その日、虚退治に出向いた白哉は、部下数十名を連れてそつなく任務をこなしていた。
 これならば日暮れまでには隊舎に戻れるだろうと、白哉は屋敷で己を待つ愛しい妻の姿を思い出し、刀を握る腕に力を込める。早く終わらせて隊舎に戻り、屋敷へ帰りたい。今の白哉は、ただそれだけの思いで刀を振るっていた。

「うわあっ!」

 突如、少し離れた場所から、部下の悲鳴が聞こえた。白哉はすぐさま声の聞こえた場所へ駆けつける。
 そこでは、今にも虚の鋭く光る爪が、一人の隊士を貫こうとしていた。始解をする暇もなく、白哉は迷わずその場へ飛び出す。

「――え?」

 ぎゅっと目を閉じていた隊士は、おそるおそる目を開け、絶句した。

「く、朽木副隊長……!?」

 あの朽木白哉が、己のような平隊士を庇っていたのだ。
 ぱたぱた、と白哉の右腕から赤い雫が滴り落ちる。幸い白哉が負傷したのは右腕のみであったが、それでも利き腕をやられ重傷を負ったことには変わりない。だが、白哉は顔色ひとつ変えることなく、刀を構えた。

「散れ、千本桜」

 断末魔が響き渡り、一瞬にして虚は消滅した。呆然としていた隊士ははっと我に返り、慌てて頭を下げる。

「も、申し訳ありません! 俺……いえ、私のせいで朽木副隊長がお怪我を……!」
「構うな。大事ない」
「ですが……ッ!」

 白哉の言葉とは裏腹に、右腕はばっさりと斬られているらしく、どくどくと血が止まることはない。涙目になる隊士を一瞥し、白哉は背を向けた。

「死神ならば、たとえ死の直前であろうとも目を閉じるな」

 厳しく告げられた言葉に、隊士は目を丸くして白哉の背を見つめた。

「それすらできぬ者が、私を案ずるなどおこがましい」

 そう言って、白哉は再び瞬歩でその場を去った。残りの虚を倒しに行ったのだろう。

「朽木副隊長……」

 隊士は見えなくなった背に一度深く頭を下げる。そして自らも斬魄刀を握り直し、虚を退治するべく駆け出した。その遠い自隊の副隊長の背を胸に思い浮かべながら。





 任務を無事完了して隊舎へ戻った白哉たちに、傷を負った者は四番隊へ向かうよう隊長から指示が出された。それは白哉も例外ではない。屋敷へ帰りたい気持ちを抑え、白哉はしぶしぶ四番隊へ向かった。

「いいですか、朽木副隊長。くれぐれも無理はされないように」

 卯ノ花直々に治療を施され、白哉はきつくそう言われた。
 思っていたよりも、右腕の傷は深かった。全治二週間を言い渡され、その間は右腕を使わぬように告げられる。それにはさすがの白哉も口をはさんだ。

「日常生活に支障はないかと」
「あら、それを決めるのは私ですよ」
「……」

 にっこりと微笑まれ、白哉は何も言えなくなった。





 ようやく屋敷に帰った白哉は、清家を筆頭に青ざめる家臣達を下がらせ、自室へ戻った。肘から手首まで包帯に巻かれた右腕を、緋真は心配そうに涙目で見つめる。

「白哉様……」
「案ずるな、大事ない」

 部下と同じように白哉は言うが、その声は比べものにならないほど優しかった。しかし緋真は納得していないらしく、その顔から不安そうな色は消えない。

「動きますか……?」
「ああ。卯ノ花隊長にはきつく使うなと言われているが」
「よかった……」

 ほっと息を吐き出した緋真は、少しばかり安心した様子だった。そんな姿を見て申し訳なく思うと同時に、白哉の胸には妻への愛しさがあふれてくる。

「緋真」
「はい……きゃ!?」

 左腕のみで攫われるように抱き竦められ、緋真はすっと白哉を見上げた。

「お前がそばにいること。それが私の一番の薬になる」

 甘く耳元で囁かれたその言葉に、緋真は頬を染めながらも小さく頷いた。

「緋真はいつまでも白哉様のおそばにいるつもりです。……お許しくださいますか?」
「無論だ。離れることは許さぬ」
「大丈夫です。……絶対、離れませんから」

 二人は互いの目を見つめ合い、触れるだけの優しい口づけを交わした。





 翌日。出廷の用意をしようとしていた白哉に、緋真が少し遠慮がちに尋ねる。

「白哉様、右腕がお使いになれないのでは?」
「平気だ。日常生活に支障はない」

 一瞬、白哉の脳裏に満面の笑みを浮かべた卯ノ花の顔が過ぎったが、緋真に心配をかけるわけにはいかない。どうせばれないだろうと、白哉は一人頷いた。

「いけません!」

 緋真が声を上げた。目を丸くして緋真を見下ろす白哉。

「卯ノ花様にきつく使われないようにと言われているのでしょう?」
「……そのようなことはない」
「嘘。白哉様がご自分でおっしゃられてました」

 しまった、と白哉は目をそらした。昨日、自分がぽろりとこぼしてしまった言葉が仇になる。

「白哉様、無理はしないでください」
「大した傷では……」
「白哉様」

 最後まで言わせてもらえなかった。

「今日から私が白哉様のお世話をします」
「……え……」
「右腕が使えないと、白哉様も不便でしょう?」
「いや……それは、そうだが」
「お任せください」

 こういうときの緋真は強い。白哉が逆らえぬほどに。そしてなかなか譲ろうとはしないのだ。
 もちろん白哉とて、緋真に世話をしてもらうことが嫌なのではない。むしろ喜ばしいことだ。ただ、この調子だと屋敷内ではまったく右腕が使えそうにないな、と白哉はこっそり苦笑した。

「お前に任せよう」
「はい……!」

 花がほころぶような妻の笑みを見れば、たまにはこういうのも悪くないと思えた。
 妻に関しては、案外単純思考な男なのだ。

「ではまず、着替えをお手伝いします」

 外にいる清家から、あらかじめ用意されていた皺ひとつない死覇装を受け取り、緋真は器用な手つきで白哉に着せていく。一生懸命な緋真の姿を眺めながら、白哉は頬を緩めるのだった。





「どうかしましたか、白哉様?」

 きょとんと可愛らしく、上目遣いで己を見上げてくる妻は、この上なく愛らしい。尸魂界……いや、現世や地獄を合わせても、緋真に勝る女性はいないと思う。
 だが、白哉は今の状況に少なからず動揺していた。

「……緋真、それくらいは自分で」
「なりません。何度言えばおわかりになられるのですか」
「食事をとるだけなら、右腕にも負担はかからぬであろう」
「わからないでしょう」
「……」

 二人で寝所を後にし、朝餉をとりに来たまではいい。
 緋真は白哉以上に心配性なところがある。つまりは、右手で箸を持つことさえ許してもらえぬ状況にあるということだ。
 では、「じゃあどうするの?」という疑問が頭に浮かぶだろう。その解決法こそが、白哉を動揺させていた。

「はい、白哉様」

 にこりと笑い、緋真は白哉の口元へ上品に煮物を運ぶ。
 いわゆる、「あなた、あーんして!」「あーん。おいしいよ、お前!」という恋人同士、または新婚夫婦の間でする甘いやりとりだ。

「……」

 なぜだろうか。なぜに緋真はまったく恥ずかしげもなく、このような行為ができるのだろう。普段は接吻のひとつやふたつで顔を赤く染める彼女が、なぜこの行為に恥じらいを持たないのか、白哉は不思議で仕方なかった。

「あの、もしかして……ご迷惑でしたか?」

 不安そうに尋ねてくる緋真に、白哉ははっと我に返った。すぐさま首を横に振る。

「そのようなことはない。緋真が私の世話をしてくれることはとても嬉しい」

 緋真の額に軽く口づけ、白哉は優しく微笑んだ。その行為と白哉の綺麗な笑みに、緋真の顔がみるみる赤くなっていく。緋真は思わず箸と煮物を落としそうになるが、何とか落とさずに済んだ。
 やはりこちらは恥ずかしがるのだな、と白哉はひっそり口角を上げた。

「では、どうして召し上がられないのですか?」

 まだわずかに不安げな色を携え、緋真は白哉を見上げた。本気でわかっていないらしい緋真に、彼女の恥ずかしがる基準がわからなくなる。
 これ以上緋真の不安そうな顔を見るのも、誤解されるのも勘弁したい白哉は、小さく口を開いた。

「……少し、恥ずかしかっただけだ」

 緋真は目を丸くし、白哉を見つめた。いたたまれなくなった白哉は、さっと顔をそらす。生憎、牽星箝でビシッと髪を上げているため、その赤い顔が長い黒髪に隠されることはなかった。

「……ふふ」

 笑い声を漏らした緋真を、白哉はじとっと睨みつけた。それでも緋真の顔から笑みが消えることはない。
 緋真からすれば、普段は平然と恥じらう様子を微塵も見せずに接吻をしてくる白哉が、どうしてこれくらいのことを恥ずかしがるのか不思議だった。

「ふふ」
「……笑うな」

 そんな白哉が、緋真は可愛くて仕方なかった。普段は格好よくて綺麗で頼もしい自慢の夫だが、こうして自分だけが見ることのできる夫はとても可愛いと思う。
 緋真は先程からずっと箸にはさんでいた煮物を、もう一度白哉の口元に運んだ。

「白哉様、あーん」

 その言葉に、再び白哉は固まった。

「白哉様?」
「……そのような言葉、いったいどこで覚えてきた」
「京楽様が以前、私にしてくださったのです」
(……殺す)

 ごおうっ、と一気に白哉の体中から殺気が放たれる。
 私のいない間に緋真に手を出そうとは、と白哉は見るものすべてを凍らせるような冷たい笑みを浮かべた。

「あの、白哉様……?」
「何でもない、気にするな」

 ただならぬ白哉の雰囲気を感じ取り、緋真は首を傾げた。すぐいつもの白哉に戻ったことを確認すると、緋真は笑顔でもう一度言う。

「白哉様、あーん」
「…………あーん」

 緋真に期待の満ちた表情で見つめられ、白哉は小さく小さく呟いた。緋真以外が今の白哉を見たならば、きっと卒倒してしまうだろう。
 白哉が煮物を飲み込むと、次は焼き魚の身をはさみ、緋真は白哉の口元へ運んだ。

「はい、あーん」

 この食事中は、終始、顔を赤く染めていた白哉だった。ちなみに清家を筆頭とした家臣らは、空気を読んで早いうちから部屋を退出していた。さすがである。
 普段よりも遅く出廷した白哉の手により、某八番隊隊長が四番隊の世話になったのは言うまでもない。




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