尸魂界の夕焼けは、言葉では形容することが難しいくらい美しく、そしてとても暖かなものである。
 妹を庇い、重傷を負った朽木白哉の病室にも、その柔らかな橙色の夕陽は等しく降り注いでいた。

「……で、その学校という場所が――」

 上体を起こした白哉のそばには、一生懸命現世で見聞きしたものについて話すルキアの姿があった。わずかに頬を染めて嬉しそうに話すルキアの顔を、白哉は目を細め、優しい瞳で眺めている。

「……ルキア」

 昔では聞けなかった柔らかい声に名を呼ばれ、ルキアは「はいっ」と、少し力を込めて返事をした。

「よいのか」
「え……?」
「現世ではなく、こちらで」

 ルキアは以前、「尸魂界に残ります」と、白哉に話したことがあった。もちろん白哉は、ルキアの決めたことであればどちらでも構わないと考えている。しかし、現世での思い出を楽しそうに話す妹を見ていると、やはりこちらよりも現世の方がよいのでは、と思ってしまうのだ。

「お前にとっては、こちらより現世の方が過ごしやすいのでは……」
「っ、いいえ!」

 胸に込み上げた切なさのような気持ちに一瞬言葉を詰まらせ、ルキアは否定を示した。きゅっと袴を握り、普段よりも目を大きくした白哉を見上げる。

「確かに、昔ならそう思っていたかもしれません……。でも、今は違います」

 昔では見られなかった意志の強い瞳が、己に向けられている。白哉は黙ってルキアを見つめた。

「私の帰る場所は、ここにあります」

 笑みを浮かべてそう言うルキアに、白哉は何も言えなくなった。そのような答えが返ってくるとは、まったく予想もしていなかったのだから。

「……私は、お前の帰る場所になってやれるか?」
「兄様以外の場所は、私の帰る場所ではございません」
「――そうか」

 すっ、と夕焼け色の空を窓越しに見上げた白哉の横顔は、今までルキアが見た中でも一番穏やかなものだった。





 ルキアが病室を去った数分後。
 白哉の病室が、コンコンと控えめに叩かれた。

「誰だ」
「あっ、旅禍の井上織姫です!」
「……入れ」

 白哉の許可を得ると、織姫はゆっくり扉を開いた。
 普段病室の前で待機している清家は屋敷の方を頼まれ、今は朽木家に戻っている。

「あ……白哉さんお一人ですか? 朽木さんもこっちにいるって聞いたんですけど……」
「ルキアならば数分前にここを出たが」
「あちゃ〜! 入れ替わりかぁ」
「おそらく十三番隊隊舎の方へ向かったはずだ」
「えっと、十三番隊隊舎は……」
「ここを出て、右をまっすぐだ」

 白哉がそう教えてやれば、織姫は「ありがとうございます!」と、丁寧に頭を下げた。少し騒々しい娘ではあるが、不思議と白哉が不快感を抱くことはなかった。

「そういえば、白哉さんの傷はもう大丈夫なんですか……?」
「大事ない。まだ完全に傷が塞がるまで、少々時間はかかるらしいが」
「よかった……! じゃあ一安心ですね!」

 まるで自分のことのように喜ぶ織姫の姿は、白哉に微かな胸の痛みをもたらした。
 自分は一度、必死に彼女たちが助け出そうとしたルキアを――妹を、見殺しにしようとしたのに。

「……なぜだ」
「へ?」
「兄はなぜ、私の身など案じる?」

 眉を寄せ、傷口が痛んでいるかのような、どこか傷ついた表情。白哉がこうして感情を表に出すのはかなり珍しいことだ。やはりいろいろなことがあり、今の彼が精神的に普段よりも弱っているからだろう。
 そんな白哉とは対照的に、織姫はにっこり、と笑顔を浮かべて言った。

「何言ってるんですか! 心配するに決まってますよっ!」

 それが当然であるかのように、織姫はまっすぐに白哉を見つめて笑う。その純粋な笑みには、白哉がなぜそのようなことを言うのかまったく理解できない、と書かれているようにも見える。
 白哉は、織姫から膝の上にある両手へと視線を移しながら言った。

「私は、ルキアを殺そうとした」
「違いますよッ!」

 即座に大声で返され、白哉は薄く伏せていた瞼をぱっちりと開き、織姫へ顔を向ける。織姫は笑みを消し、先程とは正反対の顔をしていた。

「私には、貴族のことなんてあんまりよくわかんないけどっ……でも! 白哉さんが朽木さんを大切に想ってるってことは、すっごくよくわかります!」

 あの黄昏の中の告白を聞いたとき、本当に嬉しかったのだ。二人が幸せな兄妹になれるのだと思うと、織姫は思わず泣き出してしまいそうになった。兄妹の絆がどれだけ大切なものか、痛いほどわかっていたから。

「今はもういないけど、私にもお兄ちゃんがいたんです」
「……聞いている。ルキアから」

 現世での話の中にあった。
 その実兄が虚となってしまったことについて、白哉はあえて触れなかった。織姫は小さく頷き、「だから……」と続ける。

「私、二人が仲直りできて本当に嬉しいんです」

 最初に見た無邪気な笑顔ではなく、春の木漏れ日を思わせる優しい笑顔が、白哉には眩しかった。この言葉が偽りのないものだと信じられる。織姫もまた、数少ないこの兄妹の味方なのだ。

「井上織姫、といったな」
「はい」
「話を、訊かせてくれるか。兄(けい)の兄(あに)と、現世でのルキアの話を」
「はい……ッ!」

 夕陽が沈むまで、まだ時間はある。





「わぁ……外もだいぶ暗くなっちゃいましたね」

 どれくらい話していたのだろうか。ふと窓の外に目をやれば、夕陽はとっくに沈んでしまっていた。織姫は「長話になっちゃってすいません」と、申し訳なさそうに苦笑する。

「いや、私の方から頼んだことだ。付き合わせて済まなかった」
「そんな、全然気にしないでください!」

 織姫は、両手をブンブンと大袈裟に振った。

「そういえば、ルキアに用があったのでは……」
「あ、別に大した用事じゃないんで大丈夫ですよ! また明日にでも会いに行きます」
「……邪魔をしてしまったな」
「本っ当に、全然気にしないでください!」

 今度は首を大袈裟に振り、織姫は白哉に笑いかけた。今度はまた無邪気な笑顔だ。

「でも、羨ましいなぁ」

 ポツリ、と織姫が呟いた。

「何がだ?」
「白哉さんみたいな素敵なお兄さんがいて、朽木さんが羨ましい」

 思ってもみなかった答えに、桔梗色の瞳が丸くなる。その表情が何となくルキアに似ていて、織姫は素直にすごいなぁ、と思った。
 血の繋がりがなくても、この二人はこんなにも似ている。

「それは、違う」
「へ?」
「私は兄の言うような、素敵な兄などではない」

 そもそも自分を兄と呼んでよいのかすら、白哉にはわからなかった。しかし織姫は、「そんなことないです!」と、満面の花を咲かせて言う。

「ぜーったい、白哉さんは素敵なお兄さんです!」

 断言する織姫は、自分の兄を自慢するかのように得意気だった。

「井上さーん!」
「あ、石田君の声だ!」

 白哉と織姫が窓から下を覗けば、そこには三人の男の姿があった。一人は白哉も見慣れた、派手な橙頭をしている。
 織姫は手を振り、「ゴメンねー! すぐ行きまーす!」と返事をした。

「じゃあ白哉さん、今日はありがとうございました!」

 ペコリ、と頭を下げて病室を出て行こうとする織姫を、白哉は静かに呼び止めた。きょとん、と扉に手をかけたまま、織姫は振り返る。白哉は小さく言った。

「私の方こそ、礼を言う」

 その声色はルキアに向けられて発せられたときと同様に、穏やかなものだった。
 照れ臭そうに織姫はもう一度頭を下げると、病室を後にする。仲間の待つ場所へ帰った彼女は、開け口一番にこう言った。

「黒崎君! やっぱりお兄ちゃんって、みんな優しいんだね!」




──────────
優しい位置に立つ/ユリコ様リクエスト

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -