夢色Holiday[4] | ナノ
夢色Holiday[4]

「あー食べた食べた。がんばって稼いだお金で食べるご飯はおいしいなー」
 精算が終わり、うーんと気持ちよさそうにのびをするコトネ。軽い足取りで店を出たその表情は満足げで、見ている方も思わず笑みを零してしまいそうになるほどだった。
「誰の金だと思ってんだよ……」
 和やかな空間に流れたのは、嫌悪や恨み……一般的に負の感情と呼ぶものすべて込められた、地の底からうめくように紡がれた声。幸せそうなコトネとは正反対に、青ざめた顔でうつむいたままのヨシノのものだった。
「来週はどこに行こうかなー。そうね、洋物ばっかりだったから、たまにはあんみつもいいかもね。でもまいこはんおすすめのお店って高そうだし、これはジムリーダー狩りをするしかないってことね!」
 ぐっと虚空に向かってガッツポーズをするコトネ――聞こえているが聞こえないふりをされたことに舌打ちをし、ざわつく心を落ち着けるように逸らした視線の先、マリルを抱き上げているヒビキの姿が映る。その側にいたクロバットがヨシノに気付き、小さく鳴き声を上げた。
 その重さのせいでズバットの頃から一度も抱き上げることはできなかったし、進化してからは到底不可能なことになってしまった。だが、撫でてやることはできる――そう思い、小さくおいでと言うと、主翼と補助翼を畳んだせいで体のバランスがとれないのか、よたよたと小さな足で懸命に歩いてくる。
 触れた手の平の暖かさと、ふわふわとした毛の触感を楽しみながら、ヨシノは嬉しそうに目を細めているクロバットへと言葉を紡いだ。
「次はもっとがんばって、ちゃんといいものを食べさせてやるからな」
 これが同じ人間かと思うほどの優しい声色――内容も、聞いている方が切なくなって[もういいよ、私がおなかいっぱい食べさせてあげるから!]と言いたくなってしまう。だが、それを言えるような人物は彼らの周りにはいない。
 主人に従順なクロバットは一度だけ哀しそうな声で小さく鳴いて、何かを伝えるようにヨシノの手の甲を羽で軽く叩き、ふわりと宙に浮いた。余計な風が起こらないように飛ぶクロバットの頭を撫でながら、ヨシノは心底すまなそうに小さく言葉を紡ぐ。
「お前のせいじゃないよ、クロバット。オレが弱いせいだ。ごめんな」
 その言葉を聞いていたコトネの心に、少しだけ罪悪感が沸いた。だが、勝負は勝負、勝ったのはコトネで負けたのはヨシノ。引き出したいときに、引き出したいだけ――[ATMよしのん営業日]とコトネの予定表に花丸で書かれているとしても、敗者は勝者に賞金を払わなければならない……という決まりなのだから、仕方がない。仕方がなさすぎて仕方がない。そういうものだ。
 今度あったときにでも、こっそりヨシノの荷物の中に金一封忍ばせておこう。そう心に決めつつ、コトネが若干遠慮気味に真っ青な顔色の上、暗い表情のヨシノに話しかける。
「なによー、そんなイジイジしててもチャンピオンになんかなれないわよ」
「なんだよいきなり……」
 ぴっと人差し指をたて、ヨシノを搾取し続けている自分が言えた義理ではないな……という気持ちを必死に押し込め、コトネはウィンクしながらさらに言葉を紡ぐ。
「だってよしのん来週チャレンジするんでしょ、チャンピオン」
「なんで知って……」
「バッジ8個手に入れたことなんてお・み・と・お・し・よっ! もしかして、あたしとヒビキ君にわからないとでも思ってたの?」
 驚愕に目を見開いたヨシノと、含みのない満面の笑みを浮かべるコトネ。そんな二人を少し離れたところで見ている、ヒビキの優しい笑み。その全てが、夕焼けで赤い。
「だって、友達でしょ!」
 ――時が止まる。息が止まる。思考が止まる。
 一瞬頭の中が真っ白になり、それから夕焼けと同じ色に染まってゆく――今が朝や昼でなかったと思いながら、まっすぐな二人の視線に合わせきれなくなったヨシノは右下へと視線を外し、滲んだ汗でしっとりとした手を意味もなく組みながら言葉を紡いだ。
「ばっ……かじゃねーの……」
 動揺で声が震え、思わず逃げ出したくなる。
「素直じゃないなぁ。僕もコトネちゃんとヒビキくんのこと友達だって思ってますーって言えばいいのに。そもそも、基本的によしのんは意地っ張りだよね。手加減してやってるのがわからないのか? って涙目で言われたときはどうしようかと思った」
「まぁまぁ落ち着いてコトネちゃん。それがヨシノくんの悪いところでもあるけど、いいところでもあるんだから」
「そういうものかなぁ……うん、ヒビキ君が言うんだからきっとそういうものってことね!」
 恥ずかしいと思う気持ちと、それ以外の気持ちと。二人から笑みを向けられ、言いかけた言葉もそのままに、うつむいてしまう。
 素直に思ったことを言葉にできたのなら、今とは違う道を歩いていた自分がいたのかもしれない。だがここにいる自分はそうではなく、ちっぽけな自尊心が邪魔をして、それを口にすることはできそうになかった。
 だから――ヨシノはコトネへと人差し指を突きつける。
「でも……オレは、まだ挑戦なんかしない」
「へっ、どうして? バッジ8個あるじゃない」
「だって、まだオレはお前に勝ってないからな。決めてるんだ、俺はお前に勝たないうちは、たとえバッジが集まってもチャンピオンには挑戦しないって」
 突然の宣戦布告に、沈黙が訪れる。やがて短く息を吐いて、コトネは鞄につけた9個目のバッヂを指先で軽く弾いた。そして人差し指を口元に持ってゆき――ニンマリと笑って見せる。
「なーるほど、意地っ張りなよしのんらしい。いいわよ、いつでも挑戦受けて上げるんだから」
 コトネの差し出された左手を握ろうとして、思いっきりヨシノはその手を叩かれた。やはりコトネには、友達と言うよりも、悪友やライバルという言葉が似合う。ひりひりと痛む手を押さえ、軽く睨み付けてみる――が、すぐにそれも笑いに変わる。
 これまでひとりでいたときには感じることのなかった感情に、苦笑いしか浮かんでこない。その感情の名を思うだけで何とはなく恥ずかしくなって、音も無く側を飛んでいたクロバットの小さな足を握る。
 ふわふわとした感触を楽しんでいると、コトネがあたしも触りたいと手を伸ばしてきた。コトネの手持ちには毛並みの良さそうなポケモンがいないらしく、さらにはネイティオは今育て屋に預けているので、モフモフやフワフワに飢えているのだといい笑顔で言ってくる。
 そんな顔で言われて、嫌だと言えるヨシノではなかった。
「うひー、フッワフッワだぁ! なにこれ! すっごい気持ちいい、毛並みっ、この毛並みがッ! たまらない!」
「そりゃそうだ、ちゃんと毎日手入れしてるからな。……にしても撫ですぎだ馬鹿。クロバットが嫌がってるから、そろそろ離せ」
 と、遠慮なしにあちこち触りまくっていたコトネの腕を掴み、引きはがす。触ってもいいと言ったヨシノの手前、暴れるわけにもいかず、クロバットが苦しそうな顔をしていたのに気付いたからだ。普通の人間なら、ここで物足りなさそうな顔をするだけで諦めただろう。だが、今目の前にいるのはコトネであり……
「うおおーモフモフさせろー!!」
 ばしっといい音が出るほど、かなりの力を込めてクロバットが翼でコトネを打ち据える。前のめりになり、普通の人間ならそこで倒れてもおかしくはなかったのだが、まるでホラー映画に出てくるゾンビさながらの動きで体制を立て直したコトネの様子に、思わずヨシノが身を引いたのは見なかったことにしておこう。
 打ち据えられた背中を押さえながら、コトネが涙目でクロバットを指さしながら叫ぶ。
「いたーぁ!! なんでーッ!?」
「クロバットが嫌がってるって言っただろ、この馬鹿!!」
「なんであたしの愛を理解しようとしないのよ! コウモリのくせに生意気なのよ!!」
「オレはいいけど、こいつを馬鹿にするな! 言っていいことと悪いことの区別もつかないのか!?」
「なによ!」
「なんだよ!!」
 ちゃっ、とコトネがモンスターボールに手をかける。払う賞金は持ち合わせていないが、この勝負は受けないわけにはいかなかった。売り言葉に買い言葉、というのがあるが、ヨシノにとってはクロバットが馬鹿にされた――それだけで、勝負を受けるのに十分な理由になる。
 臨戦態勢になり、ピリピリとした雰囲気があたりを覆った。夕日に照らされて何もかもが赤く染まる中、勝負開始の言葉を待つ。一秒、二秒、三秒。そして、先に口を開いたのは……。
「いいの、ヨシノくん?」
 ふと振り向いた先、ヒビキの心配そうな顔。思わずヨシノがどうしてだ、と聞いてしまい――その瞬間、戦う気満々だったコトネの表情が凍り付き、待ってくれと言わんばかりに焦りの色が浮かぶ。
 長い付き合いのあるコトネは、これから始まるであろう惨状が予測出来たのだろう。
「いや、お金ないーっていってたから……」
「え、ああ……お金。まだ色々売ってないアイテムがあるから、それは大丈夫だ」
「あっ、そうなんだ! お金があるならいいんだ、無かったらぼくが出すよって言おうと思って」
「……なんでお前まで、オレが負けること前提で話すんだ?」
 思わず泣きが入ってしまったのは、仕方のないことだ。コトネがヨシノが負けること前提で話すのは、まだ認めたくはないが理解できる。絶対的な自信を持っている、自信過剰――そういう風に思うことができた。だが、第三者であるヒビキに言われると、流石のヨシノもショックを受けざるを得ない。
「だって、ヨシノくんはいっつも次は負けない、今度こそって言ってるけど……」
 あちゃーという顔をするコトネ、言いたいことがわからず困惑するヨシノ、そして二人の視線を受け、満面の笑顔でヒビキが言い放った。
「一度もコトネちゃんに勝ったことないよね」
 その言葉は刃になり、完全な無防備だったヨシノの心をずたずたに切り裂く。倒れそうになるその体をクロバットが慌てて支えるが、心はヒビキという衝撃に耐えられず、ぽっきりと折れたままだ。
 滲む視界の中、心配そうにこちらを見るヒビキが映り――先ほどの言葉は、一言一句全てが本心からのものだ、と悟る。
 無意識の言葉に怒るわけにもいかず、ヨシノはただ大丈夫だと言うだけしかなかった。思わず涙目になってしまったのは仕方のないことで、誰にも責められることでもなく……。
 ずるり、とクロバットから滑り落ち、崩れそうになる体を支えたのは、慈母の微笑みを浮かべているコトネ。
 ヨシノが思わず伸ばした手をしっかりと握り、コトネは力強く頷いた。ヨシノも小さく頷いた。
「大丈夫、よしのん。最初は辛いけど、だんだん――逆にそれが気持ちよくなってくるから」
 ぽつりと耳元で囁かれた言葉に、ヨシノは今度こそ崩れ落ちた。
 後に残ったのは、どうしていいか分からず、混乱して騒がしく飛び回るクロバット。なんなの、失礼しちゃう! と憤るコトネと、心の底からヨシノを心配しているヒビキ。
 ひどい目眩と頭痛を感じながら、ヨシノの目は遙か遠くの空をただ見つめている。それ以外に、何ができただろう。答えなどもう出ている――できることなど何もない。できることと言えば、ただ耐えることだけ。
「もう、好きにしてくれ……」
 
 悲しいほどか細い呟きが、夕日に熔けて消えていった。

――――――

キャッキャウフフ。
2009/12/21
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -