ねこの嫁入り?(土沖):澪音様より
「…うじ…総司」
ゆらゆらと肩を揺さぶられ、次いでシャーっと勢いよくカーテンの開けられる音がした。
「朝だぞ。起きろ、総司」
もう一度揺さぶられて薄目を開けると、見慣れた寝室の窓から容赦なく差し込んでくる朝日に、頭がガンガンと痛んだ。
泣きすぎた所為だ…と思ったところで、自分がいつも通りベッドで寝ているという異常事態に気がついた。
あれ、テーブルに突っ伏して寝たつもりだったんだけど。
「総司、起きろったら。今日は登校日だろ?」
いつもより心なしか堅く聞こえる土方さんの声に、きっと土方さんが僕をベッドまで運んでくれたんだろうなと見当をつけた。
僕が夢遊病でない限り、他の可能性なんてないしね。
「総司、いつまで寝てる気だ」
苛立った声にもいつもなら何とも思わないはずなのに、今日は体が勝手にビクビクする。
「…やだ。行かない。休む」
枕に顔を埋めたままごにょごにょと返事をした。
「なに甘えたこと言ってんだよ。サボりは許さねぇぞ」
「…具合悪い」
実際は頭がちょっと痛むくらいだし、こういうのを仮病というんだろう。
ただ、心が色々傷付いていることも加味してくれるなら、これも立派な病欠になるはず。
「どこか痛むのか…?」
少し心配そうな声音になって聞いてくる土方さんを、僕はチラリと見上げた。
出勤の支度をすっかり整え、締めかけのネクタイを首に垂らしている彼は、眉根を寄せ、どうするべきか決めかねているような顔をしている。
そのまま黙りこくって無視していると、もう一度、総司と名前を呼ばれた。
「熱があるなら病院に行かなきゃならねぇんだ、返事くらいしろ」
「…別に、土方さんになんか心配されたくないし」
「総司ッ!」
「とにかく今日は学校に行けるような気分じゃないから休みます後は放っておいてください」
「てめぇいい加減に…!」
「出て行くなりなんなり勝手にしろって言ったのは土方さんの方でしょ!」
土方さんがハッと息を飲む。
別に、こんなことを言うつもりじゃなかったのに。
相当頭に来ていたはずなのに追い出しもせず、それどころかきちんとベッドで寝かせてくれた土方さんに、本当はお礼と謝罪をしたかっただけ。
仲直りだってしたかったのに。
なんで僕は牙を剥いて唸ることしかできないんだろう。
「ちっ…!」
土方さんは苛々と髪の毛を掻き毟り、大きな音を立てて寝室から出て行った。
そのまま枕に顔を埋めてべそをかいていると、やがてリビングから固定電話のボタンを押す機械音と、土方さんの小さな話し声が聞こえてきた。
断片的にしか聞き取れなかったけど、熱とか大事を取ってとか言っているから、どうやら学校に連絡してくれたらしい。
休んだからって土方さんとどうなる訳でもないのにな…なんて早速後悔。
すると、一旦途切れていた土方さんの声が再び聞こえてきた。
今度はどこにかけているんだろうと不思議に思っていると、土方さんの声がだんだん近付いてきて、再び寝室のドアが開いた。
「あぁ……すまねぇな、息子が熱出しちまって」
どうやら今度は、携帯から職場にかけているらしい。
まさか、土方さんも休むつもりなの?
もしかして、仮病のクセにっていう僕への当てつけ?
気になってむくりと起き上がると、土方さんは壁に肩肘をつけて、僕のことを真っ直ぐに見つめながら話し続けた。
その真っ直ぐすぎる視線にたじろいだものの、瞳を逸らすことができず、手に汗を握りながら必死に土方さんを見つめ返す。
「うん、病院連れてく……あーっと、それは家で仕上げとく。印押すプリントは纏めといてくれ……あぁ…あぁ、悪いな、頼んだ」
静かに電話を切った土方さんは、携帯をポケットにしまいながらドサッとベッドの端に座り込んだ。
ふぅ、と息を吐き髪をかき上げる彼をじっと見つめる。
「なぁ、総司」
「………」
「俺はどうすればいい?俺はお前に何をしちまったんだよ?」
前屈みになってうなだれる土方さんから目が離せない。
「なかなか時間を作ってやれなかったのは悪いと思ってるが、この時期は忙しいって、お前だって分かってくれてたはずじゃねぇか」
「………」
「俺はお前が怒ってる理由に気付いてて放ってる訳じゃねぇし、むしろ何かしちまったんなら今すぐ謝りてぇと思ってる。お前といつまでもこんな状態が続くのはイヤだ」
………土方さん、大人な対応で譲歩してくれてるんだ。
僕も、いつまでも反抗している訳にはいかないね。
やっぱり適わないな。いつだって最後には大きな包容力に甘えることになっちゃうんだから。
「おい……泣くなよ」
うなだれて静かに布団へと涙を落としていると、土方さんが傍に寄ってきて頭を撫でてくれた。
その優しい動きに甘んじていると、突然ものすごい勢いで腕を掴み上げられた。
「お前、この痣どうしたんだ?!」
「へ?」
「こっちの手の傷も……まさか、誰かに何かされてるのか?!」
僕は呆気に取られて土方さんを見上げた。
その視線の先には、僕がドジやってこしらえた痣たちが点々と散らばっている。
「あ、これは……」
「これが、お前の様子が変な原因なのか?」
「や、そうじゃなくて……悩み事してたら、ちょっとドジっただけです」
「悩みって?」
「それ、は……」
僕は俯いて、それから恐る恐るクローゼットを指差した。
「……香水、誰のですか?」
消え入るような声で呟くと、土方さんは訝しそうな顔をして立ち上がった。
「香水?俺のか?…俺のは洗面所だよな?」
ガラッとクローゼットを開けて、中をごそごそやりだした土方さんを暫く見ていたが、まったく見当違いなところを漁っているのに焦れて、僕は渋々ベッドから出た。
「これ………付き合ってる人がいるなら、隠さないで言ってくれればいいのに。隠される方がよっぽど辛いです」
震えそうになりながら、辛うじて笑って土方さんに香水を渡す。
すると、土方さんはこの上なく大きく目を見開いた。
「マジかよ………」
忌々しそうに香水を四方八方から眺め、頭をポリポリと掻く。
「お前まさか、これを見つけて、俺に彼女がいるんじゃねぇかと思ったのか?」
「うん…」
「で、俺が総司に遠慮して、彼女の存在を隠してると思ったんだな?」
「……違うの?」
ビクビクしながら訊ねると、土方さんは僕に香水を押し付けて、ポケットから携帯を取り出した。
誰にかけるつもりなんだろうと見守っていると、やがて土方さんの呼び出した電話番号が相手に繋がった。
「もしもし、左之か?」
左之?
左之さんと新八さんはよくあがる名前だ……確か土方さんの同僚の先生だったはずだけど…?
まさかオカマだったの!?
「あぁ、あのな、てめぇから預かってやってた香水で、息子に変な誤解されたんだが」
『誤解?』
静かな寝室に、電話の向こうの声が微かに響く。
「俺に彼女がいると思ったらしい」
土方さんはチラリと僕を見た。
そういうわけで誤解だから、という強い念が伝わってくる。
電話の向こうからは、思い切り吹き出すのを何とか堪えているような、苦しげな笑い声が漏れ聞こえてきた。
「笑うな!お前笑っていい立場じゃねぇんだぞ!」
『あはは、悪かったよ、今度学校に持ってきてくれよな、引き取るから』
「お前絶対存在ごと忘れてただろ!」
『あーいや、当たらずも遠からずってとこかな。そのまま放置しようかと思っ……』
「ふざけんな!三つ指ついて頭下げやがれ!」
『はは、悪い悪い』
「つーか、放置ってことはあの女と別れたのかよ!?」
『まぁな、股かけんの疲れちまって』
「ふざけんな!」
その後も怒鳴り散らす土方さんと左之さんの会話は暫く続き、僕は呆然とそれを眺めていた。
妙な高揚感と脱力感を同時に感じて、どうしていいのか分からなくなる。
というより、僕はどうするべきだったの?
今はどうやら彼女がいる訳ではなさそうだという事実を知っているから、もっと早く聞けばよかっただのこんなに悩んでバカみたいだの喧嘩して損しただの色々なことを思うけど。
ついさっきまではこんな呆気ない結末なんて予想もしていなかったし、とてもじゃないけど直球を投げる気なんて起きなかった。
でも、そんなぐちゃぐちゃした思考も、彼女いないんだ、という安堵感にどんどん追いやられていく。
………ほんとに良かった。
「じゃあな、もう二度とこんなろくでもねぇもんは預からねぇからな!」
土方さんは長らく恋愛における道義やらマナーやらを講義した後で、ようやく腹の虫が収まったのか電話を切った。
僕から香水を取り上げ、乱暴にベッドの上へ放る。
「はぁ……ったく。変な誤解させちまったみてぇだな。あれは左之から預かってた三番目の女の香水だ。隠し場所に困って俺に寄越してきやがったのを忘れてた」
「三番目……」
「あと新八の家にもあるらしい」
僕の中で左之さんは、どうしようもない女たらしということで処理された。
「つーことで、俺に彼女はいねぇし、今はお前の世話だけで精一杯……ってこれ前にも言わなかったか?」
「さぁ…?」
首を捻ってみせると、土方さんは仕方無さそうに眉尻を下げて笑いながら、頭をポンポンと撫でてくれた。
「お前みてぇな息子は願い下げだとか言ったこと、許してくれるか?」
「願い下げだと思ってない…?」
「思ってるわけねぇだろう?急に父親振るなって言われて、ついカッとなっちまっただけだ」
「…………僕も酷いこと言ってごめんなさい」
しゅん、とうなだれた僕の頭を再び撫で、そのまま土方さんは手を肩に回してきた。
「仲直り、な」
「…うん」
「腹減ったな。朝飯食うか」
「うん」
― next ―
[ 18/19 ][*prev] [next#]
[一覧に戻る]
[しおりを挟む]