As you like it [1] | ナノ
As you like it [1]

 本日は晴れ、ところにより雨か雷雨でしょう――ノイズまみれの旧式ラジオ、白いコートとシャツに点々と付いた半乾きの染み。その二つが朝から地下鉄(サブウェイ)に居たノボリに外の天気を教えていた。
 テーブルの上に置かれた時計が示す残り十五分、休憩時間だというのに一言も喋らず作業に没頭していた彼へ『ねえ』と、投げかけられる問いかけ。返答代わりに視線を上げ、邪魔されたことに対する不服から軽く目を細める。
 それを見た片割れことクダリの目も同じように細まるが、不機嫌を絵に描いたような兄のノボリとは違い、口元に浮かんでいるのは見た目だけだが柔和な笑みだ。黒い瞳孔が強調されるような――極限まで薄めた青を滲ませたような灰色の光彩も相まり、部屋の温度が下がったと錯覚してしまいそうになる。
「いつも思ってたけどさー、君は資源の無駄遣いが好きなの? もしかして誰かに呪いでもかけたかった? それとも何かに目覚めてしまったの? 見てるだけで不安になるなんて、これはもう一種の才能だよ、さ・い・の・う」
 縦五センチかけることの横八センチ、奥行きは割愛。この小さなスペースにノボリは溢れんばかりの情熱を叩き込んだ。ささやかなりとも売店の売り上げに貢献すべき、という謎の使命感からチャレンジした――の、だが。結果として散々な≠ニしか形容できない醜態を晒(さら)してしまっている。
「……歯に衣着せぬ品評、誠に有難う御座います」
 溜息を吐くと同時にマーカーのキャップが乾いた音を立てて床を転がり、片割れのまなざしから逃げるように身を折ってそれを拾い上げた。憮然(ぶぜん)とした顔でキャップを閉めるきゅっ≠ニ、言う音が内心を表しているようで何とも気まずい。
 表面上は冷静に見えるが、それは薄氷の上にあるような危うさを伴っていた。そのため全体的に見るとああ、ノボリという人は動揺しているんだな≠ニ、容易に理解できる。
「え、なに、ひんぴょお? ないない。確かに前衛的とは言ったけど、それって芸術家に失礼なんじゃないかなー。めちゃくちゃ、とても、かなり、すっごく」
「……クダリ」
「うーん、ぼく謝った方がいいかな? ノボリはサブウェイマスターであって、芸術家じゃないんだし」
「クダリ、いい加減になさい。胸がズキズキと痛むのです」
「そうだなー、うん、謝ろう。と、言うわけで、全世界の芸術家のみなさん失礼なことを言ってごめんなさい」
 深く頭を下げた片割れの姿を見、ノボリは頭痛と怒りをこらえるように深い溜息を吐いた。確かに他人から見ればおかしい……もとい独創的なのかもしれないが、彼からしてみれば自分が思ったこと感じたことを伝えようと努めた結果であり、嫌味を言われる筋合いはどこにもない。
 だからといって怒りを露わにすればあなたの言うとおりです≠ニ、自分の感性に否があることを認めてしまうようで癪(しゃく)に触る。そんな彼の内情を知ってか知らずか、クダリは子供がするように首を左右に傾けながら『今どんな気持ちー』と、ノボリの神経を逆なでするように言った。
 それに対し、彼は指の先で机を叩きながらいつもより低い声色で告げる。
「……でしたら。今すぐ、教えて差し上げましょうか?」
「えー、君が言うそれって肉体言語って奴でしょう? できれば、ぼくとしてはもっとクールかつ穏便(おんびん)に口頭ですませて欲しいんだけどなー。まあぼくからの返答は結構でーす≠チてことでよろしく」
 聞かなかったフリをしてクダリは曖昧(あいまい)に笑い、黒いマーカーを手に取ってから硬いパイプ椅子に腰掛ける。上機嫌な鼻歌交じりに形作られていくのは、可もなく不可もない普通の宣伝ポップ。
 つまらなさそうに頬杖をかきながらそれを見ていたノボリが『情熱が伝わらない』だとか『売る気はあるのか』などと言っていたが、反対に『情熱だけ伝わってきてもしょうがないでしょ』だとか『君に言われたくない』などと言われ、口を開けば反論されると思ったのか口を噤(つぐ)んでしまう。
 対抗すべく黙々と作業に勤(いそ)しむノボリから次々と生み出されてゆく、宣伝用と言うにはあまりにも過激なポップ。
 相手をしてもらえず暇なのか、左人差し指と右人差し指を戦わせていたクダリが数多くあるうちの一枚を手に取り『君さあ』と、たるんだゴムを引き伸ばすように言葉を紡ぐ。
「デキルコトとデキナイコトの差が酷すぎるよねー」
「お黙りなさい、人には得意不得意というものがあってですね……。ですが、前回、前々回、その前も。情熱の欠片もないあなたの方が選ばれたのがいまだに信じられません。わたくしあんなに精魂込めて描きましたのに……何がいけないのでしょう?」
 紡がれた言葉に含まれるのは呆れか諦め――あるいはその両方。だが表面上のものにしか気付いていないノボリは不機嫌そうに言い、更に問いかける。
「そりゃー君のはアレだもの。肉親であるぼくでさえ見てて気分がちょっと悪くなるって言うのに、ぜーんぜん気付きやしない。君はもう少し自分の破滅的なセンスと壊滅的な技術力に自覚を持つべきだよ」
「ああ成る程。きっと情熱が伝わらなかったのですね……次はもっと頑張らねば」
「ねえノボリ、人の話聞いてる? むしろ聞く気ある? ぼくに聞いたの君だよね? それともわざと聞こえなかったことにした? 君はいつからそんなに性格が悪くなったの?」
「あなたが何を言っているのか分かりかねます。……と、そろそろ休憩時間も終わりですね」
 手早く机の上に散乱していたマーカーを手に取り、リストに印字されている順に並べる。几帳面というより潔癖感すら感じるほど整頓された机の中にそれを入れ、サイズ順に紙を整えてケースの中へ。
 一連の動作には無駄がなく、まるで機械を思わせて正確だ。
「では行きますよクダリ、業務再開です」
「もっとゆっくりしていこうよー。まだ時間あるでしょ五分ぐらい」
「……クダリ。五分前行動、というのをご存じで? トップのわたくしたちが行動せずして、下の者が付いてくるわけがありません。さ、用意なさい」
「えー、なにそれ。家ではご飯冷めるよって言っても今いいところなんですあと十分まってくださいまし、とか言ってごろごろしてるくせに」
 返答代わりに帽子を被り、そのまま颯爽と部屋を出て行くノボリの背を見ながらクダリは『切り替え早すぎ』と、唇を尖らせる――それだけあなたとだけいる時はリラックスしている、ということにしておいて下さいまし。

――――――

君の好きにすればいいじゃない!

2011/09/19
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