拝啓、ラッキーストライク | ナノ
※成人


 駅前のコンビニエンスストアで、いつものように弁当を二つ買う。今日は亜久津の好きな弁当が売り切れていたから、代わりに生菓子コーナーから無作為にひとつケーキを選んではカゴに入れた。レジで営業スマイルを振りまいているのは今日も同じ女の子で、毎日毎日ポイントカードの有無を問われるのが面倒で、ついにそれを作ってしまったのは三日前の話だ。ついでに、と煙草を二種類、一箱ずつ買う。会計を済ませ店外に出れば、空に広がるのは朝見た天気予報の通りの様相で、ぽつぽつと小雨が降り始めていた。
 何もかもが中途半端なまま、ただ時間だけが過ぎてゆく。それだというのに特に焦りも何も無いから駄目なのだろうと千石は考えていたが、かといって周囲への妬みなども湧かず、もしかしたら自分は何か大事なものを欠落させて産まれてきたのかもしれない、と気付いたのは、亜久津と居を同じくするようになって半年が経った頃だった。
 就職を先延ばしにする為に、親の金に縋って大学院に進学した。しかし、残された学生生活も残り僅かだ。半年なんてすぐに経つ。特に最近、時間の流れが以前にも増して早いような気がする。人間は楽しい時間ほど早く流れるように感じるというが、その道理でいくと自分は今を楽しんでいるということになる。不意に同居人の顔が頭に浮かび、何故だかおかしくて堪らなくなったが、それは幸福がもたらす種類の笑みなんかではないことをわかっていながらも、千石は今日も小さなアパートの簡素なドアを開いたのだった。
 「ただいま」
 亜久津と同居するようになる前に付き合っていた彼女から貰った靴を無造作に脱ぎながら、千石は内鍵をかける。中から返事はない。いないのだろうか。考えて、しかしざわざわと鼓膜を震わすつけっぱなしのテレビの音に、その存在を確認する。四畳半のリビングルームは成人男性が二人も居座れば余裕はほとんど無いが、千石はともかく亜久津は持ち物が極端に少ない人間だったので、そこまで不便しているわけではなかった。
 小さなテレビは、このご時世だというのに箱型のブラウン管だ。玄関で無造作に重なっている靴をくれた彼女の、二人前の彼女から譲ってもらったものである。OLをしていた彼女の腰のくびれを思い出しながら小さなローテーブルに買い物袋を置くと、千石はテレビのリモコンを探そうとその場に四つん這いになった。
 ブラウン管の前で目を重くさせている亜久津はまるで自分などいないかのようにごろんと横になったままだ。クッションの下、座椅子の上。そんな彼に構わず辺りを探す。
 「ねえ亜久津」
 呼ぶも返事はない。昔とは違って下ろされた前髪は、色も生まれながらのものに変わっている。長めの茶髪がさらさらと重たげな二重を隠しているのを覗き込もうとして、しかし寸でのところで制された。
 「なぁんだ、気付いてるんじゃない」
 物言わぬ大男に軽く笑いかければ、亜久津はぼんやりとテレビを眺めていた大きな眼球をぎょろりと千石に向け、そして何も言わずにまた戻す。
 「ご飯。あとマルボロとケーキ、買ってきたよ」
 今日、亜久津の好きな幕の内弁当、なかったんだ。唐揚げ多めのあれね。そう呟くと亜久津はもう一度視線を千石へと向けたが、しかしすぐに興味なさげに逸らされてしまう。
 面白くもない日常を面白おかしく語る芸人がテレビの中で笑っている。亜久津の特徴的な瞳越しにその様を見ていれば、ちりちりと遅れるようにして訪れるのは、得体の知れない焦燥。
 「亜久津」
 名前を呼ぶも、図体はぴくりとも動かない。
 白魚のようなしなやかな体は生来のものなのだろう。どんなに日に焼けても赤くなるだけのそれが、千石は昔から好きだった。それなのにどうして、自分で傷つけるような真似をしてしまったのだろう――思い至って、千石は思わず目を瞬かせる。
 ようやっと知れたそれは焦燥ではなく、自身の欠落した“何か”への心当たりだった。
 「あくつ、」
 もう一度、その名を口に乗せる。乾く喉を潤おそうと唾を飲み下せば、にわか雨が本格的な土砂降りに変わりゆく音に気付く。しかし、ごうごうと鼓膜の奥で響く雨は果たして本当に外のものなのだろうか。今の自分にはとうとうわからなかった。
 だが、千石は言いあぐねていた言葉をひとつ、ようやっとその口に出すことが出来たのだ。それは他でもない、響く轟音のおかげだ。
 「ごめんね」
 亜久津の体が、ひく、と緩やかに振動する。
 目敏く察して千石は、彼の眼球がこちらを捉える前にと亜久津の正面に回った。
 古臭い木のにおいが充満しているのは、築年数が古い木造アパートだからだ。雨の日は殊更酷くなる。しかし千石はそれが嫌いなわけではなく、それに関してだけは、珍しく意見が一致した。神経質な彼らしくないと笑えば、亜久津は不機嫌を装って煙草をくわえた。今となっては懐かしい話だ。
 「……遅ぇよ」
 お前は、何もかも。
 眼光鋭い男から、似合わぬか細い声。ざあざあと降りしきる雨に掻き消されそうなそれは、しかし千石の目には確かに映っていた。
 もう一度名前を呼んで近付けばその拍子、手に当たるのはテレビのリモコン。そっと電源ボタンを押してテレビを消せば、しなやかなその体に添うようにしてその場に身を横たえる。
 「亜久津」
 「煙草」
 「……ん。どうぞ」
 所望されたものを渡してやれば、亜久津は仰向けになりながら煙草を一本くわえる。火をつけるでもなく、ただそうしているだけだった。天を仰ぐ煙草を見つめていたら自分もと真似をしたくなり、千石はラッキーストライクの箱を袋から取り出す。そんな彼を横目に見ていた亜久津がひとつ鼻を鳴らすものだから、千石は小さく目を細めて、よいしょっと同じように仰向けになった。
 二人して煙草をくわえ、火もつけず。傍から見れば、さぞ馬鹿らしい光景に違いない。
 「あのね、ケーキ。適当に買ったつもりだったんだけどね、モンブラン選んでたよ、俺」
 愛がなせるワザだね。煙草をくわえているせいで喋りにくいが、語尾を上げつつふざければ、もう一度鼻で笑われた。しかしその拍子不意に、亜久津の白い頬に赤みが差しているのが目に入る。触れようとして逡巡するも、やがて隣から伸びてきた無骨な手にそれは掴まれた。
 「女は上手く愛せんのにな」
 「誰の話?」
 「すっとぼけんな」
 隣合うぎょろりとした目が、言外に自分を指しているのだと察するのは容易なことであった。しかし亜久津からそんな言葉が出るのは初めてだ、とどこか嬉しくなっていれば、悪趣味だと自らの頬にその手を持っていった亜久津に面食らってしまう。
 「あく、」
 「俺は女も男も関係ねえよ」
 「……何が?」
 わかってるくせに聞くんじゃねえ、と。そう言われている気がしたが、しかし千石は構わずその目で問う。
 就職活動の為に地毛に戻した髪色は以前と比べればだいぶ暗い茶髪になったが、それはそれで亜久津とお揃いだと思うと気持ちが悪くて楽しくなれた。
 「俺はどっちも上手く、出来ねえ」
 亜久津は、自らを“人を上手く愛することの出来ない人間”と称す。しかし千石に言わせてみれば、それはどちらかと言えば自分の方に思えてならないのだ。それこそ亜久津の言う通り、性別など関係ない。
 ただ、ひとつ言わせてもらうとするならば、千石が今まで生きてきた中で最も“そうすること”が難しい存在が亜久津仁という男だった。
 だからこそ千石は、時折誤ってしまう。
 「セックスの話?」
 「うっせえ。そりゃお前よか上手ぇよ」
 「へえ、じゃあ今日は亜久津が挿れてみる?」
 「調子乗ってんじゃねえぞ、千石……」
 わざとらしく話を逸らしてみれば、亜久津の口端がひくひくと吊り上がるのがわかる。面白くて堪らず噴き出せば、とうとう痺れを切らしたのかおもむろに上体を起こした亜久津は、ローテーブルの上に置かれていた百円ライターで煙草に火をつけた。自分もと起き上がりその煙草に自らの煙草を押し付けるようにすれば、マルボロの火はラッキーストライクへと点火する。その衝撃にぽろりと二人の唇から落ちた煙草はローテーブルの上でもくもくと煙を立て、彼ら二人の苦い口付けを覆い隠すのだった。


 いつか来る日をただじっと待っている。
 きっと全てが終わった時に、たくさんたくさん、いろんな後悔をするんだろうね。
 頭が良くない俺たちはそれでもきっと、そうすることを選んだはずだから、だから――


イメージソング:Lucky/SUPERCAR

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