夢色Holiday[3] | ナノ
夢色Holiday[3]

 ゆっくりとした時間が流れる午後三時過ぎ、穏やかな日差し、暖かなファミリーレストラン。
 日の当たらない一番奥、俯いている少年ひとり、その隣で困ったように笑う少年もうひとり、最後にテーブルを挟んで向かい側、ジュースを飲んでいるジト目の少女がひとり。
「……コイツが、コトネの馬鹿が無理矢理勝負をふっかけてきて……」
「うんうん。馬鹿はともかくとして、コトネちゃん眼力凄いもんね。勝負挑まれたら、ぼくでも断り切れないかも」
 思い出しただけで涙が目に溜まってくるのを必死でこらえ、ヨシノはうつむいたまま嗚咽を漏らすかのように言葉を紡ぐ。それは聞いている方が辛くなってくるほどの哀しみや、その他もろもろの感情が込められていたのだが、ヒビキは慣れているのか気付いていないのか、穏やかな笑顔のままだ。話題の中心であるコトネは視線だけをヨシノに向け、おいしそうに喉を鳴らしながらジュースを飲んでいる。
「それで、クロバットにぽ……ぽふぃん? を食べさせてやろうと思って、お金貯めてたのに……全部、と、とられて……」
 ヨシノの言葉を遮るように、コトネが空になったグラスを勢いよくテーブルの上に置いた。思わず動きを止めたヨシノを見て、いい笑顔としか形容できないほどの朗らかで明るい笑顔を浮かべ、さらに屈託のない言葉をコトネは紡ぐ。
「ほんっとーに、Ryaku-Datsu&Saku-Syuはたっのしいよねー!!」
「オレもうコイツやだー!!」
 テーブルに突っ伏し、割と本気で泣き出してしまったヨシノ、意地が悪そうに笑うコトネ。上下関係という言葉をそのまま絵にしたかのような二人の様子を見て、ヒビキは隣で泣き出したヨシノの背を撫でてやりながら、くすくすと笑い声を漏らした。
 薄緑色のテーブルクロスが掛けられた小綺麗なテーブルの上には、料理が平らげられた皿が置かれている。
 野生のポケモンに食い散らかされたような――いや、そちらの方がまだましだと思わせるほど、いろいろなものが盛大に飛び散っている悲惨な皿、みじん切りにされていたはずの野菜が懇切丁寧にのけられ、端に盛られている神経質な皿、そのどちらにも属さない模範的に綺麗な皿。
「次はどれにしようかなー♪ あっ、ヒビキ君何でも頼んでもいいからね! お金はあたしが出すから!!」
 メニューを広げながら、楽しそうに言うコトネに突き刺さる視線。これがチャンスとばかりにヒビキに背中を撫でられていたヨシノが顔を上げ、メニューに指を突きつけて叫ぶ。
「何ふざけたこと言ってんだ、それオレから奪った金だろ!!」
「今はあたしの」
 と、メニューから顔半分だけ出し、口だけを歪ませてにやりと笑うコトネ。ヨシノの表情が凍り付き、それから突きつけた人差し指が力なく垂れ下がる。何か言い返そうと口を開いては、紡ぐ言葉など何一つないことに気付き、口をつぐむの繰り返し。
 勝者と敗者、埋まることのない溝に自ら足を突っ込み、もがき苦しむヨシノを見ていると無性に切なくなる。しばらくして、また再び泣き出したヨシノの背をぽんぽんと優しく叩きながら、ヒビキは遠慮気味に言葉を紡いだ。
「じゃあ、もう頼まないほうがいいかな。ヨシノくんに悪いし」
「大丈夫、ヒビキならいい」
 ぱっと顔を上げ、真顔でヨシノが即答する。それに慣れているのか驚きもせず、心配そうに本当に大丈夫なの? と尋ねるヒビキにうん、と素直に頷くヨシノ。その光景は主人となついているポケモンを思わせて、見る者の心を穏やかにさせる――ただ、一人を除いては。
「よしのん本当にヒビキ君が大好きなのね」
 はっと思わず声が上がり、コトネの方に顔ごと視線を向ける。メニュー越しに表情は見えないが、一息で紡がれたその声色だけで、コトネがこれ以上にないぐらい不機嫌で、さらに激しく静かに怒っていることがわかった。どうしてそういうことになってしまったのかはわかるのだが、理解したくない。冷たいものを感じつつ、ヨシノは背に当てられたままのヒビキの手を自然な動きで退ける。
 少しだけピリピリとした空気が収まったのが分かり、内心ほっと……――したところに。
「うん、ぼくもヨシノくん好きだよ」
 と、ヒビキの意外に大きな手がヨシノの頭を撫でた。思わず胸に暖かい気持ちが溢れてくると同時に、目の前から放たれた突き刺すような視線に息が詰まる。かなり怒っている、それはもう[怒っている]という生易しいものではなく、激怒であり憤怒であり、明確な殺意だ。
 だが、そんなコトネの様子にヒビキはまったく気付いていないのか、冷や汗を流すヨシノに向かって暑い? などと、のんきなことを聞いている。これ以上話しかけないで、いややっぱり話しかけてと複雑な思いで頷いたヨシノの指先に、ボールが当たった。
 モンスターボールが小刻みにカタカタと揺れているのが、指先に伝わる。コトネに反応しているのだとわかったが、わかったところでどうしようもない。嬉しいと思う気持ちと、恐ろしいと思う気持ちと。相反する二つの感情に挟まれて、ヨシノの精神は擦り切れて爆発寸前だった。
「もちろんコトネちゃんも、大好きだよ」
 その時、空気が変わった。
 張り詰めて裂けそうだったそれが、突然緩やかなものに変わる。
「大ッ!?」
 そしてコトネの口から紡がれたのは、[大]好きという先ほどの言葉への驚愕と、その確認。
 ヒビキはにっこりとこれ以上ないぐらいに朗らかで清らかで含むところなど何一つ内純真な笑みを浮かべ、大きく頷きながら言った。
「うん!」
 メニューの向こう、コトネのまとう雰囲気が劇的に変わる。紡がれた言葉も、先ほどまでの押し殺した怒声ではなく、歯切れが若干悪い、甘えるような響きを伴うものだった。
「本当? えへへ……あたしもだよ」
 メニューをテーブルの上に置き、もじもじと恥ずかしそうにしているコトネ。ここまで好意を隠していないにもかかわらず、ヒビキはコトネの思いに全く気付いていない。もしかしたら気付いているのかもしれないが、ヒビキに限ってそういうことはないだろう。良くも悪くも、ポケモン一筋と言ったところだ。
 相手への好意を隠そうともしないコトネ、それを見ながらニコニコと屈託なく笑っているヒビキ。色々な意味で凄いと心の底から思いながら、ヨシノはまだ頭を撫で続けている手を押しやる。
「クロバットじゃあるまいし、いい加減にしろよ……恥ずかしいだろ」
 ぷい、とそっぽを向いたヨシノの頬は赤い。
「もー、よしのんったら素直じゃないんだから」
 と、コトネがテーブルの向こうから人差し指で頬を押してくる――ぐぐぐ、ぐぐぐぐ、ぐぐぐぐぐ。ただじゃれ合っているだけにしか見えない見た目とは反して、実は肉体と精神に同時にかなりのダメージを与える技の一つだ。
「コトネ痛い、やめろ、痛いってば」
「うふふ」
 ただじゃれ合っているだけにしか見えない、確かないじめがそこで行われていた。コトネの含むような笑い方とこの行為――どうやら怒りはまだまだ収まりきらないらしく、表面上に現れないように気持ちを静めただけらのようだ。押してくる指の力だけで[私は あなたが 大嫌い です]という気持ちが、痛いほど肉体と精神に伝わってくる。
 わざと爪を立てた人差し指で力一杯頬を押しつけられ、ヨシノの精神メーターの針がどんどん上がってゆく。やがてここまで我慢できる、の目盛りを越えたところで耐えきれなくなり、コトネの腕を掴みながら叫んだ。
「やめろって言ってるだろ!!」
「なによー、ヒビキ君に触られるのは良くて、あたしはだめなの? ひどい、これって嫌いってことでいいってことね!?」
 何度戦っても勝てない、勝てないと決めつけた上で勝負を仕掛けてくる。さらには自分をいじめて楽しんでいる節があるコトネがヨシノは苦手だが、決して嫌いというわけではない。何かにつけて構ってくれると思えば好感度も上がるような気がしたが、やはり気がしただけでそうではなかった。
 嫌いではないが、だからといって焦がれるほど好きでもない――その程度。
 コトネは不機嫌そうに頬を膨らませ、視線を外し、またちらりとヨシノの方を見る。
「ち、ちが……いや、そうじゃなくて!」
 どうして良いか分からず、おろおろと歯切れの悪い言葉を紡ぐことしかヨシノはできなかった。視線を隣に座っているヒビキに向ける――にこにこと笑っているだけで、助けてくれる様子はない。ただじゃれ合っているだけ、ただからかっているだけにしか見えないだけに、当たり前と言えば当たり前だ。ぐっと唇を噛みながら両手で力を込め、ようやくコトネの手を押しやった。
 ちっと舌打ちをするコトネ、安堵感から肩で息をしながら相手を警戒するヨシノの間に、朗らかな声が降ってくる。
「ちょっとお手洗いに行ってくるね。あっ、コトネちゃん、ミルクレープ一つお願いしていい?」
「う、うん! いってらっしゃい!!」
 ヒビキの姿が洗面所の扉の向こうに消えると同時に、コトネの手がヨシノの襟元を掴んで引き寄せた。がちゃん、とテーブルの上で皿が鳴り、突然の出来事に目を丸くするヨシノの銀色の瞳と、静かな怒りに燃えるコトネの赤茶色の瞳が真っ向からぶつかる。
「おまえっ! 一体なにす――ッ!!」
 思わず身を引き視線を外そうとすると、顎を空いた片手で掴まれ、無理矢理顔をまっすぐに向けさせられる。逃がさない、そう考えることすらも許さない。そういう目を、していた。その有無を言わさない視線に、すり込まれた数々の恐怖がよみがえると共にヨシノを蝕んだ。
 ふと、わざわざ一番奥の席を選んだのは、こういうことをしてもわかりにくいからだろうか。そんなことを思いながら、ヨシノは怯えた瞳を見開かれたコトネの瞳へと向ける。コトネは深く息を吸い込み、まくし立てるように言葉を紡ぐ。その声色は深淵の闇を思わせて暗く深く陰鬱で、まるで地の底から響くようだった。
「よかったね、ヒビキ君から[なでなで]されて。ホント男の子ってずるい。あたしだってヒビキ君からがんばったねって[なでなで]されてみたいのに、ホントうらやましーわ。ねぇヒビキ君からなでられたときどんな気持ちだったの、幸せだった? ラッキーって思った? 思うよね、あたしからさんざんいじめられた後にあれだもん。よしのんぶっちゃけMでしょ? あたしはSだけど」
「なっ……何言ってんのか……わかんない。……それに、そ、そういうわけじゃ……」
 襟首を掴まれて息苦しいのも相まって、途切れ途切れの言葉しか紡ぐことができない。女って本当に怖い、と強く思いながら、逃げ道を断つように矢継ぎ早に紡がれるその言葉から、どうにかして逃げられないかと考えたが、それは無駄以外の何物でもない――そう理解するのに、時間はかからなかった。それどころか、コトネの威圧感にも似た怒りは、時間の経過と共にその勢いを増している。
「何? どういうことなの。ほら説明してみてよ」
「ひ、ヒビキは特別なんだ」
 そこでいったん言葉を切る。口に出すのも恥ずかしいその[ことば]。思わず頬に熱が集まり、さらには息苦しさで涙目になってしまっている上、コトネの威圧感に押されるように声は震える。そんな状態でそれを紡げば、誤解されてもなんらおかしくはなかった。普段なら決して口にすることはないが、様々な要素が重なり、いっぱいっぱいになってしまったヨシノに考える力はない。
「その、オレの初めての……」
「絶対泣かす」
「ま、待て! 何を勘違いしてるんだ!?」
「黙れ、絶対泣かすからな。いや、泣いて叫んでごめんなさいコトネ様ぼくはコトネ様を差し置いて抜け駆けした悪い子です許して下さいやっぱり許さないで下僕とお呼び下さいコトネ様もっといじめて下さいって言うまでいじめ抜いてやるからな。絶対許さない」
「おい……冗談は休み休み――いや、目が本気!? ちょっと待て、お前本気でそんなこと考えて……!!」
 休む暇がない。畳み掛けるように紡がれる言葉はヨシノの精神を確実に追い詰め、逃げ道を断ってゆく。本当に限界まで怒ると、人間は無表情になるのだなと、どうでもいい……むしろ知らなくて良かった知識を得ながら、恐怖と怯えで震える言葉を紡ぐ。
「ご、ごめんなさ……。い、いや……嫌だ! やっぱり謝まんない! オレは悪くない!!」
「お前ちょっと表出――あっ、ヒビキ君おかえりなさい♪」
 先ほどまで地を這うようだったコトネの声の調子が変わり、襟元と顎を掴んでいた手が引っ込められる。何が起こったのかとコトネの視線を追ってみれば、その先にはヒビキの姿。沸いてくるのはようやく解放されたという安堵感と、耐え難い脱力感。
 ヨシノの大変残念で悲惨な姿に眉根を寄せ、ヒビキが心配そうに言葉を紡ぐ。
「どうしたのヨシノ君? 涙目はいつものこととして、顔とかも真っ赤だよ。ぼくがいない間、何かあったの?」
「ジュースでむせたみたい。おっちょこちょいなんだから、よしのんってば」
 バンバンとかなりの力で背中を叩かれ……そっと唇を寄せられた耳元で、コトネが地の底から響くような声色でぽつりと言葉を紡いだ。
「次、楽しみだね」

 女って、本当に怖い――心の底から思う。

――――――

女王様ってコトネ!
2009/11/29
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