I wish I were a bird.[3] | ナノ
I wish I were a bird.[3]

 紅に染まった葉が落ちる。それは枯れて黒ずみ、朽ちるのを待つだけになった葉の上に重なり、見えないようにと覆い隠してゆく。空は嫌なほど晴れているのに、降り注ぐ日差しは暖かいのに、組んだ指が凍えるように冷たい。
 乾いた唇から、最後の言葉がこぼれ落ちる――とてもとても、非道い話をした。
 少年を妬んでしまったこと、スイクンという生き物を憎んだこと、親友の不幸を喜んでしまったこと、僕が本当はどんな人間なのか。するべきではなかった、すべき話。
 話し始めてから終わりまで、視線は一度も合わない。目を合わせたまま話す自信がなかっただけだ。きっと僕は本当のことは言わず、嘘ばかり吐(つ)いて。なんでもないと笑い、なかったことにする――間違いなく、そうしていただろう。
 やがて訪れたのは息が詰まるような沈黙と、耳が痛くなるほどの静寂。
 横へと向けた視線の先、暖かな日だまり、いつも彼が座っている場所、短めに切られた爪、思ったよりずっと白くて長い指、皺一つ無いシャツ、朝焼けの空に似た色の髪、血色のいい唇。それから……空のようであり、澄んだ水のようにも見える青い瞳。込み上げてくる罪悪感から直視できず、唇の辺りへと僅かに視線を逸らす。僕は、本当に卑怯だ。
 長い長い静寂と沈黙の末――そうか、と、彼は少しだけ笑った。
 思わず息を飲み、冷たい空気が入り込んでくる。だから胸が痛いのだと思いながら、罵りもせず泣きもしなかった彼に向かって言葉を紡いだ。
「どうして?」
 悲しくておかしくて泣きそうで叫び出しそうになるのを必死で押さえつける――僕はこんなに非道い人間なのに。理解したくないと心が軋む音を聞きながら、再度どうしてだと言葉にする。
 許して欲しかった訳じゃない。こんなに非道いことをしたのに、隠したままでいるのが嫌だっただけだ。親友と呼んでいた人間からこんなことを言われたら、きっと傷つくだろうとわかっていたのに。それでも、僕が辛いからという自分勝手な理由で話して聞かせた。
 だから、そんな風に思うのは止してくれ――本当は自分が許されたがっていることに気付いてしまう。
 どうして、の問いに答えはない。話し始めから終わりまで、一度も合わさることのなかった視線がようやく交わる。そこにあるのは変わらない穏やかな笑みと、真っ直ぐな瞳。何を考えているのか、どんな思いを抱いているのか視ようとしても、完全に平常心を失った今の状態ではわかるはずもない。それどころか、逃げてしまいたいと思っていることに組んだ指に力を込める。
 彼はそうかと言っただけだ――罵りもしないし、泣きもしない。それに立ち去る様子もないけれど、決して許された訳ではないということぐらいはわかる。罪悪感と安堵が混ざり合い、どうしたらいいかわからない。それだけしか言葉を知らない哀れな鳥のように、何度も僕は非道い人間なんだと紡ぎ続けた。
 視線の先、穏やかだった彼の笑顔が困ったようなものに変わる。それから小さく溜め息を吐いて、咎めるように僕へと紡がれた言葉が耳を打った。
「どうして……か、やれやれ。それはこっちの台詞だ。自分はひどい人間なんだ、だから嫌ってくれ、なんて言う奴は初めてだぞ。マツバ、そんなにお前は私が嫌いなのか?」
「違うよ」
 それ以上目を見ていられなくなり、組んだ指に視線を落としながら小さく呟く。降り注ぐ日差しは暖かいのに、相も変わらず指は氷のように冷たい。ざわつく心を落ち着かせようと、溜め息のように深く息を吐いた。
 僕が君を嫌いだって? そんな訳がないじゃないか。他人がどれだけ僕のことを嫌ったり好いたりしても、何も感じなかった。というよりも、興味が持てなかった……と言った方がいいのかもしれない。
 自分でもはっきりわかる――他人に対してここまで好意を抱いたのは初めてだ。敬愛を抱いた人はいたけれど、結局それは憧れの延長線でしかない。……他人なんてどうでもいいと思っていた僕が、こんな風に思うなんて。
 親愛の情かとも思った。けれど、これは違う。その人が好きだというものに嫉妬してしまうほどの思いを、親愛とは呼ばない。だとしたら、この思いの名は――
 ここまで考えてから、いつの間にか彼の顔が至近距離にあることに気付いた。驚いて身を引こうとしたけれど、それを許すほど彼は間抜けではない。
 逃げるなとでも言うかのように、手を床に押さえつけられる。痛みはなく、押さえつけている力もそこまで大したことはなさそうだ。はね除けることなんて造作もないことだろうとは思った。けれど、恐怖と呼ぶには過ぎ、不安と呼ぶには少しばかり足りない感情が沸いてくるのを感じ――青い瞳へと視線を合わせた瞬間、冷たいものが背中を駆けてゆく。
「いいか、良く聞け」
 有無を言わさない威圧感に気圧され、静かに首を縦に振った。あれだけ冷たかった指が、押さえつけられたその手が、今は痛いほどに熱い。同時に、このまま離さないでという場違いな思いが沸いて出てくる。
 もうすぐ彼は僕の前からいなくなるから、こんな風に思うことはもうないよ――と自分に言い聞かせて、真っ直ぐ向けられている瞳をじっと見つめ返した。
「マツバ、確かにお前はひどいやつだ。流石に私も少しむっときている。今だってお前じゃなかったら、殴りつけていたかもしれん」
 ああ、やっぱりねと言おうとしたところに、彼の視線が突き刺さる。何も言わせないという光を宿した青い瞳に、紡ごうとした言葉が消え失せた。
「どうしてだと言いつつ、私の目を見ようとしないところも腹が立つし――確かに、一瞬という僅かなものだとしても、私の不幸を喜んだのはひどいことだ。誰に聞いてもひどいと言うだろう。私だってそう思っている」
 でも、と困ったように笑って。
「もし逆の――私がマツバの立場だったら……私もきっと、同じように思っただろうな。たとえ心の底から喜んでやろうと思っていても、[つい]ということもある。私があの少年のことを妬んだように、私を選ばなかったスイクンを一瞬といえど恨んだように」
 何を言いたいのかわからない――わからないとそう思いたかった。……けれど、僕にはわかる。わかってしまう。何が言いたいのか、何を思っているのか、どんな思いを抱いてその言葉を口にしているのか。だから、視線を外した。外すしかなかった。
 お願い僕を許さないで――許して。ごめんなさい、本当は、ずっと一緒に、言えない、でも、独りは、嫌、行かないで、行かないで、行かないで。
 ……溢れ始めた思い。一つでも出してしまえば止められないとわかっていても、心が勝手に叫ぶ。止めるために笑おうとして、それは歪んで笑顔という形にならない。それでも無理に笑おうとした結果、絶息にも似た言葉にならない吐息がこぼれ落ちる。
 懇願するように紡いだ言葉は掠れ、震え、まるで泣いているようだ。
「止してくれ――頼むよ、駄目なんだ」
「マツバ……」
「僕は最低の奴なんだ。子供相手に本気で嫉妬して、親友だと言ってくれた君の不幸を喜んで……お願い、僕を決して許さないで。そんな優しいことを言わないで――お願いだよ、お願い、お願いします。許さないで」
 辛いのはひとりじゃない、苦しいのは僕だけじゃない、悲しいのは一緒だ――そう思ってしまったことを許そうとする彼の優しさが痛かった。許されるべきじゃない、と揺れる心に聞かせ、床に爪を立てた痛みで仮初めの平静を保とうとする。
 僕の手をずっと押さえつけていた手が離れ、急速に温もりが失われてゆく――嗚呼、とうとうこれで終わりだ。と、思った。
 ……別にいいさ。ただ元に戻るだけだ。ずっとひとりだった。なにも変わらない。でも。もう誰かが僕を訪ねて来ることはないんだ。[千里眼のマツバ]を訪ねてくることはあっても彼のように普通の人間として――違う僕は悲しくなんてない苦しくなんてない辛くなんてない寂しくもないしなんともない。なんともないんだ。
「やれやれ、仕方のない奴だ」
 彼の呟きが耳朶を打つ。頭を撫でられていると気付いたのは、その青い瞳に視線を向けたときだった。視線の先、血色のいい唇が緩やかな弧を描く。
「手に入らなかったものを嘆き、自分の変わりにそれを手に入れた人間を妬み、時に憎しみさえ抱く。それを深く後悔して自分を責め、それでも耐えきれず罰を与えられることを願う――人間らしくていいじゃないか。……だから私は[そうか]と言ったんだ」
 降り注ぐ陽光は、彼の浮かべている笑みと同じようにひどく穏やかなもので――直視することを拒み、目を背けてしまいたくなる。僕がどんなにひどいことを言ったとしても、きっと彼は笑って許してくれるだろう。そんなことは最初からわかっていたはずだ、彼はとても綺麗で優しい人間なのだ、と。
 泣きそうになるが、それは悲しみからではなく喜びからのものだということに、何度目かの自己嫌悪に苛まれる。
 泣いているのかと心配そうに聞かれて、違うと答える。これ以上目をあわせているのが辛くなって、彼の胸に縋り付いた。驚いて身をすくませた彼の腕を掴み、俯いたまま僕は最低の人間だと口にする。
「あんなに罪悪感でいっぱいで、君に申し訳のない気持ちでいっぱいだったのに――泣きそうなほど嬉しいなんて。僕は最低だ、最低の人間だ。君が親友だと呼んでくれたのに、どうして僕はこうなんだ?」
 声が震え、掠れる。言葉を紡ぐのがこんなに辛いこととは思わなかった。
「ごめん、ごめんなさい。行かないで――嫌いにならないで」
 思いがそのまま言葉になる。飾るものは何もなく、それは痛々しささえ感じたことだろう。それでも必死に紡ぎ続けた。ごめんなさい、行かないで、嫌いにならないで。愚かなまでに純粋な、偽りのない言葉。
「馬鹿だな、私がこんなことぐらいでマツバを嫌いになるわけがないじゃないか」
 そっと腕に添えられた彼の手から伝わる暖かな熱と、これ以上ないぐらいに優しい声。あんなにひどいことを言ったのに、それを[こんなこと]と言って許してしまえる彼の優しさがいたい。どうしようもないほどいたくて、涙が出そうになるのを堪えた。
 顔を上げて、視線を合わせる。
「これからも――こんな僕だけれど。それでも……君は親友と呼んでくれる?」
「ああ、もちろん。私が親友と呼んでいるのはマツバだけだ」
 笑おうとして、これまで必死に堪えてきたものが器から溢れていくのがわかり――これ以上みっともない顔を見せたくなくて、抱きつくように身体を寄せ、言葉を紡ぐ。
「すぐにいつもみたいに笑うから――だから、ちょっとだけ……このままでいさせて」
 返事はなく、そのかわりに子供をあやすかのように頭を優しく撫でられる。まだ子供だった頃、よくこうして貰っていたような気がする。昔から心配をかけさせてばかりだ。
 ぴたりと付けた耳に届く、少しだけ早まった心臓の鼓動。許されたという安堵。今まで僕をさんざん苛んできた罪悪感が完全に消え失せ、愛しさで胸がいっぱいになる。
 ありがとう――と、思いの全てを込めて囁くようにそれを紡いだ。
 
 ◆
 
 風に吹かれ、紅葉が枝から落ちる。落ちたその上から新しい紅葉が重なり、まるで朱と金模様の織物のようで美しい。足下から前へと向けた視線の先、時折立ち止まって紅葉の木を見上げ、目を細めて笑っているミナキくんが映る。
 今朝、僕の家に段ボール三箱分の荷物が届いた。貼られたラベルから、それがタマムシから送られてきたことが、そしてミナキくんの私物であることがわかる。なんの連絡も了承もなく、送られてきた大量の荷物――どうやら[やること]が見つかるまで僕の家に居座る気らしい。
 世界平和を願えるほど浮ついた気持ちを押さえ、僕の家は駆け込み寺ではないのだけれど――と形式だけでも咎める。すると、笑いながらここは私の第二の実家だと言われ……頷く以外どうしようもなかった。
 小さくため息を付いて、でも嫌じゃないなと笑みを浮かべた。ちょうど笑ったところを見られ、なぜ笑うのかと言われてもこっちが困る。一時的とはいえ、君と一緒に暮らすということが嬉しくて楽しくてしょうがないんだよ――とは言えず、その思いを隠しつつ言葉を紡ぐ。
「楽しそうでよかったなぁと思っただけだよ、別に他意はないから安心して」
「マツバ、お前の言い方はいつも何かが引っかかる……が、まぁ良しとしよう。それとどちらかといえば、楽しいと言うよりも感心していた。タマムシにも緑はあるが、紅葉樹(こうようじゅ)ではないからな。見事なもんだ」
 紅葉以外にはこれといって見るものがないところだけれど、連れてきて本当に良かった。
 図書館よりも貴重で古い資料が沢山ある……と言って、ミナキくんは放っておくと一日中書庫にこもったまま出てこない。夜更けにもかかわらず寝床が空なのを心配して見に行ったら、本を枕にして眠っていた時のあの脱力感。
 ミナキくんはスイクンを追い求めるあまり、突拍子も無い行動に走ることが多く、周りから誤解されがちだけれど、実は博学で頭の回転もいい人だ。その証拠に、昔の言葉で書かれている資料を難なく解読し、すさまじいスピードで知識を吸収している。
 そんなミナキくんは、箸を使って食事をするのがとても下手だ。不慣れな手つきで一生懸命魚を食べようとしているのを見ると、ナイフとフォークを持ってきてあげようかと言いたくなる。一度だけ実際に言った時があったのだけれど、ひどく尊厳を傷つけてしまったらしく、涙目で[いい!]と言われてしまった。箸の持ち方がそもそもおかしいんだよと教えているけれど、なかなか上手くならない。
 僕はミナキくんほど頭が良くないけれど、ミナキくんよりも箸が上手く使える。ミナキくんは頭がいいけれど、僕のように箸を上手く使うことができない。人には向き不向きがあるのだと、とてもよくわかる。
 不向きといえば、異国の言葉を問いかけようとした時のことを思い出す。できないことはできない、やろうとするのがそもそもの間違いだった。そういえば教えて貰おうと思って、いろいろあって聞きそびれていたなと口を開……こうとした――が。
「見ろマツバ!」
 今しかないという完璧なタイミングで、ミナキくんが空を指差す。せっかく聞こうと思っていたのにと思いながら視線を更に上に向けると、信じられないものが映った。いつか見た氷のような薄青色の羽を持った鳥――あの少年が従えていた、伝説上の生き物のうちのひとつ。
 そういえば、あの少年はミナキくんを訪ねに来ていて――僕の家にいるよ、と連絡を入れるのを失念していた。わかりやすくかつ正直に言うと、完全に忘れていたのを今思い出した。
 あの少年が乗っているであろう鳥が銀色の輝きを振りまきながら、エンジュのどこかへと舞い降りたのが見える。あの真面目な少年のこと、ミナキさんにはあえませんでしたと律儀に報告に来たということなのだろう……多分、おそらく。
 きっとミナキくんに怒られる――そう思いながら、恐る恐る視線を横に向けた。映ったのはきらきらした瞳と、紅潮した頬。興奮冷めやらぬといった感じで、ミナキくんが何もない空を指差しながら口早に言葉を紡ぐ。
「ははっ……っ!! なぁちゃんと見たか、見ただろうな!? とてつもなくすごいものを見てしまったぞ! あんなに綺麗な鳥が実在するとは、いやはやまったく驚きなんだぜ!! 綺麗と言えばスイクン……。ああスイクン、どうして私じゃ――いや、そんなことは今はどうでもいいな! スイクン……には遠く及ばないがなんて美しい! 世界にはあんな生き物がまだまだいるってことだな、感動だぜ!!」
「ミナキくん、口調が」
「悪いなマツバ、ちょっと先に帰らせてもらうんだぜ!!」
 有言実行、とはよく言ったもので。笑えばいいのか、呆れればいいのかよくわからない。こんなに切ない気持ちになったのはスイクンという言葉を聞いた瞬間、外は雪が降っているというのに、マントはおろか上着も羽織らずシャツ一枚で飛び出していった時以来だ。 見事に風邪をひいたミナキくんを看病し、風邪をうつされた僕は高熱と腹痛と頭痛に苦しんだ。もちろんその後僕の風邪がミナキくんにうつり、それを看病した僕が……と結局二週間ほどジムを休んで、協会からこっぴどく怒られたのを思い出した。
 襲い来る頭痛にこめかみをおさえ、深く溜め息を吐く。それが消えた後、[スズねのこみち]に降りるのは耳が痛くなるほどの静寂。
 ミナキくんらしいといえばミナキくんらしいが、正直なところを言うと泣きたくなる。何はともあれ、元気になったことを今は喜ぶべきなのだろう――ただ、流石にこれはどうかと思うけれど。
 そういえば、また異国の歌の内容を聞きそびれてしまった。これからはずっと一緒だということを考えると、そこまで焦る必要はないのかもしれない。僕とどっちが大切なのかな、と、暗い色をした感情が鎌首をもたげるのを感じ、かぶりを振る。
「困ったな――鳥が嫌いになりそうだよ」
 苦笑混じりの溜め息と共に空を見上げ、その青さに目を細めた。

――――――

僕は[あれ]にはなれない。……けれど、だからこそ。

2010/02/03
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -