「失礼しまーす」

 ちっとも思っていないであろう気の抜けた声をかけ、十三番隊副隊長・志波海燕は六番隊執務室の扉を開いた。中では当然、お目当ての人物が黙々と、予想通り隊務をこなしていた。

「よっ、六番隊隊長殿」
「入室を許可した覚えはないが、十三番隊副隊長」
「オメェが俺の入室を許可したことなんてあったか?」
「隊務であれば、許可している」
「じゃあ、俺が今ここにいるのは、隊務じゃねえって言いたいのかよ」
「自分の腕の中を見てみろ」
「……猫?」
「それが隊務か」

 海燕の両腕に抱かれ、にゃ〜と甘く鳴いている白い子猫を、白哉は睨みつけるように見つめながら言った。それは、まるで親の仇を見るような眼差しである。
 不愉快そうに深く眉間に刻まれた皺を見て、海燕は、ふとその眼差しの理由に気がつき、ニタリと目を細めた。

「お前、猫が好きじゃねえんだろ」

 白哉の幼少期を回顧すれば、必ず浮かぶ黒猫の姿。彼女が白哉に与えた多大な影響を考えると、確かに猫嫌いになっていてもおかしくはない。
 海燕は、くくっと喉を鳴らした。

「夜一が原因か」
「……まだ何も言うておらぬ」
「でも当たりだろ?」
「……」

 押し黙った白哉に、図星であることを確信する。
 本人的には知られたくなかったのだろう。白猫と自分から顔を背けた白哉は、ますます機嫌を損ねてしまったようだ。
 海燕は、それに気づいているのかいないのか、気にすることなく、白猫を拾った経緯について語り出した。

「実はこの猫、朽木が十三番隊隊舎の近くで拾ってよ」

 海燕の言う朽木に、白哉は、ぴくりとほんのわずかにだけ反応を示した。それに気づかぬ海燕ではない。

「怪我してたんだよ、コイツ。それを治療するために、アイツはこの猫を隊舎に連れて戻ってきたんだ。……優しいだろ」
「何が言いたい」
「別に、何も。ただな、この猫を治療している間のアイツの顔……泣きそうだったぜ」

 傷を負っていた右の前足を撫でても、白猫は少しも痛がるそぶりを見せなかった。完璧に傷が癒えている証拠だ。

「お前ならわかるだろ? コイツ、こんなに人に慣れてる上、毛並みも色もすげえ綺麗だ。飼い猫に違いねえ」

 海燕には、ルキアがこの白猫と自分を重ね合わせているかのように見えた。朽木家の飼い猫だの何だのと陰口を叩かれているからこそ、余計に己と重ねてしまったのだろう。だが、ルキアがもっともこの猫と己を重ねていた部分は。

「アイツも、傷を負ってんだよ」

 ただ、この猫のように、あっさり簡単に癒えるものではない。いや、簡単といえば簡単か。目の前の少女の兄が、彼女に対してもっとまっすぐに向き合い、温かく接してやることができれば。それだけで、きっと少女の傷は癒えるだろう。
 もちろんそれが、とてつもなく難しいことだとはわかっている。彼もまた、癒えぬ傷を負っているのだから。ただ、それでも。

「白哉、兄貴ってのは、妹を護るためにいるんだぜ」
「……」

 そのようなこと、言われずともわかっている。だが、わかってはいても、自分ではルキアの傷を癒してやることはできないのだ。

「……ったく、世話のかかる兄妹だな。オメェらは」

 右手で頭を掻きながら、海燕は息を吐いた。

「朽木のことは心配すんな。しっかり十三番隊で面倒見てやっからよ」
「海燕……」
「けど、さっき言ったことは忘れんじゃねえぞ。最後にアイツを護ってやるのは、俺じゃねえ。お前なんだからな」
「…………ああ」

 小さかったが、はっきりと白哉は返した。
 そうだ、たとえ何があったとしても、最後にルキアを護るのは己でなければならない。約束したのだ。彼女の妹を、兄として護り抜くと。

「わかってんならいい。ああ、心配すんな! お前のことも、俺がしっかり護ってやっからよ」
「意味がわからぬのだが」
「だから、兄貴ってのは下を護るためにいるって言ってんだろ」
「……私が貴様の弟だと言いたいのか」
「似たようなもんじゃねえか」
「まったく違う」

 白哉はきっぱりと断言した。こんなに奔放で気品のない兄など、考えたくもない。
 しかし海燕にとって、やはり白哉は何十年経っても弟のような存在だった。
 昔から、生意気で負けず嫌いで不器用で。そんな白哉だからこそ、海燕は放っておくことができないのだ。

「そういえばこの猫、なんかお前に似てるよな」
「どこがだ」
「色とか毛並みとか、全体的に」
「似ておらぬ」
「似てるって!」
「似ておらぬ」

 ああ、だから朽木は思わず拾っちまったのかもな、と笑いながら海燕が言えば、あれは傷ついたものであれば何でも拾っていただろうと、白哉は即座に返した。妹の性格を理解しているからこその言葉に、彼が妹をきちんと見ていることがうかがえる。
 やっぱり不器用な奴だと、思わずにはいられなかった。




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