吹き渡らばソヨゴまで

 簡易ベッドに座って、やけに高い位置にある小さな、到底抜け出せそうに無い小さな窓を見上げる。逃走を防ぐ為だろうが、そんなこと考えるなら窓など作らなければ良かったのだ。小さな四角い窓には細く鋭利な月が更に小さく見えた。外の温度も風の匂いも感覚も、そもそも風が吹いているかどうかもわからない。
 月光に照らされる白髪がきれいだと思った。光っているように見える。
 触れるとあまり障り心地が良くない。自分と似ている。

 妹は今どうしているだろうか。安らかに眠っているだろうか。良い夢を見れているだろ うか。俺達の世界はこの中が全てだから、彼女に「しあわせ」が分かる日はきっと訪れない。それが可哀想だ。俺だって知らないけれど、この厚く冷たいコンクリートの向こうはもっと広くて美しいのだろう。
 彼が言っていたのを思い出す。雲ひとつ無い空は吸い込まれそうだ、とか、港町は賑やかで色々な匂いが混ざっているのにどこか良い匂いがするとか、話だけでは理解出来ないことばかり。

「眠れないのか」

 アビスが呟く。眠れないのではない、眠らないのだ。緩く首を振るとそうかと短く返事を寄越して、彼は俺の目を手で覆った。
 月に魅せられたら此処にいるのが嫌になるぞ、とか、そんなことを言った。
 よくわからないが、淡く光る月はきれいだ。
 あの子を外へ連れ出したやりたい。あの月を外へ出て見せたやりたい。
 そんなことを、ずっと前にも考えた事がある気がしたが、到底無理な話だ。


 ユズリハを想う

 今日は奴が来ない。
 初めてあった日から数えて、訪れない日の方が断然多いのだけれど。
 なんだか今日は来るような気がしたのだ。どうしてだろうか。
 味気の無い食事を摂っていて、ふと思いつく。今日は部屋から外へ出ていない。妹も来ないし、行ってもいない。何かの検査も無い。監視卿が押し入っても来ない。そういう時に溶け込むように現れることが多いのだ。だから、今日も来ると思ってしまったのか。洗脳されているような気分になる。
 彼が置いていった花を、一時期部屋の隅に飾ってみたがすぐに枯れてしまった。監視卿に知らぬうちに捨てられていた。
 あの花は何と言う名前だったか。大きくて黄色くて花弁がたくさん付いていて、ああそう、ひまわり。ひまわりだった。花と言えば俺の中の知識はチューリップぐらいしか無く、大きさと色の鮮やかさに驚いた。

 何を思って彼はアレを持ってきたのだろう。子供みたいにはしゃいでしまったことを思い返して恥ずかしくなる。同時に嬉しそうに笑うアビスの顔も思い出す。花瓶をどうにか借りて水を溜めて突っ込んで数日は、なんだか無性にうれしかった。本物の花。良い匂いがした。日当たりが悪い部屋だからか、すぐに枯れた時も命はこんなにもあっさり朽ちるのかと感動していた。
 ひまわりは茎が長くて子供ぐらいあるのだそうだ。しかも単体ではなく、群れを成して咲いていると聞いた時は少し怖かった。そんなでかい花があるのかと。その上大量にあるのかと。ゾッとしたが、今こうして思い浮かべると色鮮やかなひまわりの群れは眩しいのだろうと思う。その真ん中に立つ妹を想像する。
 彼に、ひまわりの群れは似つかわしくないなと思ったら扉が叩かれる音がした。



 こがね光る ロウバイ萌ゆる

 向日葵は太陽がある方向に顔を向けるんだ、と言うと彼は酷く驚いた。
 植物が動くのか、と言いたそうな顔をしている。睨むように向日葵を凝視する様がまるで、異物を見る猫の様で面白い。花を顔にくっつけると慌てて距離を取って、私を睨んだ。やはり猫の様に一生懸命顔の周りを手で払う。花粉でも付いただろうか。
 季節感の無い施設だから、それらしいものでも持ってきてやろうと勝手に一本拝借してきたのだが、見た事が無かったらしい。というよりも、必要のない知識は「消えて」いるようだ。以前会った時はやけに頭が良かった気がする。

 あげよう、と一輪だけの向日葵を与えると、彼は少し逡巡して部屋を出ていった。彼の「部屋」に取り残される。
 まるで檻だな。小さな窓に付いている無駄な鉄格子が日光を受けて壁に影を作る。檻だ。この檻を部屋と認識して、当たり前に過ごす彼らは外を知らないから異常に気付けない。哀れな「兄」だ。

 暫くするとフラーテルが戻ってくる。柄の無い白い陶磁器を両手で持っていた。中に水が入っているらしくたぷん、と水が揺れる音がした。
 そこへ向日葵を差した。部屋の隅にある机に飾って、彼は満足そうに息を吐いた。一応花に対する知識は全くない訳ではないようだ。

 はなは、みずがないと、しぬんだろう
 と口が動いた。と、思う。花だけでは無く、生のあるものは大体そうだが、言ったら面倒臭くなりそうだからただ頷いて返事をする。
 あとでそろるにもみせる、と言うから喜ぶと良いなと返す。フラーテルは嬉しそうに、くすぐったそうに笑ってから、見られているのが恥ずかしいのか顔を逸らした。頭に手を乗せても抵抗しなくなったのは何時頃だっただろうか。
 兄らしい思いやりに、人間性がまだ残っていると嬉しくなる。
 そうやって元の彼を思い起こさせる前に、また無へと戻されてしまうのだろう。
 私は何を必死になっているのだろう。


 永影、ポプラ通りへ

 監視卿に外へ出たい、と筆談で猛攻したらあっさりと許可が降りた。
 ただし、一人でという条件と本日中に帰ってくるという条件付きだ。

「約束守らないとソロルがどうなるかわかるね」

 外出するにあたって、その格好では駄目だと洋服を押しつけながら監視卿は言った。わかっているつもりでも、言われると人質を取られているようで嫌悪感が増す。
洋服はサイズがぴったりだった。少しだぼつくが、気にはならない。
 靴を履いて、コンクリートの城を出た。風が、出迎える様にこちらに向かって強く吹いた。

 外の匂いを、明かりを、眩しさを感じて、あの中は酷く暗かったのだと気付く。
 どこかで虫が忙しなく鳴いている。絵の具をぶちまけた様な青が空一面に広がっている。眩しい位白くて大きな雲が地平線から顔を出していた。
 漠然と、広い、と思った。汗が額に浮かぶ。暑い。
 四季があるのは知っている。春と夏と、秋と冬。暑い季節は夏だから、今は夏なのだろう。
 長袖を寄越した監視卿はわざとか。あの野郎。

 適当に歩きながらやはりソロルと来たかったと思う。絶対に喜ぶと思うのだ。
 そのまま逃げてしまうから、一人なのだろうが。実際逃げるだろう。追手が来なくなるまで逃げるだろう。
 監視卿や研究員が外へ出したがらない理由が分かる気がした。これは、帰りたくなくなってしまう。けれど、帰らねば。
 汗で濡れた前髪がぺたりと顔にひっつくのが鬱陶しい。汗を拭って、顔を上げると、ぽかんとした顔をした知っている男が立っていた。

「珍しい所にいるね。逃げたのかい」

 年中同じ出で立ちの仮面の男は夏でも暑苦しいマントだの仮面を付けているのに涼しい顔をしている。けれどやはり暑いらしい。汗が滲んでいる。
 事情を説明すると成る程ね、と随分暗い声を出した。なんとなく足元を見ていると、室内より影が黒いと思った。興味があちこちへ移って尽きない。

「私もあまり明るい道は歩ける人間ではないが、世界のエスコートでもしてあげようか」

 俺の返事を待たずして、アビスは先を言ってしまう。あの施設が見えなくなる程離れるのは少し気が引けたのに、付いていく過程で考えが吹き飛ぶ。
 これで彼とはぐれたら、帰れなくなる。それでも良いかもしれないなどと、一瞬だけ思った。


 高きピラカンサの防壁

 目が覚めると知らない牢屋の様な場所で横たわっていた。簡易的なベッドと小さな机と椅子しか無い、殺風景な部屋。部屋、だろうか。
 何が起こったのか考えると頭が鋭い痛みに襲われて思考が止まる。自分が誰なのかもあやふやだった。気分が悪い。
 薄汚れた白い検査着を着ていることに気付き、何かの検査中なのかと案を出す。汚れ具合からいって俺は長い間ここにいるのだろうか。

 ゆるゆると頭が痛くならない程度に思考を巡らせていると、コンコン、と扉が叩かれる。何か返事をしようとする前に勝手に扉が開いて仮面を付けた白髪の男が入ってきた。

 考えるよりも前に体は警戒の体勢を取っていた。完全に不審者ではないか。
 何気なく近付いてくる男と距離を取る。此処は、こんな男が自由に出入りして良いような場所なのか。立ち止まって腕を組んで何事かを考えているらしい男を観察しながら、助けを呼ぶ方法を考える。
 いや、親しげに近付いてきたから知り合いなのかもしれない。今の俺だ、忘却しているだけの可能性もある。
 フラーテル、と男が俺を見て言う。名前、だろうか。俺の、名前。フラーテル。
 頭の中で反芻して、同時にもう一つ名前が浮かぶ。いもうと、確か俺には妹がいるのだ。姿はあまり思い出せないけれど。

「フラーテル……いや、ああ、またか」
「――――」

 声が、出ない。
 驚くあまり手を喉にやる。喋れない。声が出せない。

「何度も繰り返せば、どこかに支障も出るだろう」

 混乱している俺をよそに男の声は落ち着き払っている。何度も、繰り返す。
 声が出ないのは薬か何かの影響なのか。この男は何かを知っているというのか。多分知り合いであろう男は警戒している俺を仮面越しに見る。仮面の奥の黒い目は憐れみが含まれていて、身体のどこかで恐怖が浮いた。





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お題配布元:夜風にまたがるニルバーナ





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