頭上に広がる蒼の空間が視界を覆う。それは深く鮮やかな、目が覚めるような蒼であった。
ゆっくりと右手を天にかざせば、わずかに光が遮られる。指と指の隙間をすり抜ける蒼は、泣きそうなくらいに眩しかった。
『白哉』
ふと耳に届いた、己を呼ぶ声の優しい響き。
はっ、と白哉は腕を下ろして、背後を振り返った。しかし、視界に映るのは限りない草原の緑。それだけだった。
「……当然、か」
この瀞霊廷の外れにある草原は、朽木家所有のものである。
今は、白哉以外にこの場所を訪れる者は誰一人としていない。時折、義妹である朽木ルキアが白哉とともに訪れるくらいだ。
未だ背後を見つめたまま、白哉はゆるりと首を振る。まるで己に言い聞かすかのように。もう一度、首を振った。
これはまだ、白哉が死神になるよりもずっと昔の話である。
「父様、お帰りなさいませ!」
「ただいま、白哉」
三日ぶりに屋敷へ帰宅した父の姿を見るなり、白哉は手にしていた木刀を放り投げて駆け寄った。温かい太陽のような父の笑みに、白哉は安心感を覚える。
「本日は屋敷でお休みになられるのですか?」
「ああ、厄介な任務が片づいてね。朽木隊長が帰れとおっしゃるものだから、お言葉に甘えてきたんだ」
蒼純の言う朽木隊長が誰を指すのか、白哉はよく知っていた。朽木家現当主であり、自分の祖父である朽木銀嶺のことだ。
「爺様が?」
「今日はお帰りになられないけど、明日は父上もご帰宅なされるよ」
蒼純が告げた内容は、白哉を喜ばせるのにじゅうぶんな力を持っていた。途端に顔をぱあっ、と輝かせ、白哉は年相応の笑みを浮かべる。
「では、明日は父様も爺様も屋敷でお過ごしになられるのですか!?」
返事の代わりに、蒼純はにっこりと笑って白哉の頭を撫でた。
「明日の夜は、みんなで夕餉をとろう」
「! はいっ!」
両の拳を胸の前で握りしめて喜ぶ白哉に、蒼純は柔らかく目を細めた。
いつもは朽木家の後を継ぐ者として気を張っている息子の、こうして垣間見える子供らしい一面が可愛くて仕方ない。
自分は親馬鹿というものだろうか、と蒼純はこっそり苦笑した。
「そうだ白哉。せっかく鍛練をしていたのだから、少し相手をしてあげよう」
「え?」
「木刀を拾っておいで」
「あ、はい!」
「清家、私の分を」
「かしこまりました」
先程まで使用していた木刀を慌てて拾いにいく様子を眺めながら、蒼純もそばに控えていた清家に自分の分を用意するよう命じる。
「遠慮はいらないよ。全力でかかってくるといい」
「はい、お願いします」
ぎゅっ、と強く木刀を握りしめ、久方ぶりの父との稽古に、白哉は緊張しつつも胸を躍らせる。
「行きますっ!」
その言葉を合図に、白哉の姿が消える。“瞬神”と謳われる夜一直伝の瞬歩だ。
「はっ!」
蒼純の背後へ回り込んだ白哉は、すかさず木刀を打ち込む。しかし、相手は副隊長であり朽木家次期当主。まるで予想していたかのように前を向いたまま、蒼純は右へ体をずらして避けると、勢いを殺せず体勢を崩した白哉へ木刀を降り下ろした。
「っ、白雷!」
木刀が体を打つ前に、白哉は反射的に唱えた。人差し指から放たれた白い閃光は、一直線に蒼純の顔へと向かう。
一瞬、しまった、と白哉は思ったが、もちろん白雷が当たることはなかった。近距離で放たれたにも関わらず、蒼純は難なく避け、再び木刀を降り下ろす。
「はぁ!」
降り下ろされた木刀に、白哉は自ら向かっていった。木刀のぶつかり合う乾いた音が、広大な庭に大きく響き渡る。
(また、成長している)
以前に稽古をつけたときよりも、動きがよくなっているようだ。あれだけの詠唱破棄も、いったいいつの間に会得したのか。
「強くなったね」
そう言うと同時に、蒼純はいとも簡単に白哉の木刀を弾く。
「――ッ!!」
気づいたときには、白哉は地へと叩きつけられていた。
「惜しかったね」
「ッ……どこがですか!」
伸ばされた手を取り、白哉は立ち上がりながら蒼純を睨み上げた。ムスッとふて腐れた表情は、本人には悪いのだがまったく恐怖を感じない。むしろ愛らしいくらいだ。
「でも、本当に強くなったよ」
「……父様や爺様には遠く及びません。夜一や海燕にだってまだ……」
眉間に皺を寄せてうつむく息子を見て、蒼純は苦笑いを浮かべた。目標基準が隊長格ばかりであることに、果たしてこの子は気づいているのか。
「はは、困った子だ」
「?」
「さあ白哉、そろそろ部屋に戻ろう。もうすぐ夕餉の時間だ」
「は、はい!」
蒼純の隣に並んで、白哉も歩き出した。
「おや、身長も少し伸びたかな?」
「本当ですか!?」
「……見間違いかもしれない」
「なっ……父様!!」
「あはは、冗談だよ」
父の笑い声が天から聞こえた気がして、白哉はゆるりと頭上を仰いだ。やはり、空は蒼かった。
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蒼い空/桜様リクエスト