声は届かず、思いは儚く[2] | ナノ
声は届かず、思いは儚く[2]

 優しくされた思い出は、一つもない。
 ――君には愛情が欠落している、と言われた。

 決して他人を信じるな、頼りになるのは自分だけだ、そう言われて育てられた。
 ――君は誰かを信じて頼ったことがないのだね、と言われた。
 
 優しくされたい、寄り添いたい――それは抱いてはいけない思い。どれほど愚かで空しいことかわかっていながら、それでも[そうであって欲しかった]と、願わずにはいられない。
 褒められる夢を見た。優しく抱きしめられている夢を見た。あの日が来なかった夢を見た。背中に縋り付く夢を見た。その手を掴む夢を何度も何度も何度も見た。
 何度も目覚めては、掴み損ねた空虚な夢を噛みしめる。何もない自分の手の平を見つめる度に、襲ってくる感傷。悲しい、辛い、苦しい――寂しい。その思いすべてを噛みしめて、相手の顔を見上げた。
 全てを見透かしたような哀れみの視線を向けている、乾く寸前の血色をした瞳が映る――その視線だけで、相手が自分に対してどんな思いを抱いているか痛いぐらいに伝わってくる。
 言い返してやりたいのに、紡ぐべき言葉が見つからない。……そんなものは、最初からありはしなかった。殴りつけてやりたいほど悔しいのに、それを形にすることができない。
 赤い瞳の青年が言ったことに、なんの間違いがあっただろう。それは全て自分が望んだ、捨てようとしたのに捨てきれなかった思いそのものだった。だから何も言い返せない。言い返す言葉が見つからない。どうすればいいかわからない。
 感情がコントロールできず、駆り立てられるように追い詰められ、どうしようもなくなって――だから、硬い床に爪を立てて、叫んだ。

「オレは……オレは……っ!! ずっと、こうやって来たんだ。甘えるな、優しくされることを望むな、誰も信じるな。なのに、いまさらそんなこと言われたって……どうすれば良いんだよ。オレは、いったいどうすれば良かったんだ!?」

 身も蓋もなく、慟哭するように。溜まった水が、器から溢れて行くように。

「……そんなの、わかんない……わかんないよ……」

 悔しくて、胸が締め付けられるようで――涙が溢れて、零れ落ちて止まらなかった。



 限界まで張り詰めた空気、耳が痛くなるほどの静寂。相反するように、耳の奥で早鐘のように鳴り響く心臓の鼓動。
 指の震えを止めるように、ヨシノはゆっくりと息を吐いた。立っているだけで精神が摩耗していくのがわかり、落ち着けと強く思いながら息を吸い、吐くのをひたすらに繰り返す。そうしていると、少しだけ楽になることを知っていたからだ。
 入ってきた扉は既に閉ざされ、帰り道はなく、進む道しか示されていない。だが、そんな回りくどいことをしなくとも、ここまで来て引き返す人間がいるとは到底思えなかった。暗闇に閉ざされた道の向こう、何がいるのかは分からないが、何があるのかは分かる。
「あともう少し……なんだな。この先にいるやつを倒せば、それで……」
 ひとり紡いだ言葉は、若干震えていた。指の震えといい、それは恐れというより武者震いに近い。焦燥感に押されるように歩みを進めようとして――指先がボールに当たり、軽く音を立てた。
 先ほどから震えていたのは自分の指ではなく、ボールの方だと気付き、大丈夫だと言うように優しく指先で表面を撫でる。光に反射して中の様子は見えなかったが、震えが止まったところを見ると、どうやら安心したらしい。
 ……と、そう思ったのだが、目をこらして中の様子を見るに、彼らも恐怖や不安から震えていたのではないようだ。なんだ、心配することはなかったと小さく笑いながら頷き、ボールをひとつずつ手に持ち、語りかけるように彼らの名を呼んぶ。
「ニューラ」
 耳と尻尾をぴんと立て、元気よく手を挙げた。
「ユンゲラ−」
 紳士のように恭しく一礼し、ウィンクを浮かべて見せる。
「ゲンガー」
 ぷい、とそっぽを向き、それから振り向いて舌を出した。
「レアコイル」
 三つのユニットの瞳がグリグリと動き、早く戦わせろと言わんばかりにボールが激しく揺れる。
「クロバット」
 二対四枚の翼を羽ばたかせ、ニッと不敵に笑う――準備はOK。
「みんな、いい子だ」
 と、思わず零した言葉に笑みが漏れる。これが自分の声なのかと疑ってしまうほど、その声色は優しさに満ちていた。いたわるということを知らず、彼らを道具のように酷使し続けていた、酷い自分はどこへ行ったのだろうか。
 これもあの二人のおかげかと思うと、苦笑いが浮かんできて――少しだけ、嬉しかった。
「行こう」
 こんな自分に付いて来てくれた、そしてこれからも付いて来てくれるであろうポケモン達へ、ともすれば震えそうになる自らの心へ。ぽつりと言葉を紡いで、暗闇の中へと一歩踏み出――そうとした瞬間、ひとつのボールが激しく動き、ホルダーから外れて地面を転がって行く。
「はっ……」
 慌てて拾おうとしたヨシノの表情が固まった。そう言えば先ほど呼んだポケモンは五匹――明らかに激しくどう考えても一匹、足りない。心のどこかで苦手意識を持っていたのか、存在そのものを流し、名前を呼んでいなかった一匹がいたことに今更気付いた。間違いなく怒っているだろうと思いながら、怖々ボールへと語りかける。
「メ、メガニウ……ム?」
 ボールの中で名前を呼ばれなかった一匹――メガニウムが背中を丸めていじけているのを見るといたたまれない気持ちになる。いくら昔……あくまで事故だったが、殺されかけたことがあるとはいえ、クロバットより前から自分と一緒にいる相手を忘れてしまったという事実が針になり、ヨシノの心をチクチクと刺した。
 だが、それよりも一緒にいた時間が最も長いというのに呼ばれなかった、という事実を突きつけられたメガニウムが負った心の傷の深さを思うと、どうしようもなく申し訳のない気持ちになってくる。
「その……ごめん」
 ボールの中でメガニウムが首を左右に振り、気にしていないとでも言うかのように、満面の笑みを浮かべた。そんなメガニウムの様子に内心ほっとしながら、人差し指でボールに触れる。
 必死に指に擦り寄ってこようとするのを見ていると、昔された仕打ちの本当の意味で痛々しい思い出が薄れて――いくわけがないが、愛情のようなものを抱くことは出来る。
「愛情――か。[あの人]が聞いたらどんな顔をされるんだろうな。やっぱり怒られるんだろうな……そんな甘い考えでは強くなれない、とか言って。その性根を叩き直す……なんて言いだしたらどうしようか。でも、それもいいかもな。むしろ、そうなれば一緒にいられるし、オレはうれ……」
 浮かんできた甘い思い、小さく笑いながら早口に紡ぎ――ボールの中からメガニウムが目を細めてこちらを見ているのに気付き、いったい何を考えているのだと我に返り、頬を赤く染めながら慌ててボールをホルダーへと戻した。
 手持ちの六匹以外は誰も見ていないだろうが、何となく恥ずかしくなってわざとらしく数回咳払いをしてから、息を深く深く溜息を吐いた。
 三年前とは比べものにならないぐらい、甘く、緩くなった――ヨシノはそう強く思い、感じている。だが、それは弱くなったのではなく、柔軟に物事を受け入れられるようになった結果なのかもしれない。
 コトネやヒビキを見ていれば自ずと分かる。頑ななままでは、決して強くはなれない。柔らかすぎてもいけないが、柔らかさがないものはいつか折れてしまう。
 だから――と。
「本当に……もう少し、なんだな」
 三年前から、ずっと考えていた。強い弱いの線引きは誰がするのか、誰が決めているのか。どうすれば強くなれるのか――強さとは何か。結局それは今でもよくわからない。
 けれど、今なら[あの人]が言っていたこともわかる。わかるけれど、行かなくてはいけない。その時に自分が言うことは、[わかっていること]とは反する言葉だ。
 手段のための目的――そうするしか、方法がなかった。怒られるかもしれないが、今のままではそれも叶わない。そんなことを思いながら、まっすぐと前を見つめ、呟く。
「始めるために……行かなくちゃな」
 エスパー・毒・格闘・悪。途中、何度も危機的状況になりながらも、四天王戦をここまで勝ち上がることができた。
 残るは一人――この通路の奥に、ジョウト・カントーポケモンリーグチャンピオンがいる。ここまでくれば本当にあともう少しだ。手段のための目的ではあったが、なかなか感慨深いものがある。
 だが油断するわけにはいかない。そのために、今まで努力し続けてきたのだから。最後に一度、深く深く息を吸って、吐いた。
 不安と期待を煽る、明かりのない暗く長い道。空気の流れが変わったことで、自分が広い空間に出たことを感覚的に悟る。視覚を奪われると、どうやら聴覚が過敏になるらしい。衣擦れの音で、自分以外に誰かいることがわかった。
「――ッ」
 カシャッという機械音と共に光が暗闇を塗りつぶし、その眩しさに思わず目を閉じる。しばらくしてようやく目が開けられるようになり――銀色の瞳をめいいっぱい開き、それを凝視した。
 限界まで見開かれた瞳に映ってるのは、屈辱の思い出。夕闇色のマントを羽織り、こちらを見ている青年。夜と夕の間、黒とも赤ともつかない色をした、珍しい色の髪と瞳。
 哀れみと蔑みが混じったあの目を思い出すだけで、胸にこみ上げてくる思い。うっ血するほど唇を噛みしめながら、悠然と笑みを浮かべている相手を睨み付けた。
「やぁ、いらっしゃい。ヨシノ君、だったかな?」
 敵意むき出しのこちらとは正反対に――最も近い色を当てるのなら紅色の髪をした青年が、旧知の友にでも話しかけるような気軽さで言葉を紡いだ。まるで青年の柔和な態度に応じるかのように、空気の質が変わる。
「君は既に知っているだろうけど、一応自己紹介をしようか。俺はカントー・ジョウトポケモンリーグチャンピオンのワタル、君の最後の対戦相手だよ」
「あんた、チャンピオンだったのか」
 やっとのことでヨシノが紡いだ言葉は若干震え、ひび割れていた。あの日の思い――チャンピオンだから勝てなくて当然だった、という思いと、今戦ったところで勝てるのかという思い。ずっと堪えていたものがぼろぼろと溢れ、零れ落ちるほどに打ちのめされた……その相手に。
 ヨシノがそんなことを思っているとは知らず、チャンピオンのワタルは困ったように肩をすくめ、それから苦笑いを浮かべた。
「なんだ、知らなかったのか。困ったな……知っているだろうけれど、なんて自信過剰すぎて、少し恥ずかしいじゃないか」
 はは、と笑い声を上げるワタルを見るヨシノの目は、触れただけで切ってしまいそうなほど鋭い。あれだけひどい言葉を吐いておきながら、という思いがそうさせるのだろう。ただでさえ嫌いだった相手が、自分が倒すべき最終目標……チャンピオンだったという事実。
「うるさい、おしゃべりはいいから早く始めろ」
 苛立ちを隠しもせずに吐き捨て、モンスターボールを構える。回復もした、道具も確認した、どんな相手が来ても対応出来るように戦略も練った――万全の体制。これで負けるということは、不注意や運などという不明確な理由ではなく、単に実力が足りないだけだと痛烈な現実を叩きつけられる。
 負けることを前提に考えるな、どうやったら勝てるかだけを考えろ――自分に言い聞かせながら、ヨシノはワタルを睨み付けた。
 強い意志が宿った銀と、王者の余裕を見せる赤が交錯する。
「やれやれ、性急だな。人の話はちゃんと聞くべきだと……俺は思うけどね」
 ワタルの顔から笑みが消えた。
「あれからどう成長したのか、見せてもらおう」
 夕闇色のマントがひるがえり――空気が一瞬にして重くなる。先ほどとは違う光を放つその瞳に気圧されてか、勝負が始まる前にヨシノはボールを投げてしまった。それは止めようとしてどうにかなるものではない。
 低い音を立て、強力な磁場を発生させながらレアコイルが姿を現した。倒すべき相手を探して、三つのユニットの目がグリグリと動く。
 公式ルールがある以上、これは仕切り直しか――舌打ちをし、レアコイルをボールの中に戻そうと構えたその時、きーんという耳鳴りがヨシノを襲う。刹那、背筋に悪寒が走り、それを見上げると同時に目を見開いた。
「ジョウト・カントーポケモンリーグチャンピオン、竜使いのワタル、参る!」
 上空から舞い降りてきた、海の名を冠する巨大な竜の咆吼。

 ――勝負開始の合図。

――――――

ヨシノんはとてつもないファザコン。ワタルさんは思い込みが激しい完璧超人。
2009/12/30
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