どうして。
 どうして、どうして、
 どうしてまた、独りなの

 相変わらず閑古鳥が鳴いている方が多い私の店は、頭の悪い小娘がいなくなった事によって、また静寂を取り戻していた。
 一応開店の準備をして、客用の席に腰掛けて床の木目を眺めた。
 朝食も夕食も、いつも作り過ぎてしまう。やたらと食べるあの娘がいたから、二人分よりも多めに作るのが当たり前となっていたのだ。
 当たり前。そう呼べるぐらい、あの娘は私の中に馴染んだ。
 田舎の訛りはとうとう最後まで直らなかった。いや、途中から直せと言わなくなってしまったから、彼女もその気が無くなってしまったのだろう。

 適当にテーブルを拭く彼女の手を叩く。ちゃんとやりなさい、と。眉をひそめると同じ様に眉をひそめ、やっている、と口を尖らせながら言い返してくるあの娘の顔を思い出していた。
 昔来ていた服を着せて、揃いの頭巾などして、私の後を付いて歩く彼女と私を見て、立ち寄った店の人間か、客かは覚えていないが「親子みたいだ」と言われたことがあった。
 あの娘はニコニコしていて、同意を求めてきたが、そうねと肯定するのも否定するのも照れ臭くてバカじゃないのと彼女も、親子だと言った相手も叱りつけた。
 その言葉が時折頭の中で再生されて、いつの間にか顔が綻んでいる。私だって、嬉しかった。

 初めて「家族」が良いものだなと思えたのが彼女だった。
 恋人がいた事はあった。恋人と呼べるかは分からないが、私を抱き隣にいてくれる男がいたこともあった。皆、死んでしまったけれど。
 独りと二人を繰り返す日々を送っていた。彼女を買ったのは独りの時だった。初めは失敗だと思ったのだ。言う事は聞かない。それどころか反発さえする。金の無駄だったと。
それが、気付けばあの娘は私の内側へするすると入り込み、馴染み、居座っていた。私もこの娘と二人で過ごすことが苦では無く、次第に心地良くすら思っていた。これがずっと、ずっと続けば良いと思った。

 なのに、貧しくても幸せだった関係を、私は自ら壊したのだ。
 あの娘と共にいれる幸せより、金に目が眩んだのだ。幼い頃から憧れていた富が手に入ると思った。富が手に入れば、幸せも道連れに出来ると思っていた。全て良い方向へ転がると。
 だから自分が死んだらおしまいだと必死だった。自分が死ななければどうにかなると信じていたのだ。あの娘を犠牲にしてでも、私だけはと盲目になっていた。

 手にしたのは、ちっぽけな金と孤独だった。死体が無ければ作れば良い。けれどそれにも限度がある。肝臓が無ければ料理も作れない。
 あの娘がいなくなって間もなく金も尽き客も尽きた。

 再び私は独りとなった。朝目が覚めても、喧しく挨拶してくる声も存在を確かめるように抱きしめてくる腕も、重みも、体温も、無い。
 無音とは、こんなに静かだっただろうか。あの娘がいた頃はいつも音がしていた。静かでも、彼女が息を吸う音がした。歩く音がした。
 無音は、とても静かだった。



 開店休業状態の店に、ギイ、と扉を開く音がし、私は顔を上げずにそのまま客を追い返そうと声を出した。酷く篭っていて、自分の声に一瞬聞こえなかった。

「今日はもう店仕舞いよ。泊まるだけなら、金だけ置いて勝手に部屋使って良いから」
「そういえば此処は宿屋だったな。随分とくたびれているじゃないか」

 良く通る低い声。聞き覚えのあるハリのある低音を聞いて、漸く私は顔を上げた。暗い青い髪と、通称にまでされた髭を蓄えた骨格の良い貴族風の男が扉の前に立っていた。否、貴族なのだが。
 彼の良からぬ噂は辺境にある私の宿にまで届いている。だからもう、私の事など忘れてしまっているだろうと思っていた。まだ彼も私も随分と変わってしまったから。

 以前会った時とは爵位が上がっていた男は、以前会った時と変わらない傲慢な態度で、皮肉っぽい笑みを浮かべながら私を見下ろした。
 今頃再会した所で、互いに話す事など無い。私はそう感じたのだが、彼はそうではないのだろうか。だから、こんなタイミングで、あの娘を失って感情が一つ欠けた様な私の元に来たのだろうか。

「あの娘はどうした? やけに可愛がっていた下女がいただろう」
「あのコなら死んだわよ……私が殺したのよ」
「……そうか。私も妻を殺めた。愛していたのに、許せなかったのだ」

 彼は懺悔をしに来たのだろうか。神様でも何でもない、唯の人殺しの元に。強欲に心を汚された惨めな惨めな私の元に。
 彼の城と私の宿とはかなりの距離があるのに、どうしてわざわざ私の元まで来たのだろう。

「……何しに来たのよ」
「許されない罪を重ねてきた。神に祈った所で意味を為さないだろう。だからせめて、お前に言っておきたかった」
「何よソレ」
「十年来の友人だろう? 良いじゃないか、何を喋っても」
「……フン」

 青髭が静かに笑う。息を吸い、吐く音がする。あの娘の可愛らしい音とは程遠いけれど、誰かが側にいる、という確かな音を聞いてしまった。
 その瞬間、私の胸の内であの娘が笑った。ぱたぱたと軽い足音が店内を駆けまわる音と振動がした。おがみさん、と強い訛りで私を呼ぶ声がした。
 溢れた、と思った。私に残されていたあの娘の面影が一気に溢れだして消えたと思った。

 久しく呼ばれなかった名前を呼ばれて、ハッとした。手の甲に水滴がいくつか落ちていた。泣いていた。
 勝手に寛ぎ始めていた青髭は、心配そうにこちらを伺っていた。
 指先で、化粧が崩れない様に気を付けながら、目元の涙を拭い、息を小さく一つ吐いた。
 口を釣り上げて笑ってみたものの、きっと痩せ我慢にしか見えないだろう。痩せ我慢なのだから仕方が無い。きちんと、真っ直ぐに見た彼は随分と老け込んで、それでいて歪んで見えた。

「アタシにそんなこと懺悔しても、許しなんて降りないわ。アタシだって罪人なんだから。シケた顔で見ないでよ。こっちまで気分が下がるじゃない」

 強がりを吐くと、幾分か楽になれた気がした。青髭は面食らった顔をしていたけれど、昔見た顔に近くなんとなく安心した。
 日が昇っていても薄っすらと寒い店内は、夜が近付くにつれ寒さを増してきた。ファーを首元に寄せて、ミルクでも温めようかと立ち上がる。
 貴族様にも飲むかと聞いたが、もうそろそろ戻るからと断られた。

「罪を犯せば必ず罰が下る。神様は全て見ているって言うけれど、私みたいな底辺の人間まで、目は届くのかしら」
「神が見ていなくても、誰かが罰を与えに来るさ。それが正であれ負であれな。正しい情報など関係無いのさ。自分が安心出来ればな」
「……そうなのかもしれないわね」

 少し考える素振りを見せてから、青髭は帰ると告げた。見送りに外まで行くと賢そうな馬が一頭、大人しく主人を待っていた。彼は馬を撫でてから背に飛び乗り、手綱を握りながら私を見た。

「もう、会えぬ気がして今日やって来たのだ。これが私の杞憂だと良いのだがな」

 私の返事を待たないまま、彼は言葉少なに挨拶をして馬を走らせてしまった。思えば家来も従えずに一人でこんな場所まで来るなんて彼らの様な階級からすれば非常識な様に思えた。わざわざ来たと思えば、不吉な言葉を残していった。
 あの男は昔からいけすかなかった。田舎訛りの取れない私を見て笑ったりして、不愉快極まりなかったのに、それがどうしてこんな歳になってまで縁が続いてしまったのだろう。

 しかし、私も同じ様な事を思っていた。今日青髭と会わなかったら、きっと一生会う事はないだろうと。それは、私か彼か、または二人とも、近いうちに生きてこの世にはいないからだろうとも、思った。
 あの娘が会いに来る。あの娘が奪われたものを取り返しに戻ってくると思った。さっき感じた幻想は、きっとその予兆だ。あの娘は私の元へ帰ってくる。それが私の最期だとしても、会えるのならそれでも良いと思った。
 トントンと扉が叩く音が鳴る度、私は恐怖と期待を抱いて扉を開けているのだ。









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伯爵と女将は若い頃からの腐れ縁だって信じてる






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