05:どれだけ待っても、朝は来ない | ナノ
05:どれだけ待っても、朝は来ない

 綺麗な瞳の小鳥が掠れた声で啼いている。
 ひとつ、また一つと足下に落ちてくる風切り羽を見ながら、鳥好きの友人に尋ねた。
 どうして切ってしまうのか、と。

「仕方ないだろ。見ろよ、飛べやしないのに飛ぼうとして傷だらけだ」

 一体何が仕方がないというのだろう。
 飛ぶことはおろか、自分で餌を取ることすらできなくなるのに。
 確かにその小鳥はあちこち傷だらけで、治療の跡が痛々しい。

「中途半端に切るからこうなる」
「だからといって、空を飛ぶ自由を奪ってしまうのは可哀相じゃないか」

 『あなたの行いは間違っている』という言葉の変わりの問いかけ。
 掠れた声で小鳥が啼く――止めてくれ、と言っているように聞こえたのは気のせいだろうか。そんな風に思っているのが伝わったのか、視線の先で鳥好きの友人が薄く笑う。

「愛するが故に、だ」

 手慣れた様子で羽に鋏(はさみ)を入れながら紡いだ言葉に陰りは一切なく、それが彼にとっての答えなのだろうと思った。だとすれば、他人がどうこう口を出す問題ではない。
 
 それでも――けれど。

「そんな顔するなよ、一生の世話はするつもりなんだから」

 ぱちん、と最後の風切り羽を断ち切った。

――――――
 
 長い夢の終わりと、朝の訪れ。

 追い続けたミナキと、見続けていた僕と――歩いてきた道は一緒だったけれど、歩いて行く道は違った……ただ、それだけのこと。けれど僕はその『それだけのこと』を受け入れられない。

「しばらく旅に出ようと思う」

 日の光に溶けそうなほど淡い笑みを浮かべ、ミナキがぽつりと言う。これは夢なんだと思い込もうとする心の動き、けれど現実はそれを許さなかった。

「僕が嫌いになったの?」
「そうじゃない。ただ……お互いに歩むべき道を探すときなのだろう、と思ったんだ。ここは居心地が良すぎる――ずっとこのままで良いと思ってしまう」

 覚めない夢はなく、明けない夜もない。 
 わかっていたことなのに。

「だから――」

 頭の中で何かが音を立てて軋み、理解することを拒むように視界が歪む。
 ミナキが告げた『さよなら』をどこか遠くで聞きながら、秘めていた思いが捻(ねじ)れ、別の思いにすげ変わるのをはっきりと感じた。

 伝わらない、つかまえられない――引き留められないのなら、無理矢理にでも引き留めるしかない。そうするのが当然だと考えてしまうほど、抱いた感情の醜いこと。

 吸ってしまわないように気をつけながら、瓶の中身を匙(さじ)ですくった。ゆらゆらと揺れる天秤を見ながら、最後まで釣り合うことのなかった僕とミナキの関係を思う。
 
 ずっとそうしたかったと思っていた僕、そうしてしまったことを後悔し続けたミナキ。
 これから始まると思っていた僕、終わってしまったと思ったミナキ。
 明らかな偏り。

 罪悪感が鎌首を持ち上げ『まだ間に合う』と、僕の中に幾ばくか残っていた良心が訴えかける。こんなことをして、手に入れた気にでもなっているのかと囁く別の声を押さえつけて、調合済みの眠り粉を食事に混ぜた――決して許しては貰えないだろう。

「きっと、嫌われちゃうね」

 これが正しくないことぐらいわかっている、と自虐の笑みを浮かべながら死んだように眠るミナキの頬に触れた。もしかしたら、このまま眠っていた方が幸せなのかもしれない。

 目が覚めて……僕に何をされたのか、僕が何しようとしているのか理解した時、いったいどんな顔をするのだろうか。僕を罵り、喚き、抵抗し、最後は泣くのだろう。

 最初で最後の裏切り――こうすることで、もうどこへも行かないというのなら。
 
「……それでも、構わない」
 
 抱き上げた拍子に、ミナキの手の中から腕時計が滑り落ちる。
 
 ぱちん、と硝子が割れる音がした。

――――――
 
 食事を運ぶために、薄明かりで照らされた階段を下ってゆく。

 日の光を拒絶するかのように窓がなく、出入り口は一つの上に外からしか開かない。閉じ込めるためだけに作られたとしか思えない構造、一番近い言葉を当てはめるのなら座敷牢。

 閂(かんぬき)を開けて中に入ると、力なく横たわっているミナキの姿が薄明かりに浮かぶ――が、寝ているのか動かない。一度、二度名前を呼ぶと瞼(まぶた)が痙攣するように動き、軽く体を揺するとかすかな呻き声が唇から漏れた。
 のろのろと体を起こしたミナキと僕の視線が重なり、青い瞳が見開かれる。

「マツ――」
「お寝坊さんだね、もう夜だよ……っていっても、朝も夜もミナキにとっては同じだろうけど」

 光を反射して揺れるそれは、まるできらきらと水面が輝くよう。食事を傍らに置き、逃げないようにと折った足に手を伸ばした。走ったりはできないだろうけれど、歩く分には問題ないはずだ。

「まだ痛い?」

 指先が触れた瞬間、ミナキの体がびくりと痙攣するように跳ねる。言葉にならない掠れた声を上げ、這って逃げようとするのを押さえつけた。満足に動かない足で、どうやって逃げるつもりだったのか。

「ここから、出して――出してくれ」

 恐怖で震える唇から紡がれた言葉は、掠れてひどく聞きづらい。壊れた機械のように繰り返される懇願。どす黒い感情が沸きだしてくるのをねじ伏せ、口元に優しそうに見える笑顔を作る。
 
「残念だけど、それはできないんだ」

 肘と膝についたいくつもの擦過傷(さっかしょう)、爪がはがれてしまった指。
 薄明かりに照らされる抵抗の痕跡。

 中途半端にするから、あちこち傷だらけだ――足だけではなく手も、手だけではなく目も、耳も……なにもかも全部つぶしてしまった方がいいのかもしれない、と思った。
 そんなことを考えているのが伝わったのか、ミナキの震えがいっそう激しくなる。

「どうして……こんなひどいことを……私に」

 嫌いなわけではなく、好きだからこそ自由を奪う。
 逃げないように、逃げようとして怪我を負ってしまわないように。
 憎いからではなく、愛しいから。

「これ以上、ひとりでいたら――狂う、狂ってしまう……」

 完全な暗闇の中で、正気を保っていられる人間などいない。最初に時間の感覚がなくなり、やがて自分が生きているのか死んでいるかすらわからなくなる――遅かれ早かれ、ミナキの精神は砕けるだろう。

「そうは言うけど……この前もそんなこといって逃げようとしたでしょ?」

 そんなことわかっている――それでも。

「逃げない、約束する。もう逃げたりしない、だから……」
「僕だって本当はこんなことしたくないんだ、わかるよね」

 精神を追い詰めてゆく卑劣な嘘。
 逃げられない、逃がさない、どこへも行かない、行かせない。
 折れそうなほど細い体を抱きすくめ、耳元に唇を寄せる。

「大丈夫、心配しなくて良いよ」

 青い目からぼろぼろと涙がこぼれる――なんて綺麗。
 
「たとえ狂ったとしても、僕は一生ミナキの面倒を見るつもりだから」

 ぱちん、と張り詰めた精神の弦が弾けた。

――――――

さてはて、狂ったのはだぁれ?
2010/06/28
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