冬の朝はかなり肌寒く、布団の中からなかなか出ることができない。普段ならもう一眠りするところなのだが、今日ばかりはそろそろ起きなければお客さんに怒られてしまう。
 ゆっくりと上体を起こし、浦原はぶるっと体を震わせた。

「店長、そろそろ白哉殿がお越しになる時間ですぞ」
「あー……今起きました」
「朝食はどうなされますかな?」
「すみません、遠慮しときます」

 ガシガシと頭を掻きながら、浦原は襖の向こうにいるテッサイへ返事を返す。枕元の目覚まし時計を確認すれば、ちょうど九時になる十分前だった。
 浦原は少し慌てて着替えると、急いで外に出る。

「今、何時っスか?」
「八時五十八分です」

 約束の時間まで、残り二分。性格上、彼は時間ぴったりにやって来るだろう。眉間に皺を寄せて仏頂面で現れる姿を想像し、浦原はくすりと笑った。

――カチ、カチ、カチッ。

「九時になりましたぞ」

 テッサイが言うと同時に、すぐ近くで穿界門の開く気配を感じた。思った通り、ぴったりだ。
 昔からよく知る霊圧がこちらへ近づいてくる。表面上は誰よりも冷たい静寂を保ちつつ、その奥底では誰よりも苛烈な熱さを持っている彼の霊圧に違いなかった。

「お久しぶりっス、白哉サン」

 たん、と軽やかに着地した白哉は、浦原の想像通りの顔をしていた。

「来てくれると思ってました」
「約束は守る」
「あはは、そうっスよね。あなたはそういう人だ」

 すっと目を細め、浦原は白哉の双眸を見た。
 桔梗色の瞳は、幼い頃の彼の瞳とまったく変わっていなかった。そこにある気高い誇りや強い意志、そしてわかりにくい優しさと温かさと――何かをあきらめているような暗い色。

「あなたの瞳は、とても複雑だ」

 浦原は白哉に聞こえないように呟き、その瞳から視線を外した。

「でも、だからこそ綺麗なんスよねぇ」

 皮肉なもんだ、と苦笑を浮かべ、訝しげに自分を見やる白哉の手を引いた。

「何だ」
「ついて来てください。あなたを今日ここに呼んだのは、あるものを渡すためなんス」

 なぜか店の中へ戻ってゆく浦原の手を振りほどけず、白哉は引かれるがまま中へと入った。





 連れてこられたのは、浦原商店の地下に作られた地下勉強部屋だった。もちろん白哉は地下にこんな場所があるとは露知らず、あたりを見渡して目を見開く。

「これも兄が作ったのか……」
「ええ、まあ」

 別になんてことはない、とでも言うように頷く浦原を見て、白哉は褒めてよいのか呆れるべきなのか真剣に悩んだ。

「ついて来てください、白哉サン」

 浦原が先に歩き出し、白哉は怪訝に思いながらも、言われた通り後に続いた。
 しばらくの間、二人は黙って歩いていたが、不意に浦原が口を開いた。

「預かりものがあったのを、忘れてたんス」
「……預かりもの?」

 何を? 誰から? と、当然のように浮かぶ疑問を抱きつつ、白哉は次の言葉を待った。しかし、浦原はそれ以上何も言わず、ただ足を進めるだけだった。

「浦原」

 何も語らない浦原に痺れを切らし、咎めるような口調で白哉は彼の名を呼んだ。ピタリ、と足が止まる。

「ここっス」

 何が“ここ”なのだろうか。あたりに何があるわけでもなく、ただ適当にふらっと足を止めただけのように、白哉には思えた。

「ここに何が……」
「一週間前に、偶然見つけました。なくしてしまったと思い込んで、最近までずっと忘れていた預かりものを」

 スッとしゃがみ込んで地面を掘り出した浦原の背を、白哉は黙って見つめた。彼が何のことを言っているのか、まったく理解できなかった。
 その預かりものとやらは、自分へのものなのだろうか。それすら、白哉は確信を持てなかった。
 ザク、ザク、と土を掘り返す音だけが、このだだっ広い空間に響き渡る。少しして、音は止んだ。

「あなたに渡すまで、もうなくしちゃいけないと思って、ここに埋めたんスよ」

 膝をついた状態で白哉を見上げ、土のついた手でそれを手渡す。

「この地下でここは、アタシと夜一サンが初めて手合わせした場所になります。ここなら、絶対に忘れないと思って」

 差し出されたのは、片手に納まる程度の黒い正方形の箱だった。受け取ることに一瞬ためらいを見せてから、白哉はそっとそれを手に取る。

「開けてみてください」
「何が入っている?」
「見ればわかりますよ」

 仕方なく、白哉はパンパンと土を払い落として箱を開けた。久々に土を触ったな、とぼんやり思いながら、中身を確認する。
 ――入っていたのは、黒の念珠だった。

「何だ、これは」

 手に取って観察してみるが、変わったところはない。霊圧も感じなければ、おかしな作りをしているわけでもなかった。ただ、かなり値は張るだろう。おそらく、上流貴族の者しか手に入れることができない代物だ。

「兄がなぜ、このようなものを……」
「見覚えありませんか?」
「何?」
「その念珠に、あなたは見覚えがあるはずだ」

 まっすぐに、浦原の目が白哉を射る。その瞳の真剣さが伝わり、白哉は必死に記憶を手繰り寄せた。

『これは父上から、つまり爺様から譲り受けたものだよ』
「――!!」

 思い出した。そうだ、この念珠は――

「父上の……」
「そう。これは、蒼純サンが銀嶺サンから譲り受けたものっス」
「なぜ貴様がそれを持っている!」

 声を荒げ、白哉は立ち上がった浦原に詰め寄った。

「道理で探しても見つからなかったわけだ!」
「ああ、やっぱり探してましたか。すみません、白哉サン」
「なぜ、貴様が持っているっ……」

 ぎり、と奥歯を噛みしめ、白哉は痛ましげに眉を寄せた。
 父が亡くなった後、その私物がひとつも取りこぼされることなく整理されたのを覚えている。だがその中に、なぜか常に身につけていた念珠だけがなかったのだ。
 もちろん白哉は必死に探した。だが結局見つかることはなく、それっきりになってしまったのだ。

「アタシが尸魂界から姿を消すことになる事件の直前に、蒼純サンが渡してくれたんス」
「父上が、貴様に……?」
「はい」

 帽子をかぶり直し、浦原は薄く笑った。

『――行くんですね、浦原隊長』
『蒼純サン……どうしてここに?』
『すでに各隊の副隊長にも通達がありました。……今、猿柿副隊長が単身で出向いていることも』
『……僕を止めますか? 掟に、命令に背く僕を』
『止めませんよ。止めたところで、あなたは止まらない』
『じゃあ、なぜここへ?』
『――これを渡しに』
『これは……』
『私が父から譲り受けた念珠です』
『! こんな大事なもの、もらえません』
『ええ、あげませんよ。だから、預かっていてください』
『え……』
『必ず、必ず返しに戻ってくるんだよ――喜助』
『蒼純、サン……』
『死神としてではなく一人の友として、君を待っているから』
『……はい』

 あのときの約束は、結局果たせなかったけれど。

「これは、アタシが持つべきじゃあない」

 今、本来返すべき友はいないけれど。

「白哉サン、あなたが持つべきだ」
「浦原……」
「どうしてこんなに大切なもの、なくしてたんでしょうね?」

 その答えは、何となくわかっていた。
 返すことができなくなってしまったから、約束を果たせなくなってしまったから、きっと無意識に目を背けていたのだと思う。
 だが、今こうして彼の実の息子に返すことができ、少しの達成感のようなものを感じている。同時に、浦原はほんの少しだけ泣きそうになった。

「やっと返せました……息子サンに、ですけど」
「私が持っていて……いいのか」
「当たり前じゃないっスか。本来、これはあなたが手にするはずだったでしょうし」

 銀嶺から蒼純へ。蒼純から白哉へ。
 きっとそうして、この念珠は流れていっただろうから。

「友であることは知っていたが、そこまで父上は、お前に心を許していたのか」
「蒼純サンだけじゃありませんよ。それはアタシも同じっス」

 柔らかい笑みを浮かべて、浦原は白哉の黒髪を撫でた。

「……もし」
「?」
「もし可能なら……近いうちに、ともに墓参りでも」

浦原は目を細めて頷いた。




──────────
一縷の光/だれか様リクエスト

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -