ゆっくりと意識が浮上して、次第に頭が覚醒すると鉄の臭いがすることに気がついた。目線を下に移すと枕元が赤く染みていた。
 自分の髪にも少しこびり付いていて、一体何事かとまだ鈍い動きで半身を起こす。どうもこの赤いものは血液らしい。次いで鼻の下に違和感を感じて手の甲で拭うと乾いた血液がついた。眠っている内に何処かに打ったのか、血管が切れたのか鼻血を出していたらしかった。
 そう思うと喉の奥から匂いがしている気がする。

 自分が鼻血を出したことより、今使っている寝台は贔屓にされている伯爵邸のもので、ここはその伯爵の自室である。汚してしまった。
 隣で眠っている筈の伯爵はおらず、ベッドには私1人。娘の待つ酷く脆い家には到底見合わない大きくて綺麗な寝台に1人でいるというのは何だか非常に心細く思えた。此処が唯の依頼主ではなく、性欲処理の相手にもなっている所為でもあると思った。

 笑える程滑稽で不毛な関係が始まったのはいつだったのか。よく覚えていないが、いつしか仕事以外でも呼び出される事が増えていたのだ。
 声を出すな。目は伏せておけ。私は謂わば生きた道具なのだ。金になるなら、娘の為ならと言われたことは忠実に守ってきた。それでも生きている。人間である。何がしかの感情は沸いてしまう。

 伯爵に特別な感情を抱いたという訳ではないが、他の依頼主よりも顔見知りである為、感情が沸きやすくはなっている。
 それで情事の際に耳元で吐息など吐かれたらおかしな感覚にもなる。心細いと思ってしまっているのも恐らくその所為だと思いたい。

 ドアノブがガチャンと鳴って扉が開く。伯爵はYシャツとスラックスというラフな格好で入ってきた。ベッドに座っている私を見て、上辺だけ笑い「おはよう」などと声を掛けてきた。

「おはようございます。あの、伯爵……」

 原因不明の出血について説明して謝罪すると、伯爵は一瞬無言になりすぐ声を出して笑った。

「構わんさ。買い替えたら良い話だ」

 貴族殿には洗うと言う選択は無いらしい。もう一度謝って私はベッドから降りた。体力の要る仕事が多いから一応食べてはいるが、必要最低限も摂取出来ていないから、腕の不健康な細さに目がつく。
 立ち上がると軽い目眩。ふらつく私を今まで背を向けていたくせに伯爵は目ざとく見つけ、肩に手を掛けて「大丈夫か」と問うた。

 ただの貧血だと告げると訝しげにこちらを見ていたが、暫くすると身支度に戻っていった。もうそろそろ先日家を脱走した娘が起き出す頃だ。私も家を出なければ。恐らく彼女は私を怨んでいるだろう。
 邸宅では仮面を付けると逆に浮くからと禁止されている。自宅以外で素顔を晒されているのは不安に駆られるのだが、それも命令だというのなら私は守るだけである。

 よれたスーツを着、襤褸布のような褪せた赤色のマントを纏って伯爵に一声かける。ああ、と気の無い返事を寄越して私に見向きもせずに書類を漁っている伯爵を確かめて、部屋を出た。

 呼び出されたのは娘が寝付いてすぐである。まだ早朝の域ではあるが、あの子は人の気配に鋭い。もしかしたら目が覚めて私を探しているかもしれない。何にせよ次の仕事の準備もあるから早く帰らねばならない。仕事の危険さと報酬の釣り合わなさに落胆しながら帰路を急ぐ。
 私と彼女に時間は多くないのだから。










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ナチュラルに事後で申し訳ない



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