I wish I were a bird.[2] | ナノ
I wish I were a bird.[2]

 夕焼け空をそのまま写し取ったような紅の葉が水面に落ち、波紋が生まれる。穏やかに過ぎる時間、微かな風の流れ。隣に座ってはいるけれど、それだけだ。僕とミナキくんの間に言葉はなく、お互いにとって気まずい静寂だけがそこに降りる。
 会話の糸口が見つからず、こうして黙ったままどれぐらい経ったのだろう。淹れたお茶が、すっかり冷め切ってしまうほどの時間。時折遠くを見ながら、ミナキくんは切なそうに目を細める。小さく小さく溜め息を吐いてから、ひどく寂しそうにミナキくんが笑んだ。
 たずねてきた少年、スイクンという存在、掴めなかった夢――ミナキくんにとっての全て。
「何も聞かないんだな」
「どの何を、聞いて欲しい?」
 わだかまっているそれを、ひとつひとつ聞いていけばいいのかな。と、意地悪く笑み、まっすぐに視線を合わせる――ミナキくんは視線を外さずにいてくれた。僕と目を合わせると言うことが、どういうことか知らないわけがない。
 何を考えているのかまではわからないけれど、どう思っているのかぐらいは見当が付く。表面上どれだけ平静を装っていたとしても、精神の揺れ具合が僕には視えてしまう。そんなもの見たくないと思っていても、勝手に視えてしまうのだからどうしようもない。
 物心ついたときから[人には見えない]はずの何かが視える自分は、周囲から恐れられ、そして忌み嫌われてきた。表面上はどうであれ、普通の人間として見てくれるひとなんてほとんどいない。それがなんの能力も持たない者であれば尚更、誰もが僕を見て畏れを抱いた。
 わかってくれなくてもいい、理解されなくてもいい。僕はそういうものなんだと、もうとっくの昔にちゃんと理解している。僕に優しくしてくれた人たち――たとえ視なくても一目見ただけで、奥にあるのが哀れみや同情といった自己満足の気持ちだとわかった。
 特別な力を持って生まれた人間は[普通]じゃないから怖い。だから誰からも相手にされなくて、避けられて、いつも一人でかわいそう。さぞかし辛いでしょう、とても苦しいでしょう、そして悲しいでしょう? 優しくしてあげる、一緒にいてあげる――こんなにかわいそうな人間に優しくしている[自分]はなんて偉いんだろう。
 それを指摘すると、皆が手のひらを返したように僕を罵った。せっかくわかってやろうと思ったのに、そんな[自分]を裏切ったお前はとんでもない恩知らずの人でなしだ――手のひらを返したのではなく、最初から表はそちらだったのかもしれない。
 だから、僕は僕を理解しようとする人間が嫌いだった。というより、薄氷を隔てているだけのような、薄っぺらい関係を築こうとする人間が嫌いだったのかもしれない。
 ――けれど。そんな僕を恐れたり不快に思うことはせず、だからといって辛かっただろうなどと慰めることもなく、そういうものだと割り切ってくれる。見事に忘れられていたけれど、この目が千里眼という特殊なものであると知った時、ミナキくんはそれがあれば忘れ物がなくなるなと笑っただけだった。
 そんなミナキくんの中に視たもの――深く暗い淀み。
 それから目を背けるかのように僕から視線を外し、わざわざ言わなくてもわかっているだろうが、とミナキくんは無理矢理笑みを作った。とても寂しそうだったけれど、それは悲しむと言うよりも、まるで自嘲しているように見える。
「スイクンが、彼を選んだ」
 笑っているように見えて、泣いているようにも見える横顔。そんな表情をするなんて、と思わず視線を外しそうになるのをこらえる。覚悟していたこととはいえ、それでも辛い――スイクンがミナキくん以外の人を選ぶところを夢で見た。それも一度や二度じゃない。何度も何度も繰り返し、まるでそれが現実になるとでも言うように鮮明になってゆく。
 この目は、本当にいやなものばかりみせる。抗ったところで視えた未来が変わるわけでもなく、意味がない。喉がからからに渇く――どんな言葉を紡げばいい?
 その気持ちもわかるよ、と慰めの言葉をかけてやるのが正しいこととは思えなかった。だからといって、ミナキくんがしてくれたように黙って胸を貸してやることもできない。
 あの時は辛くて苦しくて悲しくて笑うことさえできず、ただ泣きわめいていただけだった。それに、あの時のミナキくんと同じ思いを抱いているかと問われれば――抱いてはいないと答える。そんな僕に何が言える、何ができる、何をしてやれるというのか。
 そんなことを考えている僕の方を見ようともせず……あるいは見ることができなかったのか、前を向いたままミナキくんがさらに言葉を重ねる。その硬く握られた拳が僅かに震えているのを、見てしまった。
「……元々、スイクンはホウオウに仕えていた。そのホウオウを従えている少年を選んだのは、当然のことだな」
 だから、と。
「スイクンもきっと――私ではなくあの少年を選ぶだろうと、そう思っていた。わかっていたんだ。けれど……諦められなかった。諦めきれなくて、それでも追い続けて――結果が、これだ」
 震える声で言い――僕に視られまいと顔を横へと背け、続ける。
「今こんなことを言っても説得力はないが……たとえそれが私でなくても、スイクンが幸せならそれでいいと本当に思っていたんだ。でも――見なければよかった、見るべきではなかった。そうすれば、少年を妬ましく思う、こんな醜い私を知ることもなかったのに」
 そうして、乾いた笑い声喉から漏れる。それは壊れる寸前の、悲しい音。側にいるだけで伝わってくる思いと、焦燥感。行動でも言葉でもなんでもいい――ここで引き留めないと、きっとミナキくんは誰の前からもいなくなってしまう。
 けれど、引き留めるための言葉も、接し方もわからない。慰められることを嫌い拒絶してきた僕が、人の慰め方なんて知っているはずが。……だから、聞くしかなかった。それが心を抉る行為だとわかっていても、視た思いをそのまま言葉にするしかなかった。
 ごめんね、ミナキくん――
「辛い?」
「ああ」
 硬く握られた拳に手を重ねて、そっと問いかけた。それは一瞬だけ痙攣するように跳ねる――けれど、振り解かれはしない。小さく頷いて、そのまま囁くように言葉を続ける。
「苦しい?」  
「……ああ」
 しばらく間があいて、返事と共に硬く握られたゆっくりと指がほどけてゆく。それに指を絡ませ、強く強く握りしめた。弱々しく握り替えしてくる指――微かに震えが伝わってくる。
 そのまま視線をあげていくと、ミナキくんの肩が小刻みに震えているのが見えた。だから、最後に問いかける。刺激しないようにゆっくりと、優しく、静かに。
「悲しい?」
 返答の代わりに、僕へと振り向く。映ったのは揺れる瞳、固く結ばれた唇。無理に笑おうとして、零れた雫がひとつ頬を伝う。違うんだ、と言うのを無視して手を伸ばし――指先が頬に触れ、身を引こうとするのを引き寄せた。
「ミナキ」
 硬まったミナキへと優しく呼びかけ、小さく微笑む。突然の行動に萎縮し硬くなってはいるが、拒絶はされなかった。本当に嫌なら、殴るなり突き飛ばすなすればいい。けれどそれがないということは、つまりはそういうことなのだろう。
 そのまま子供の頃そうしたように、額と額を一瞬だけ会わせ、耳元へと唇を寄せた。
「泣けばいい。僕以外には誰も見てないんだから」
 ミナキが息を飲み――痙攣するように震える唇から、言葉にならない声が生まれては消える。青い瞳に浮かぶのは感情の揺らぎ、深い悲しみ。手を伸ばさずにはいられない、綺麗な奇麗な光。
 大丈夫、と愛しさのすべてを込めて抱きしめた――これ以上傷つけることも、傷つくこともないように。
 氷が熔けてゆくように、涙がいくつもこぼれ落ちる。静かにぼろぼろと大粒の涙を零しながら、ミナキが消え入りそうな声でマツバ、と、僕の名を呼んだ。
 だから――僕はその瞼(まぶた)にくちづけをした。



 泣き疲れて子供のように眠るミナキの髪を梳きながら、そっと囁くように呟く。
「悲しくないわけがないよね」
 だって、君はずっとスイクンだけを見て生きてきたんだから……と、淡く笑い――罪悪感が鎌首をもたげるのを感じ、目を伏せた。その正体はわかりきっていて、今更考える必要もない。気を紛らわせると言うよりも、それから目を背けるように物思いにふける。
 どうしたらいいかわからなくて、結局泣かせてしまった。本当はもう少し上手く慰めるつもりだったのだけれど、と髪を梳いていた指で軽く頬に触れる。
 結局、ミナキは恨み言一つ言わなかった。あの時、どうしてだと泣きわめいた僕とは違って、とても綺麗な心の持ち主なんだろうと思う。だから僕のような[普通ではない]人間を親友に選んでくれた――それなのに、どうしてスイクンは君を選ばなかったのか。
 そんなことを思いながら、自分でも驚くほど低い声で言葉を紡ぐ。
「あの時、落ち込んでいる僕に言ってくれたよね、私がホウオウだったら、迷わずマツバを選んだだろうな……って。嬉しかった。でも僕がスイクンだったら、待つんじゃなくて自分からミナキを探しに行くよ」
 もしかしたら、なんてことは考えるだけ無駄なことだとはわかっていた――けれど、それでも考えずにはいられなかった。辛い、苦しい、悲しい。そのすべてを押し込め、言葉にする。
「ミナキが呼ぶ声に喉を鳴らしながら、これが伝説の生き物かと落胆されるほどぴたりと寄り添って、息を引き取るその時までずっと愛を唄い続ける」
 いつか叶うはずだと信じて止まなかっただけに、指をすり抜けたあの瞬間をたまに夢に見る。もう慣れてしまったけれど、それでも見てしまうと思い出して辛い。叶わなかった夢の、なんと残酷で美しいことか。
「覚めない夢をふたりで見続けていたかった……。けれど、夢は夢のまま――もうそれはどこにもなくて、手を伸ばすことすらできない。わかっているんだ、そんなこと」
 開かれた世界は広すぎて、何をすればいいのかもわからない。そんなものはありはしないとわかっていながら、必死に散らばった欠片を集めようとしている。夢に置いて行かれた現実を納得することができずに、ありもしない夢を探す。それは、砂漠の砂の中から一粒の金を見つけるようなもの。見つかるわけがないと思いながら、それでもひとり探し続けていた――今までは。
 痛みを無理矢理押し込め、言葉を紡ぐ。夢から覚めた後にするべきこと、言うべきこと。僕を苛(さいな)み続けている罪悪感の正体、口に出すことさえ躊躇われるほどの。
「でも……本当のことを言うとね」
 ささくれ立った心がひどく痛んで、浮かべるはずだった笑顔がまるで泣いているかのように歪んだ。自分でも歪んでいることがわかるぐらい、僕は酷い顔をしているのだろう。
 本当のこと――ミナキは小さい頃から……きっと初めて会ったときから、ずっとスイクンのことだけを見てきた。それ以外には目もくれず、自分の周りすら見ていない。何度も騙されてひどい目にあってきたと笑って語りながら、スイクンという言葉があれば見え見えの嘘でも食いつく……そういう人だ。
 そのときのミナキは、僕と目を合わせようとしなかった。視られたくないということは、そういうことなのだろうと思う。
「ミナキの心を捕らえて放さないあの生き物が、僕はとてもとてもとても妬ましくて憎しみさえ感じていたんだ」
 知らず知らずのうちに臍(ほぞ)を噛んでいたのか、鉄の味がする。僕は誰かを妬んでばかりだ――と自虐的な笑みが口元に浮かんだ。
「けれど、嬉しそうにあの生き物……スイクンのことを話して聞かせるミナキはとても綺麗で眩しくて、僕は醜い思いを消すことができた」
 誰にも見せたことのないような歪んだ笑顔を浮かべながら、ずっと秘めてきた思いを紡ぐ。隠すなんてとてもじゃないけれどできそうになくて、言葉にすることでささくれ立った自分の心を落ち着かせようとする。
 ふと空を見上げて、溜め息を吐いた。こんなに僕の心は荒んでいるのに、空気は澄みきって雲一つ無く、満ちて真円の月は玲瓏たる光を煌々と放っている。ああ、今日の月は忌々しいほどに奇麗だ。
 まさか僕がこんなことを思っていたなんて聞いたら、いったいどんな顔をするんだろう……そんなことを思いながら、視線をミナキの寝顔に戻す。悲しい夢でも見ているのか、涙がぽろっと一つこぼれ落ちた。髪を梳いていた指で涙を拭ってやり、その暖かさに目を細め――ミナキの唇から漏れた言葉に息が止まる。
「行かないで」
 続いて――もう止めてくれ、もう嫌だ、もう見たくない……哀願する小さな声が、風の音一つ無い静寂に響く。
 もしかして、何度も同じ夢を見て、何度も何度も繰り返し望みを絶たれたあの日のことを思い出しては、こうやって泣いていた? 夢を見たこと自体が間違いとでも言うように、逃げることさえも許されないなんて。ミナキを蝕(むしば)み、苦しめ、独占するスイクンという悪夢を暗い尽くせたらどんなにいいだろう。
 けれど――と。
 本当に僕が言いたかったことは、スイクンに対する妬みや憎しみじゃない。もっともっとひどいことを僕はしたから、それを言いたかった。隠すことは簡単だ、言わなければいい。そうすれば、今まで通り親友として付き合って――本当に? いや違う、そんなわけがない。そう思わなかったことにした自分を、誰でもない僕自身が許せなくなる。
 触らせまい気づかせまいと絡みついてくる茨のような痛みを精神力で押さえつけ、それを言葉にする。
「聞いて欲しいことがあるんだ。起きたら言うつもりだけれど」
 罪悪感の正体、決して思ってはいけないこと――あの時感じたものと同じ思い。言うな、口にするな、このまま何も言わなければ、これからも親友として付き合っていけるはずだと心が叫ぶ。
 五月蠅(うるさ)い。このまま何も言わず、何もなかった僕は何も思わなかった、と、後ろめたい気持ちを隠したままミナキと付き合いたくないんだ。これがどんなにひどいことかわかっている――それでも。
「ミナキがスイクンに選ばれなかったって聞いて……」
 僕を[普通]の人間だと言ってくれた[普通]の人間。たった一人の大切な親友。僕の好きになった人。辛いことばかりだけど、生きるのも悪くはないと思わせてくれた、世界で一番大切な存在――それなのに。
「嬉しい……って思ったんだ」
 この痛みを共有したい――愛と呼ぶにはおこがましい劣情。すぐに取り返しの付かないほどの間違いだと気付いたけれど、たとえそれが一瞬だったとしても、そう思ってしまった。
 お願い僕を許して――決して許さないで。頭が別々の言葉を叫ぶ。
 そんなことを思ってしまったのも、混乱しているだけだと思いたかった。今でもホウオウが僕を選ばなかった時のことを夢に見るから、選ばれた少年が嬉しそうに笑うから、ミナキが泣くから――どこにも逃げ場なんてないのに、逃げ道を作るための理由付け。
 そこにいかなる理由があろうとも、僕は[これで一緒だね]と、君の不幸を喜んだ最低の人間だ。
「信じられる? 君が親友だと呼んでくれていた人間が、本当はこんな非道い人間だったなんて。それでも……君はまだ僕を親友と呼んでくれるのかな」
 口に出さなくても、たとえ思っていることを隠そうとしても、僕には視えてしまう。このことを言ったとき、君は僕を罵り、泣き、そして離れて行ってしまうのかな。……たぶん、そうするだろう。そうしない理由がない。
 でも――それでも。
「ミナキ」
 神様は僕を選ばなかったけれど。
「行かないで」
 君だけは、僕を選んで欲しい。

――――――

渇望。
2010/01/21
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