チョコレートケーキが食べたい、そうリナリーが呟いたのを、神田は聞き逃さなかった。だからといって、もちろん神田が何かを言うわけでもない。

「ねえ、神田。聞こえてるんでしょ」
「……聞こえねえ」
「もう! ちゃんと聞こえてるじゃない!」

 頬を膨らませ、拗ねた表情を作るリナリーをチラリと横目で見つつ、神田は手入れしている六幻から顔を上げなかった。
 ブルーのクッションを抱いて隣に座っているリナリーは、もう一度同じ言葉を呟く。

「神田、チョコレートケーキが食べたい」
「……何で俺に言うんだよ。ジェリーんとこ行ってこい」

 チッ、とお約束の舌打ちの後、神田が面倒そうに返した。だが、それはもっともな発言だった。
 蕎麦を打つことはできても、チョコレートケーキを作る技術を持ち合わせていない彼に頼んだところで、当然その品が出てくるわけもなく。なぜ、リナリーがしつこく自分に言ってくるのか、神田には理解できなかった。

「……もういい」
「あ?」
「神田なんて知らない! いいよ、アレン君かラビに頼むから!」

 ガバッと勢いよく立ち上がったリナリーに驚くが、それよりも彼女の顔が予想していた表情とは違っていたことに、神田は呆気にとられた。

「……何て顔してんだよ」

 神田が見上げた先のリナリーは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。まったくもって意味がわからない。どうやら流れ的には自分が原因のようだが、思い当たる理由が神田にはなかった。

「おい、リナ」
「……神田が言ったんだよ。一週間前」
「一週間前?」
「あたしが、久々に街でお茶したいなあ、って言ったら」
「……」
「あたしたちの任務の被らない日ができたら、一緒に行ってやるって」

 そこまで言われて、ようやく神田は思い出した。一週間前、確かにそんな会話を二人でした覚えがある。
 そうだ、あのときリナリーが「誰か一緒に行ってくれないかなあ」などと自分の前でわざとらしく言うものだから、つい根負けして、約束してやったのだった。

「……悪ィ、忘れてた」
「すっごく楽しみにしてんだから」
「だから謝ってんだろ」
「バ神田」
「つーか、お前も回りくどいんだよ」

 グチグチと二人で小さな言い合いを続けている最中、神田は六幻の手入れを終え、刀身を鞘に収めていた。そのことにリナリーが気づいたのは、神田がソファーから腰を上げたときだった。
 目を瞬かせ、「神田?」と、不思議そうに立ち上がった彼を見上げる。

「さっさと準備しろよ。行くんだろ」
「!」

 ぶっきらぼうに、けれど優しさをふくんだ声色で、神田はリナリーを見下ろしながら言った。その声と台詞を聞いたリナリーは、ああ、ずるいなあ、と心の奥でひっそり呟く。
 もとはといえば、悪いのは目の前で尊大な態度をとっている彼なのに、いつもこうして最後には、その彼に幸せだと感じさせられてしまうのだ。――適わない。

「ずるいよ、神田」

 ぽつりと、今度は声に出してみる。

「あ? 何がだよ」
「何でもない!」

 首を振り、嬉しそうに立ち上がったリナリーは、そのまま勢いよく神田の左腕を掴んで歩き出した。神田の「おい、リナ!」という制止の声も聞こえていないふりをして、そのままぐいぐいと腕を引っ張り、足を進める。

「出かけてくれるんでしょ? 早く行こうよ、神田!」

 扉を開けながらこちらを振り返ったリナリーは、ただの少女のような笑顔を浮かべていた。
 この笑顔を見ると、何も言えなくなってしまう。だが、彼女のこの笑顔は嫌いじゃない。

「わかったから、そんなに急ぐなよ」
「忘れてたの、神田のクセに」
「うるせえ」

 戦争中であることを忘れてしまいそうになる、ほんの些細な幸せだった。





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星屑を抱きしめて

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