「白哉、ジャンケンの仕方、知ってるかい?」

 ここのところ、毎日のように床に臥せていた男が、「昨日あたりから、調子がよくなってきてね」と、笑いながら書類を持って、執務室を訪れてきた。隊長自らが出向いてまで手渡すような書類ではなかったが、この男のことだ。気分転換だの、外の空気を吸いたかっただの、そんなことを言うに違いない。
 馬鹿な男だと思う。少し調子がよくなった程度で、病人が簡単に外へ出るものではない。目の前で笑う男にそう告げれば、「心配してくれてるのか? ありがとう」と、さらに嬉しそうに笑われた。
 そして、先程の一言だ。わけがわからない。

「少し寝込みすぎて、頭がおかしくでもなったか」
「あ、やっぱり白哉でも、ジャンケンの仕方くらい知ってたか。はは、すまんすまん」
「……どういう意味だ、浮竹」

 何やら非常に引っかかる言い方だったが、それ以上の追求はしなかった。浮竹が、ぐっと握りしめた右手を、私の鼻先へ突き出したからだ。

「いくぞ、白哉」
「何を……」
「最初はグー! ジャンケン――」

 ポン、と言うかけ声につられ、思わず右手を出してしまった。反射的に出した私の右手は、握り拳。グーである。そのまま己の右手から浮竹の右手に視線を移すと、奴は掌を大きく広げていた。

「……」
「俺の勝ちだな、白哉!」

 満面の笑みを浮かべ、浮竹が己の掌を掲げる。その様子が見ていて腹立たしく、相手が病み上がりの病人であるということも忘れ、私は握り拳からピン、と人差し指を立てた。チリリ、と指先に霊圧が集まる。

「って、ちょっと待て!」
「……何だ」
「その右手の人差し指! どうして鬼道を放とうとしているんだ!」
「何を申しているのか理解できぬ」
「……お前、俺の掌に穴でも開けるつもりだったのか」

 掲げていた右手を慌てて下ろした浮竹は、次に呆れるような目で私を一瞥し、長いため息をついた。この浮竹の目も見慣れたもので、今では不快に思うことすらなくなっていた。私自身、その事実をすんなりと受け入れている己に軽く驚いている。付き合いの長さだけが理由では、納得がいかない。
 夜一や京楽が相手ならば、十中八九、私はそのまま鬼道を放っていただろう。そこまで思考を巡らせて、ふと浮竹の目が、父に似ていることに気がついた。瞳の色や形といった表面部分は違っているが、裏側にある感情とでもいうのだろうか、伝わるそれが似ている。よくよく思い返せば、それ以外にも浮竹からは、ごく稀に父を連想させられることがあったような気がしないでもない。

「白哉?」
「……何でもない」

 急に黙した私を、不思議に思ったのだろう。名を呼ばれて我に返った私は、人前で思い耽ってしまったことを後悔し、浮竹に悟らせないよう瞼を伏せた。

「して、今のジャンケンとやらに、何の意味がある」
「ジャンケンってのは、勝ち負けを手っ取り早く決めるための手段だろう?」
「それがどうした」
「お前は俺に負けたから、今から俺のお願いをひとつ聞かなきゃな」

 この男、やはり鬼道を食らいたいのだろうか。

「ジャンケンをする前に知らせていなかった話を、勝敗が決してからするとは。卑怯だと思わぬか」
「話を聞かないでジャンケンに応じたのは、お前じゃないか」
「話を聞く暇など与えなかっただろう」
「白哉がジャンケンに応じていなければ、俺はちゃんと説明したさ」

 間髪容れず返される返答には、楽しげな色がふくまれている。私の声が先程よりも低くなっていることに、浮竹は気づいているのだろうか。
 しかし、この男が無理難題を言わないであろうことは、私自身がよく知っている。言われるがまま、その願いを叶えてやるのは癪だが、ここは千歩譲ってやらぬこともない。
 何が願いだ、と視線だけで言外にそう問えば、浮竹は一瞬目を丸くして、破顔した。

「明日、お前に非番を取ってもらいたい」
「何?」
「ちなみに、朽木は明日、非番だよ」
「……まさかとは思うが、それが兄の願いか?」
「ああ、もちろんだ!」

 きっぱりと断言され、今度は私が目を丸くする番だった。
 この男は、たったこれだけのために、わざわざ私のもとを訪れたとでも言うのか。病み上がりの体を動かして、ジャンケンなどという回りくどいやり方をして。たった、これだけのために。

「お前に拒否権はないぞ。勝者のお願いは絶対だ」
「……本物の馬鹿者だな、兄は」
「最近、二人でゆっくりする時間なんてなかっただろう。特にお前は、ずっと忙しそうだったから」
「知っていたのか」
「まあね。明日は兄妹水入らず、ゆっくりするといい」

 じゃあ俺はこれで、と背を向け、さっさと執務室を出て行く浮竹の後ろ姿を見つめながら、世話焼きな奴め、と小さく呟く。だが、その世話焼きなところも、この男ならば不快に思うことはないのだ。
 私は浮竹に手渡された書類に判を押し、明日に回すはずだった書類に手を伸ばした。




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敗北に乾杯

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