End-No.3:嘘。
血の臭いがする。
後ろから抱きすくめられたまま身動きが取れず、ふ、と視線を足元に移した。ひとつ、ふたつと咲いては散っていく真っ赤な命の花――なんて痛く、悲しく、儚く、綺麗。
血の臭いがする。
かつん、と、ナイフだか硝子の破片だか分からない何かが乾いた音を立てて床の上を転がり、赤い線を生むのをぼんやりと見ていた。嗚呼痛い、痛くて熱い、苦しくて気持ち悪くて呻き声すら上げる気力がない。
血の臭いがする。
「ボクにはやることがたくさんあったのに」
ぽつりぽつり、呟いた言葉が消えていく。ごぼごぼ、喉の奥で音がする。ねえ知ってる、これ凄く苦しいんだよ? でも身長を考えると、ここにしか刺さらないか。苦しいなあ、痛いなあ。でも痛いのには慣れてるから、やっぱり苦しいなあ。
「キミはひどい子だ」
体を支えきれなくなり、床の上にへたり込む。色々なものが流れ出す感触に頭がくらくらとして気分が悪い。これはもう助からないな、そんなことを思いながらゆっくりと首を捻り、彼の方を向いて笑って見せた。
血の臭いがする。
強く抱き締められながら耳元で囁かれる『愛してる』に、ざわざわと体中が総毛立つ。寒いのかなと思ったけれど、少し違う。血の気が引くようなすうっとした如何ともしがたい感触に嗚呼これが死か≠ニ、考えた。
できなくなってしまう前に、もたもたと唇を動かして言葉を紡ぐ。
「ところでトウヤくん。ボクのこと殺したいぐらい、憎かったの?」
『違う、愛してるから』彼は言った。愛しているのならどうして殺すんだろう、ボクはもうすぐ死んじゃうよ、頭がぼーっとしてきた。御免なさい父様、ボクは最後まで駄目な子でした。あなたは泣いてはくれないでしょうが、ボクは泣きたいほど辛くて悲しいです。
血の臭いがする。
びっくりするぐらい時間をかけて、ゆっくりと言葉を形にする。本当はもっと詰まったし、何度も気持ちの悪い咳をした。つまりボクが言いたかったことは、こうだ。
「ボクはキミのこと愛してたよ、だからこんなことされても怒ってないし、仕方ないって思ってる。生まれ変わったら必ずもう一度キミと出会って、その時は愛してるって言うよ。だから、キミは生きてね。寿命が来るまで幸せに生きてね。ボクのことなんか忘れて、普通の人みたいに幸せに生きてね」
彼はわんわん泣きながら、ボクの体をぎゅうっと抱きしめた。苦しいなあ、苦しいなあ、声の代わりに血の塊が溢れてごぼごぼウルサイなあ。
そんなことをされたから、最後の言葉を紡ぐ前に、世界とボクとを繋ぎ止めていた糸がぷつん≠ニ、切れた。
血の臭いは、もうしない。
ボクがボクで無くなる。
落ちていく、溶けていく、消えていく、崩れていく、壊れていく。
どこまでも深く、深く、寒く、冷たく、暗い、クライ。
ごめんね、最後の言葉は全部――
――――――
「死ね、嫌い、失せろ」より「生きてね、好きだよ、愛してる――嘘だけど」
呪いでなければ何だというのか。
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