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変わらないこの世界







その日俺はとあるバーで、ただ徒に時間をつぶしていた
用があった訳でも酒が飲みたかったわけでもない
日が沈んで月が昇っても昼間のように明るくにぎやかな街の中居場所も行く先もない俺はこのバーにたどり着くのが日課になってしまった
ここは大阪の中にあって東京の味を恋しがる俺をいつでも心地よい無干渉で受け入れてくれる
ああ、今日もまた夜が明けるまで今日という意識もなくただただ酒を慈しみ、
何時までも訪れぬ革新の日に恨み言をこぼし、都会の塵の一つとして裏路地に埋もれ漂うのだ

いつからだろう、俺の足元がこんなにおぼつかなくなったのは

俺からは遠いカウンターでマスターと客が談笑している声が聞こえる
それがどうしようもなく煩わしくて頬杖をついたまま目を閉じた
ぐるぐるその声と酒とが俺の中でごちゃごちゃになって思わず頭を伏せたそのときだった


「探したで」
「・・・・・・・・・」


頭をもたげてそちらを見れば俺の隣には体格の良い男が立っていた
俺は驚いて身体ごと振り返る
上等な白のスーツ、後ろに流された金髪、表情を隠すサングラス
忘れられるはずもない、関西裏社会で知らぬもののない男
原田克美は俺を見て口角を少しをあげた


「原田さん・・・!」
「おう。ここええか」
「もちろん・・・」


慌てて体を起こす俺の隣に腰を下ろし、ふうと息を吐きながらサングラスを直す彼はどうにもこの安い酒場から浮いている
俺はそんな原田さんの空気に押されてさっきまでの鬱々とした酔いから一転、
悪事を働いた訳でもないのにぎくしゃくと心臓が変な鼓動を始め、心が高揚しているのか危険を感じているのか俺にもわからなかった


「なにを怖い顔してんだ
久しぶりに会ったんだ、少しは喜んでくれないんか」
「あ、いえ・・・その、お元気そうで・・・」
「・・・まあええわ」


くく、と笑ってマスターにカクテルを注文する原田さん
突然の来訪者に俺はどうしていいかわからなかった

俺はもともと東京で麻雀を打ってた
そこそこ名前も売れていたし、打てば熱く、遊べば愉しく、敗北につきまとう破滅というリスクを背負いながらもなんの不満もなかった
やがてひょんなことから関西の組からオファーがかかった
関西と関東では守られるルールが違うし、なにより世界が別だ
そんな異例の招待に、俺も異例の快諾で返した

西の夜は愉しかった
東京よりも派手で風情は乏しかったが皆どこか己の欲に正直だった
俺はそれが嫌いじゃなかった
俺もどんどん西に染まった
生きるために勝負し、勝負のために生きていた
そんな自分に確かに酔ってはいたが、西の人々のように一途だった

しかし、みょうじなまえという石は砕けながら坂を転げ落ちていった
この、原田克美と出会って。


「最近とんとご無沙汰らしいな」
「・・・麻雀ですか」
「なにを白々しい。それ以外になまえサンになにを問うっていうん」
「・・・」
「なら、俺が今誘っても打ってくれんねやな」
「・・・」
「・・・まるで抜け殻や」


笑みを崩さないまま、原田さんはグラスをぐいと煽った

毎日のように牌をさわり、不可分なほどに麻雀に生きていた俺にはあの敗北は大きすぎた
愛情が大きければ大きいほどそれが憎しみに変わったとき憎悪が激しくなるように、今や麻雀は俺が地上で最も畏れ、忌み嫌う儀式になってしまった
俺は原田克美に負けてこの闘牌で守るべき人々を地獄につき落とした
その姿は今も瞼を離れない
俺は原田さんのグラスの中で揺れる氷の涼しげな音に目を閉じることもできなかった


「何をしとるんや…」
「・・・」
「あんたがそうやってビビって動けなくなっとる間に、時間は進んでる」
「俺は・・・」
「ええかなまえサン、世界は動いてる。戦争は始まってる」
「戦争・・・?」
「俺がおどれを殺したように、西は東を殺りにいく」
「西が、東を・・・!?」


思わず目を見張り、身体を乗り出す
時計が動き出したように、俺の頭は晴れた気がした
俺が酒に酔っている間に、戦争の準備は整っていたのだ
原田さんの言おうとしていることが俺にはわかった
麻雀社会が、ひいては裏社会全体が時代のうねりを迎えようとしているのだ
自分が今いる世界の鼓動が聞こえた気がして俺は原田さんを見つめたまま動けなかった
俺の心の内を読んだように原田さんはニヤリと笑った


「選りすぐりの雀士を選抜して、東の息の根を止める」
「東、の・・・」
「そう。おそらく東は赤木をつれてくる」
「あ、赤木さんが・・・!!」
「主砲やろなあ、あのお人は」
「赤木さんが出るなんて・・・!でも赤木さんに出られたら西は・・・」
「こっちは僧我さんをぶつける」
「僧我さんも勝負に・・・?」
「わかってへんな、この勝負にかかってるんはおどれの首だけやないで
西も東も出し惜しみ一切なしの総力戦や」
「・・・・・・でも、何でそれを俺に」
「くく、とぼけるのが好きやなおどれは
戦え、西のために」
「俺は東の出なのに?」
「今は西の雀士や」
「途中でわざと負けるかもしれない」
「せえへん。絶対に」
「何でそう言い切れるんですか」
「一度真剣勝負をしたからわかる
おどれの腕が欲しい。一緒にきてくれ」


話はどんどん進んでいく
速まる鼓動に合わせるように早口に屁理屈をこねる俺を原田さんは目で黙らせる
何もいえなくなった俺は逃げるようにグラスに視線を落とした
なまえサン、と低く名前を呼ばれた
逃げられないと悟った
いや、逃げたくなかった
僧我さんたち西の精鋭と一緒に、原田さんと一緒に、これからおこる革命に飛び込んでしまいたかった
俺をここまで堕落させたくだらない保身はしかし口をつぐませる
今更守るに値するものなど俺は何も持っていないのに


「わかっとるやろが、誰でもええ訳と違う。九州、四国、中国、近畿からわいが直々に集めとる
各地を巡りながら、最後の椅子、誰のために空けといたかわからんか?」
「・・・」
「勝負したときから思っとった。いつか関西天下のための大戦争が起こる。
そのときにこいつは絶対つれていく、てな」
「そんな、勝手な・・・」
「言うなれば天下分け目の関ヶ原、わいはおどれと東に勝ちたい。天下を肴に、おどれと杯を交わす
おどれがなんと言おうとわいはおどれを連れていく」
「・・・もし、負けたら」
「・・・
ただじゃすまん。悲惨やろな、西の雀士すべてを背負っていくわけやから、負けは許されん」
「・・・」
「怖いか?」
「っ・・・違・・・」
「こっちにきたばかりの頃、おどれは怖いもの知らずやった
それはそれで自由で天衣無縫な闘牌やった、けどな
自分が後ろに何を背負ってるか、振り返っちまった今のおどれの麻雀がわいは見たいんや」
「いまの・・・俺の?」
「そうや。おどれは恐れを知った」
「・・・原田さんから、教わりました」
「・・・せやな」
「そりゃ、正直怖くなくなんてないです。そんな大仕事俺につとまるのか、負けたら俺はどうなっちゃうんだって」
「・・・けどな、知っとるか、わいかてぜんぜん怖ないわけやない」
「嘘だ・・・そんなの」
「嘘やない。けど、おどれが同じように戦ってると、なるほどどんな危険牌でも切れる。不思議やな」
「なんですかそれ・・・」
「なまえ、もう止まってたらあかん。全部変えようや

わいがついとる」


俺は一時は憎み、そして身悶えるほどに羨み憧れた原田さんが何故心から俺に語りかけてるかは分からなかったが
突然、涙がこぼれてしまった
ぐいと乱暴にそれを拭って、何年ぶりかわからないが今日初めて原田さんに真正面から向き合った


「ん」
「そんなこと言われたら・・・腹くくるしかないじゃないですか・・・」
「わいはもうくくっとる。説得されてくれんねんな?」
「俺も・・・連れてってください」
「・・・ええねんな?」
「今更。なんと言おうと連れていくって言ったじゃないですか」
「ククク、急に元気になったな」
「原田さんのせいですからね
俺原田さんと一緒に東と戦います」
「・・・長かったわ。ずっと待っとった、その言葉」


さっきよりも小さな声で感慨深くそういうと原田さんはサングラスを外して立ち上がり、
また悪い顔で笑うと顎で外を指した
うっすらと空気が明るい外はいつも俺が朝だか夜だか分からないまま家路につく景色と同じではあったが
今ははっきりとわかる、夜明け前の黎明なのだと

ずらりと並ぶ黒服を通り過ぎて車に乗り込む原田さんを追いかけて示されたとおりに隣に座る
視界の端に見える、ふらふらさまよう都会の塵に別れを告げて俺は車のドアを閉めた


車が発車して、
俺は原田さんと一緒に革新の渦の中へと一歩踏み出した






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