石田は混乱していた。どうして目の前に、朽木ルキアの兄である朽木白哉がいるのだろう。どうして彼は、さも当然のように、自分の部屋にいるのだろう。

「えーっと……朽木さんのお兄さん、ですよね?」
「朽木白哉だ」
「……石田雨竜です」

 名乗る白哉につられて自分も名を述べたが、今さら自己紹介をしなくても石田は彼のことを知っていた。白哉が石田のことを知っているかどうかは別として、だ。
 護廷十三隊六番隊隊長であり、尸魂界の四本の指に入る貴族、朽木家の現当主で、朽木ルキアの義兄。
 当初は彼のことを、ずいぶん冷たくてひどい兄だと石田は思っていた。極刑が決定された自分の妹を、どうして助けないのかと。
 藍染らが謀反を起こし、白哉が市丸ギンの凶刃から身を呈してルキアを庇ったと聞いたとき、石田はようやく彼が「兄」なのだと知った。重傷を負いながら胸の内を語る白哉の姿は、今まで抱いていたイメージを払拭するのにじゅうぶんだった。
 その後、朽木白哉という人物が、実は不器用で口下手なだけだったと、ルキアや一護の話から理解した。意外なような、そうでないような。自分が彼と関わる機会はほとんどないので、実際のところはわからないのだが。
 そんな彼が、いったい自分に何の用があって、わざわざ現世にまで出向いてきたのだろう。

「僕に何か用事でも?」
「……兄は裁縫が得意らしいな」
「は?」
「私に、裁縫を教えてほしい」

 何を言い出すのかと構えていれば、まさかあの朽木白哉が、自分に裁縫を教えてほしいなどと言い出す。石田は咄嗟に言葉を返すことができなかった。目を丸くして、「え」や「は」と、音にならない声を洩らす。

「できぬか?」
「……で、できますけど……」
「ならば早速」
「ちょ、ちょっと待ってください!」

 一人で話を進めていく白哉に、石田は慌てて制止をかけた。ほんの少し、白哉の眉間に刻まれる皺が深くなる。それを気にする余裕など、石田にはなかった。

「あの、どうして僕なんですか? 失礼ですけど、屋敷の方に教えて頂いた方がいいんじゃ」
「……ろう」
「え?」
「当主が裁縫を教えてほしいなどと、屋敷の者に言えるわけなかろう」

 言いづらそうに顔を背ける白哉は、石田の目にとても新鮮に映った。なるほど、確かに。その気持ちは石田にも理解できた。だが、それでも浮かぶ疑問は山ほどある。
 なぜ自分のところに来たのか。卯ノ花さんあたりなら、裁縫も得意そうだし嫌な顔せず教えてくれそうなのに。そもそも何のために、あの朽木白哉が裁縫を教わりたいのか。何かを作るにしろ直すにしろ、誰か別の者に頼むのでは駄目なのか。
 だが、石田は何も問うことなく、机の中から裁縫セットを取り出した。簡易テーブルを出し、その上に道具を広げる。

「わかりました。僕の教えられる範囲でなら」





 とは言ったものの、文字通り一から教えなくてはならないのには、さすがの石田も疲弊した。針に糸を通すことから教える羽目になるとは、いったい誰が予想できただろう。お坊っちゃん育ちの比ではない。これが貴族というものなのだろうか。
 玉結びやなみ縫い、玉留めなど、順に基本から説明し、やってみせる。針にも糸にも触ったことのなかった白哉は、最初こそ上手くできずにいたが、もともと飲み込みだけは早い男だ。要領さえ掴んでしまえば、後は石田も驚くほど完璧にこなしてみせた。さすがというか何というか、極端な人だな、と石田はこっそり笑った。
 そろそろ一時間が経つ。一度休憩にしましょうと、石田はお茶を淹れて白哉の前に置いた。コーヒーもあったが、きっと彼はこちらの方がいいだろうと判断した。お茶菓子のひとつやふたつ、お出しできればよかったんですが、と苦笑する石田は、すでに白哉が無断で部屋に上がり込んでいたことなど記憶にないのだろう。
 甘いものは好まぬ。そう言った白哉を、石田は瞼をぱちぱちと瞬かせなかがら見つめた。あの朽木白哉にも好き嫌いがある。それだけで、急に彼を近くに感じることができた。

「……聞いてもいいですか」
「何だ」
「どうして、裁縫を教わりたいと思ったんですか?」

 人というのは、どこまでも欲張りらしい。先程は問わずにいれたことも、ひとつ彼についての情報を得た今なら、知っておきたいと思えてしまうのだから。

「兄なら、余計な詮索はしないだろうと、ルキアは言っていたのだが」
「朽木さんがそんなことを?」
「ルキアの見当違いであったか」
「……そうかもしれませんね」

 それきり、二人は言葉を発さなくなった。
 しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのは白哉だった。

「……亡妻から、刺繍の入った手拭いをもらったことがある」

 瞼を伏せ、小さく白哉は話し出した。亡妻とは、彼が家の反対を押し切ってまで婚姻を結んだという、朽木ルキアの姉のことだろう。
 想像もしていなかった人物の登場に、石田は面食らってしまった。何も言えず、そのまま続きを聞く。

「その刺繍がずいぶんほつれてしまっていたので、直したいと思った。それだけだ」
「そんなの、持ってきてくれれば、僕がやりましたよ」

 言いながら、それだけの理由なら、わざわざ現世にまで出向き、自分のもとへ来る必要などなかったんじゃないのか、と考えた。しかしその疑問も、白哉の次の言葉であっという間に解決した。

「私の手で、直したかった」

 たとえ不慣れで柄にもないことだしても。他人の手を借りるのではなく。
 今の石田には愛する者などいなかったが、それでも白哉の想いは痛いほど伝わってきた。同時に、自分のもとへやって来た訳も、何となく察することができた。
 要は、事情を話さなくても済むような相手がよかったのだろう。結果的には、彼の妹の予想は外れ、話すことになってしまったのだが。けれど、聞いてよかったと石田は思った。またひとつ、彼について知ることができたのだから。
 別に自分は、一護のように彼と関わりがあるわけでもなければ、織姫のように誰とでも仲良くなれるタイプでもない。朽木白哉という人物に興味があったわけでもない。それが今日一日で、ずいぶんと変わってしまった。

「じゃあ、僕の持てる技術のすべてをお教えしなきゃいけませんね」
「頼む」

 まだまだ教えなければいけないことはたくさん残っている。彼の飲み込みの早さなら、何とか今日中には終えることができるだろう。それをほんの少し寂しく感じながら、また二人で話す機会ができればいいなと、石田は柄にもないことを思った。自分も同じだ。柄にもないことをしている、目の前の死神と。そこで、はっ、とする。彼は、朽木白哉は、死神だった。自分が何よりも嫌う死神。
 だが、今はそんなことは置いておこう。この部屋には、裁縫を教わりにきた不器用な貴族様がいるだけだ。そんなことを思う自分を、石田は心の底で笑った。




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融解を望む白

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