※緋真存命パロ
緋真は一人、南流魂街にある桜の名所で有名な丘陵に来ていた。
「風が気持ちいい……」
ふわりと柔らかい風が緋真の黒髪を撫でる。
この丘陵は名所ではあるのだが、ここ最近は虚の出現率が高く、みな警戒しているのか人っ子一人いなかった。もちろん、霊圧をほとんど持たない緋真も危険には違いない。しかし彼女には、強い護衛がついていた。その護衛をふくめれば、緋真は一人ではなく三人だった。
「本当に綺麗な桜ですね」
「そうですね。緋真様もお気に召しましたか?」
「ええ、とても」
緋真の一歩後ろ、雪のように白い端麗な女が尋ねた。緋真は軽く振り返り、優しく彼女に微笑む。女も目元を柔らげ、それに応えた。
「しかし、あまり奥には行かない方がよいでしょう」
女の隣に立つ、仮面をつけた鎧武者のような姿をした男が言う。緋真は素直に頷いた。
「はい。まだ危ない場所ですものね」
「ですが、ご心配には及びませんよ」
「いざとなれば、俺たちが緋真様をお護りします」
力強い二人の言葉に、緋真は「ありがとうございます。千本桜さん、袖白雪さん」と頭を下げた。
そう、この二人は緋真の夫である白哉と実の妹であるルキアの斬魄刀。名を、千本桜と袖白雪という。その名の通り、桜と雪の斬魄刀だ。
「ひ、緋真様!」
「顔を上げてください!」
頭を下げる緋真に、二人は慌てて顔を上げるようにうながした。
「私たちに頭を下げる必要などございません!」
「白哉に顔向けできなくなります!」
二人の必死さがおかしかったのか、緋真は顔を上げてくすりと笑った。その姿にホッと一息つく千本桜と袖白雪。
「ふふ、あまり気にしないでください」
「緋真様ったら……」
こうして見ていると、緋真様と袖白雪は姉妹のようだな、と千本桜はぼんやり思った。袖白雪の気質は、主であるルキアよりも実姉である緋真に似ている部分がある。
「でも、本当に綺麗な場所」
「夜が楽しみですね、緋真様」
「はい、とても」
「きっと今頃、白哉とルキア殿はそわそわしているだろうな」
「ふふ……そうですね、千本桜殿」
今日、白哉とルキアは普段通りに出廷している。この忙しい時期では、隊長である白哉はもちろん、平隊士であるルキアまでもが慌ただしそうに動いていた。そのため、緋真はここ最近、白哉ともルキアとも落ち着いて顔を合わせていない。それは白哉とルキアにも言えることだ。そして、白哉が思い至ったのが夜桜だった。
ルキアには一週間前にこの話をして、今日は早目に切り上げてくるように告げてある。久々に家族水入らずの時間を設けようとしてくれた白哉に、ルキアは感激のあまり抱き着いてしまったものだ。この話を今朝、興奮気味のルキアから聞いたときは緋真も驚いた。けれど、何よりも嬉しかった。白哉が自ら自分たちのことを考えて、この計画を立ててくれたことが。そのときは緋真もルキア同様、白哉に抱き着いてしまった。
「でも、よかったのでしょうか? 私たちだけこんなに早く来てしまって」
「白哉たちがわざわざ俺たちを護衛に残して行ったのは、そういうことでしょう。構いませんよ」
「ルキア様と白哉様がここへ来る夜までに、一番いい場所を見つけましょう」
「そうですね」
白哉とルキアは隊務終了後、直接この場へ来ることになっている。それまでまだ数刻。三人は場所探しのため、再び歩き出した。
初め、緋真は屋敷で白哉とルキアを待ち、三人でこの丘陵へ向かうつもりだった。しかし、この丘陵は屋敷よりも隊舎からの方が近く、白哉とルキアは直接こちらへ来ることに決めたのだ。だからこそ、緋真がこの丘陵へ向かう道のりの護衛に、二人は信頼のおける己の斬魄刀を置いて行った。
千本桜と袖白雪の提案で早目に丘陵へ出向いた三人は、こうして一足先に桜を満喫しているわけである。
(夜が待ち遠しい……白哉様、ルキア……)
二人の顔を思い浮かべ、緋真はふわりと微笑んだ。
待ちに待った月の輝く夜。一番見晴らしのいい場所を見つけた三人は、そこへあらかじめ用意していた敷物を敷き、白哉とルキアを待っていた。
「緋真様、寒くはありませんか?」
「大丈夫です、千本桜さん。ありがとうございます」
「遅いですね……ルキア様と白哉様」
「やっぱりお忙しいんじゃ……」
「ご安心を。緋真様のためなら、どんな手を使っても二人はここへ来ますから」
千本桜が真面目にそう言うので、緋真は照れ臭そうに頷いた。
――と、そのとき。
「! この霊圧……」
「虚か」
やはりまだ危険な場所には変わりなかったようだ。複数の虚の霊圧を感じると同時、その異様な姿が現れた。
千本桜と袖白雪は緋真を護るように構え、小さく言う。
「緋真様は必ずお護りします」
「私たちにお任せください」
二人の言葉に緋真はにこりと微笑んで、「はい」と返事をした。その顔に、恐れや怯えはまったく浮かんでいない。
二人が誰の斬魄刀であるか、緋真が安心する理由はそれでじゅうぶんなのだ。それに、緋真は千本桜と袖白雪のこともよく理解していた。この二人であれば、緋真も命を預けられる。
「散れ」
千本桜が唱えた。虚は三人目掛けて迫ってくるが、千の桜の刃に一瞬でその身を斬り刻まれ消滅する。
「次の舞、白漣」
今度は袖白雪だ。氷の波に呑まれた虚は凍りつき、砕け散る。
「所詮はこの程度」
「私たちの敵ではありません」
二人の戦いを見ていた緋真は息を呑んだ。何て、美しいのだろう。
二人の力は戦いのものではないような気がした。これが千本桜と袖白雪の力――白哉とルキアの力。とても綺麗な力だ。二人にぴったりだと、緋真は思った。
「ありがとうございます」
「いいえ、まだです」
「最後に親玉が残っています」
すべての虚が消滅すると、奥の方から一際大きな虚が姿を見せた。巨大虚だ。
虚は見たことがあっても巨大虚など目にしたことがなかった緋真は、その大きさに目を丸くする。
「あれも、虚なのですか……?」
「はい。正確には巨大虚と言いますが」
「すごく強そう……」
「平気です。俺たちにとっては、普通の虚と何ら違いはありません」
そうして二人が再び刀を構えた瞬間。目の前の巨大虚は、突然大きな爆炎に飲まれ、跡形もなく消え去った。
「え!?」
崩れゆく巨大虚の姿に、緋真は慌てて千本桜と袖白雪を見る。二人は何もしていない。それどころか、二人はなぜか笑っている。
「あの……千本桜さん? 袖白雪さん?」
「どうやら、着いたみたいです」
困惑する緋真に向かって、千本桜は優しく言った。
「すみませぬ、姉様! 少し遅れてしまいました!」
慌ててこちらへ走り寄って来る妹の姿に、緋真は顔を輝かせた。
「ルキア!」
その後ろには、夫である白哉の姿もある。二人がそばまで来ると、緋真は顔をほころばせた。
「本当に申し訳ありません! もっと早く来るつもりだったのですが……」
「ふふ、いいえ」
「緋真、怪我は?」
「大丈夫です、白哉様。千本桜さんと袖白雪さんが護ってくれましたから」
どうやら先程巨大虚を倒したのは白哉だったらしい。緋真の髪に触れ、白哉は彼女を抱き寄せた。
「……そうか。ならばよい」
「ご心配をおかけしました」
「いや、私の方こそすまなかった。ずいぶんと久方ぶりになってしまったな」
お前をこの手で抱きしめるのも、と耳元で囁かれ、緋真は顔を赤く染めながら首を横に振った。
「いいえ、白哉様。私はこうして白哉様に抱きしめて頂けるだけで幸せです」
「ならば、ずっとこうしていよう」
目の前で愛を確かめ合う二人に、三人は目をそらした。顔が赤くならないのは、もう見慣れた光景だからだ。
「おい、そろそろ止めないとずっとあのままだぞ」
「今のお二人は周りが見えてませんからね」
「よし。頼んだ、千本桜」
「また俺ッ!?」
いつぞやと同じ流れ。だが二人に潤んだ瞳で見上げられては、千本桜に断るという選択は残されていないのだ。これまたいつぞやの流れ。
「主、緋真様……そろそろ」
遠慮がちに千本桜が声をかければ、緋真は顔を真っ赤にして我に返った。どこか白哉は不服そうだったが、夜桜という目的を忘れていたわけではなかったらしく、存外あっさりと緋真を離した。
「千本桜、袖白雪、ご苦労だった」
白哉に言われ、二人は微笑んだ。
「では、始めましょうか」
五人は敷物の上に腰を下ろした。虚との戦いを最小限に抑えたためか、桜に被害はほとんどない。これは一種の奇跡だろう。
「私、お弁当を作って来たんです」
敷物の隅に置いていた風呂敷包みを開き、緋真は重箱を取り出した。かぱりと蓋を外せば、中には彩り鮮やかなおかずが入っていた。
「すごいです、姉様!」
「とても綺麗ですね」
ルキアと袖白雪は顔を輝かせて言った。白哉と千本桜も素直に頷く。
「さすが緋真様」
「食すのがもったいないな」
だが、お弁当なのだから食べなくては意味がない。四人は用意されていた箸を持ち、まずは黄色く綺麗に色づいた卵焼きを摘まんだ。
「ど、どうでしょうか?」
口元に運ばれたのを見届け、緋真がおそるおそる尋ねる。
「……うまい」
「おいしいです!」
白哉とルキアの言葉に、面頬を外した千本桜と袖白雪はこくこくと首を縦に振る。
「おいしいです、緋真様」
「本当に」
緋真はほっと息をつき、おかずの入った段を退かせた。そこには綺麗な三角のお握りが敷き詰められていた。
「どうぞ」
少しの間、自分のお弁当を「おいしい」と言って食べてくれる四人を眺めていたのだが、白哉に自分でも食すよううながされ、緋真は箸を取り出そうとした。
「……あ!」
「どうした?」
しまった、と緋真は口元に手を当てた。
「自分の分のお箸を忘れました」
ドジを踏んでしまった自分に少し落ち込むが、みんなの分があったのでよしとしよう。緋真はそう思い至り、微笑んだ。
「……緋真」
「え?」
卵焼きをひとつ摘まみ、白哉は緋真の口元に運んだ。
「白哉様?」
「……私に言わせる気か」
珍しくうっすらと頬を染めて言う白哉の意図に気づき、緋真も顔を赤くした。相手に対してすることにはほとんど羞恥など感じないが、やられる方となると少し恥ずかしいものだ、と緋真は実感した。
「……頂きます」
パクリと卵焼きを口に入れ、緋真は照れながらも笑った。
「……このあたりだけ気温が上がっているのだが」
「少し下げましょうか?」
「頼む、袖白雪」
結局こうなるんだ、と三人は顔をそらしながら弁当を咀嚼した。それでも久々の家族の時間は、とても温かいものだった。
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夜桜の下、揃い合う