をかいたことがあったろうかという程の水滴が額に吹き出すのを感じて、佐伯は乾いてゆく喉を潤おそうと何度も何度も唾液を嚥下した。
 「サエ。ねえ今、ぼくでエッチなこと、考えてる?」
 薄桃色の小ぶりな唇が紡いだ言葉に、佐伯は危うく心肺停止状態に陥るところだった。
 超至近距離にある黒くて大きな瞳には情けなくも体を硬直させた自分の顔が間抜けに映っており、その表情は時を待たずしてみるみるうちに、まるで六角ジャージのような色に染まってゆく。
 淳は、目の前の少女は今、何を、何と、誰に向けて何を、言ったのだろうか?
 混乱の極みとはまさにこのことだろう。指先の震えを隠すようにシーツを掴めば、汗ばんだ手の平にひんやりとした感触が走る。それすらも扇情的に感じてしまうほど心はふらふらと浮ついており、それは酷く大きく、そして高く警鐘を鳴らし続ける心臓がそのまま体現していた。
 「え、……あ……その、ええっと……」
 口から出るのはどうしようもない無意味な声ばかりで、きちんとした言葉すら形成することの出来ない自分の頭と舌を佐伯は心底呪った。しかしそんなことをしたところで現状が好転するわけでもなく、ひんやりとした感触を伝えていたシーツはいつの間にかしっとりとしたものに変わっており、上目にじぃっとこちらを見つめてくる淳の瞳の中の自分は、その視線から目を外すことすら出来ないでいる。
 「さえ?」
 どこか悪戯っぽく口角を上げた淳は、そっと甘い息に自分の愛称を忍ばせる。
 ああ、そんな、淳、だめだよ、そんなんじゃ俺、おれ、もう……。
 情けなく、そして何よりも男らしい声が全身を泳いでゆく。そのスピードたるや海水を駆け抜ける鮪さながらだ。巡りを止めたところで死ぬわけではないが、きっと自分にとってそれは理性を手放すことと同義なのだろう。ああ、どうしよう。どうすれば……――
 「サエ……やっぱり、ぼくじゃそういうこと、したくならないの?」
 しかし。
 次の瞬間ぽそりと呟かれた予想だにしなかった言葉に、佐伯は、大きく目を見開くこととなる。
 今の今まで自分の姿を映し出していた黒く丸い瞳はそこにはなく、俯いてしまった彼女の顔は長い前髪に隠れて窺い知ることが出来ない。それでも佐伯は、その頬が紅潮していることに気付いてしまったから――俄かに、腹を括った。
 淳は今、何と言ったか。
 小さく呼吸を繰り返して、その意味を考えようと、滾る思考を必死になだめすかす。
 淳はテニス以外のこと、つまりは自分自身の容姿や性格にあまり自信が持てないのだと、前にこっそり佐伯に告白したことがあった。普段はそれを面に出さないようにしているのかそういった雰囲気は感じさせないが、二人きりになると時たまそうやって弱音を吐くことがある。それは佐伯にとって嬉しいことでもあったが、それと同時に、そんな淳の悩みをどうしてやることも出来ない自分にやるせなさを日々感じていた。
 惚気になるかもしれないが、佐伯にとって淳は、これ以上ない程の女の子だ。つまり簡単に言うと、『世界一』なのである。
 それは容姿だとか性格だとか、そんなふうにひとつひとつ上げるまでもないのだ。例え世間一般には欠点と見られようとも、それも含めて愛しい。例えそれが本人の気に入らないところであろうと、淳が愛さない分自分が愛してあげたい。
 そんな大仰なことを極々当たり前に思ってしまうほどに、佐伯は淳の何もかもを好いていた。
 だからこそ、淳が控えめに呟いたその言葉を、佐伯は見過ごすことが出来ない。
 理性はある。しかしそれをあえて捨て去ることも、時には必要なのかもしれない。そんなことを初めて思った中学三年生の健康優良男児は恐る恐る、まるで壊れ物に触るかのようにその頬に手を伸ばす。柔らかで温かな感触が指先から全身に、じんと伝わってゆく。
 ぱっ、と再び顔をこちらに向けた淳の瞳は、自分だけを映していた。
 「淳、俺はね淳……っああ、もう、あのね、あつし。淳の顔も、髪の毛も、性格も、仕草も、考え方も、そんでそんで……えっと、テニスも、あと、あと……体も!おっぱいもお尻も太腿も腰のくびれだって!……好き、なんだよ、何よりもっ」
 言い終えると同時に自分の上がりきった息に危うく理性が戻りかけるが、しかしそれを必死に追い返しながら佐伯は淳の頬に触れたままの指先をするすると下に移動させて、彼女のふっくらとした乳房を徐に掴んだ。初めての感触に心臓も思考もこれでもかというほどに暴れ狂っているが、しかしそれを抑え込むように佐伯は指の一本一本に神経を集中させ彼女の乳房をゆっくりと揉みしだいてゆく。温かくてとろけてしまいそうに柔らかなそれは、当たり前だが男の体のどこを触っても感じ得ないもので、自然、佐伯の下半身は熱を帯びていった。
 突然のことに驚きのあまり抵抗すら出来ずされるがままになっている淳はというと、何度も何度も目を瞬かせては、ぱくぱくと口を開いたり閉じたりさせることしか出来ない。
 襲うのは、佐伯の大きな手が自らの胸を揉み上げる感覚。
 その温もりを感じながら佐伯の言葉をゆっくりと反芻させれば、みるみるうちに全身が未だかつてないほどに火照ってゆくのがわかり、佐伯の骨ばった指先に乳房の先端を刺激され思わず漏れ出た自分の甘い声に、その羞恥は最高潮まで上り詰めることとなる。
 「さ、さえ……さえ……!」
 「淳、ねえ、俺も聞いてもいい?」
 「な、にを……!んっ、ぁ、そこ、だめだ……っ」
 キスも交わしていないというのに自分は何をしているのだろうか。これじゃあ変態と呼ばれても仕方がないのではないだろうか――そんな心配を遥かに上回る興奮と欲情。淳の喉の奥から零れる甘い吐息が、それに拍車をかける。
 こんな据え膳を用意されておいて食さぬ男がいるものか。それは断じて男ではない!
 佐伯は必死にそう言い聞かせ、そして自らも熱い呼吸を繰り返しながら、そっと問いかけをした。
 「淳は俺にこんなことされるの、嫌?」
 尚も揉み続けているせいか、段々と漏れ出る嬌声の間隔が短くなってきた。そのせいかわからないがうっすらと眦に涙を浮かべる姿には罪悪感が湧かないでもないが、しかし彼女の表情は反して、佐伯ですら知らないような極上の幸福色をしているのだ。どういうわけだろうかと一瞬、その手を止めてしまう。
 すると淳は弾む息をゆっくりと整えて、それからしっとりと汗で濡れる頬を緩ませた。彼女の小ぶりな唇が繰り返す浅い呼吸が、鼓膜を伝って思考にごわんごわんとこだましている。
 「嫌なわけないじゃん、ばかサエ……」
 ああ。
 こんな幸せなことが、この十五年間にどれだけあったと言えるだろうか。
 そんな大仰な叫びを今ここで全世界に向けて発したいほどに、佐伯の胸は温かで柔らかなもので満たされていた。それは物理的に彼女が佐伯の胸に自らの体を密着させてきたからかもしれないし、或いは、幸せというものがそんな形をしているからかもしれない。
 しかし佐伯にとって、そんなことはどちらでもいいのだ――今ここに、他でもない、淳がいるのだから。
 「淳、俺ね。世界でいちばん、淳のことが好きだ」
 呼吸で伝えて、そして薄桃色の唇に吸い付く。
 ついばむようなそれはお世辞にも上手いとはいえないかもしれない。しかし、それは確かに、淳と交わした初めてのキスだった。その事実だけで佐伯はこの世の誰よりも幸せになれる気がしていたし、そしてそれはきっと――
 「……ぼくも、おんなじだ」
 汗ばむ額に張り付く髪の毛をきらめかせ、そうっと首を傾げた淳も、きっと同じなのだろう。
 佐伯は淳の真似をするかのように、赤く照った頬をゆるりと柔らかなものにさせた。それから彼女の細い体をぎゅうと力一杯抱きしめて、思う。
 出来ることならば明日もあさっても一年後も十年後も、そのまたずっとずっと先も。こうしていたいし、きっとそうしていられたなら、それだけで自分は生きていけるのだろう――そう確信して、佐伯はそっと、淳の額に口付けを落としたのだった。


イメージソング:おっぱい/スピッツ

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