※緋真存命パロ
「やっべ……」
恋次は目の前の書類を見て、頭を抱えた。それは、本日非番の隊長の署名が必要である、期限日が今日の書類。これは完全に恋次のミスであった。
「朽木隊長の署名が必要……ってことは、屋敷まで行くしかねえか」
はあっ、と大きくため息をつき、恋次は書類を見つめた。
(ぶっちゃけ、かなり行きたくねえ……!)
先日、ルキアが「兄様と非番が重なったのだ! 明日はみな、一日中一緒なのだぞ!」と、喜んでいたことを思い出す。本日の朽木邸では誰一人欠けることなく、ルキアたちが家族水入らずの一日を過ごしているのだ。おそらく、最近は常に実体化している千本桜と袖白雪も一緒だろう。
そんな幸せな時間を満喫している最中に、自分のような部外者が仕事の用事で屋敷を訪ねたならば、きっとひどい仕打ちが待っているに違いない。それに、あの家族の雰囲気には、こちらが居たたまれなくなってくるのだ。あのベタ甘な雰囲気は、どうにかしてほしい。
「っても、明日この書類が隊長に見つかる方が怖ェよなぁ……」
もう一度深くため息をつき、恋次は書類を手に執務室を後にした。
一方、噂の朽木邸。
「兄様、非番が重なって本当によかったですね!」
「……そうだな」
「緋真も嬉しゅうございます、白哉様。ルキア、今日はみんな、ずっと一緒ね」
「はい!」
恋次の想像通り、家族水入らずの時間を満喫していた。その隣では、千本桜が声をひそめて笑っている。
「ふっ……」
「どうしたのですか、千本桜殿?」
「……白哉は本当に素直じゃない。実は、わざわざルキア殿と非番が重なるように、調整していたのだ」
「まあ。では、偶然ではないのですね」
「ああ。だが、これは緋真様とルキア殿には秘密にしておいてもらえるか、袖白雪」
「ふふ、もちろんです」
「何をこそこそしているのだ? 袖白雪と千本桜は」
二人が笑い合っていることに気づいたルキアが首を傾げ、二人に尋ねる。
「いいえ、何でもありません」
「気にするな」
やはり笑ったまま、千本桜と袖白雪は答えた。ルキアは不思議そうに首を傾ける。
「おかしな奴らだ」
ルキアがそう言えば、隣に座っていた緋真がくすり、と笑った。
「だめよ、ルキア。千本桜さんと袖白雪さんは、二人だけの何か楽しいお話をしてたんだから。邪魔しちゃ悪いわ」
「む……そうだったのか。すまぬ、邪魔をしたな」
「ち、違いますよ! ルキア様、緋真様!」
「主、その目は何だ!」
「……いや」
「ふふ、千本桜さんと袖白雪さんは、本当に仲がよろしいのですね」
「「お二人には負けますけど!」」
わあわあ、と急に騒がしくなった朽木邸の一室。そんな仲睦まじい家族の様子を、清家は部屋の外で微笑ましそうに聞いていた。
「あ、清家様!」
そうして和んでいると、一人の年若い女中が少しばかり早足でやってきた。何かあったのだろうか、と清家は丸縁眼鏡の下で目つきを鋭くする。
「何か不手際でも?」
「いえ、お客人が参られております。何でも、御当主様の副官殿らしいのですが」
「白哉様の副官……阿散井殿が?」
何となく、ここまで恋次が足を運んできた理由を察しながら、清家は頷いた。
「貴賓室でお待ち頂くよう」
「畏まりました」
再び早足で去って行く女中の背を見送り、清家は小さく障子越しに声をかける。
「白哉様、阿散井殿が参られているようです」
「そのようだな」
障子の向こうから、少しも驚いた様子のない返事が返ってきた。霊圧で気がついていたのだろう。それを聞いた緋真だけが、不思議そうに白哉を見つめた。
「どうされたのでしょうか?」
「恋次のことです! きっと何かやらかしたに違いありません!」
「俺もそう思う」
「あらあら、恋次さんに失礼ですよ」
「いや、そうだろう」
「白哉様まで……ふふ」
白哉は小さく息を吐いて立ち上がり、部屋の外にいた清家から、普段着用の羽織りを受け取る。いったいいつの間に用意したのか、誰もそこを疑問には思わない。白哉の従者である清家には、これくらい赤子の首を捻るよりも容易いことである。
「……少し行ってくる」
心底面倒だ、とでも言うように、白哉は部屋を出て、貴賓室へと向かった。
貴賓室では、何度来ても慣れることのない屋敷の大きさや部屋の広さに、恋次が身を縮こまらせ、数名の女中とともに白哉を待っていた。普段はめったにしない正座をしているせいか、早速足が痺れてきている。
部屋の障子がすたん、と開かれた。
「朽木隊長!」
もちろん入室してきたのは白哉だった。障子を開けたのは清家だ。
女中たちに下がるよう、白哉は目で合図をする。そうすれば、女中たちは白哉と恋次に深く頭を下げ、素早く部屋を退室した。その光景に、恋次は改めて白哉の地位の高さを思い知らされる。
「何用で我が邸へ参った、恋次」
白哉の凛と通る声で我に返り、恋次は慌てて口を開いた。
「あ、はい、実は……」
そこまで言いかけたとき、白哉の背後からひょこっと現れた見知った顔に、恋次は声をあげた。
「ルキア!」
さらにもうひとつ、よく似た顔が現れる。
「緋真さん!」
さらにさらに、その後ろには二人の男女の姿も。
「千本桜と袖白雪!」
恋次は、あんぐり口を開いた。
どうしてこんな状況になってしまったのだろうか。
「……」
痺れる足を叱咤し、懸命に正座を続ける恋次の目の前には、普段着姿の白哉がぴしりと正座している。そこまではいい。問題はその両隣に、ルキアと緋真がいることだった。さらに三人の後ろには、千本桜と袖白雪までもが正座している。
(やりづれェ……!)
しかし、自分に文句を言う権利などないことを、恋次は重々承知していた。
このやりづらい状況の中、恋次はさっさと用を済ませてしまおうと書類を取り出した。
「すみません。それ、今日が提出期限日なんですけど、隊長の署名が必要みたいで」
「本日が期限日の書類には、すべて署名しておいたはずだが」
「……俺が隊長に渡し忘れてた分です。すみません」
「まったく、貴様という奴は! 自分の失敗で、兄様のお手を煩わせるな!」
「それでも白哉の副官か! 情けない!」
なぜか白哉よりも先に、ルキアと千本桜に叱られた。それに若干の疑問を抱きながら、恋次はもう一度「本当にすみませんでした!」と、頭を下げた。
「……」
「白哉様、許して差し上げてはいかがです?」
黙ったままの白哉に、緋真が困ったように笑いながら言う。そのとき、恋次には緋真が女神のように見えた。
「……恋次」
「は、はい!」
「次はないと思え」
清家がさっと用意した筆で白哉は書類に署名し、恋次へと手渡した。
「あ、ありがとうございます!」
「ふふ、よかったですね、恋次さん」
「はい。ありがとうございます、緋真さん」
緋真にも頭を下げ、恋次は痺れる足に注意しながら、転ばないようにゆっくりと腰を上げた。
「じゃ、俺はこれで失礼します」
「もう少し、ごゆっくりしていかれては?」
「気持ちは嬉しいんですけど、まだ仕事が残ってますんで」
それに、上司と幼馴染みの視線が痛くて、とてもゆっくりなんてできる雰囲気ではない。
乾いた笑みをこぼし、恋次はもう一度、今度は白哉に向かって頭を下げた。
「せっかくの家族水入らずの時間を邪魔しちまって、本当にすみませんでした」
「今回だけ、緋真に免じて、だ」
「わかってます。それじゃ、失礼します」
部屋を出て行こうとする恋次に、緋真が慌てて立ち上がる。
「せめて、お見送りだけでも」
「え! いいっスよ、そんなの! 悪いです!」
「そうですよ、姉様!」
「必要ない」
「「緋真様は座っていてください」」
緋真を除く他四人の言葉に、何もそこまで言わなくても……と、恋次はこっそり涙目になる。この家で自分に優しいのは、一番関わりの少ないはずである、上司の妻だけなのだ。いっそ緋真さんが上司なら、と、白哉やルキアには決して言えないことを胸中で思った。
「では、今度また時間があるときに、ぜひいらしてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
緋真の優しさに胸を打たれながら、今度こそ恋次はその場を後にした。
「世話のかかる奴だ。……それにしても、姉様はいささか恋次に甘いのでは?」
「あら、そうかしら?」
「そうです!」
ルキアに賛同して、後ろで千本桜も大きく頷いている。その隣では、袖白雪が小さく笑っていた。
「もうよい。今は彼奴の話など、どうでもいいことだ」
少し不機嫌そうに白哉が言った。彼もまた、ルキアたちと同じことを思ったに違いない。
「それよりも、そろそろ昼食の時間であろう。――清家」
「畏まりました。本日の昼食は、庭の方でよろしかったですかな?」
「ああ」
「お庭で、ですか?」
「たまには外で、というのもよかろう」
久々の全員そろっての食事が楽しみなのは、何も緋真たちだけではない。白哉も同じ気持ちなのだ。
薄く笑みを浮かべて部屋を出て行く白哉に、四人は顔を見合わせて微笑むのだった。
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平和の証