恋々歌(土沖/SSL)
一日の授業が終了し、下校する者や部活に向かう者などでごった返す廊下を、土方は至極不機嫌な表情で歩いていた。
深く刻まれた眉間の皺は、不機嫌さの度合いがどれだけ高いかを表しており、『鬼教頭』と称されているそれを遥かに上回る威圧感を醸し出している。
『触らぬ神に崇りなし』という言葉に従うように、周囲の生徒達は彼の姿を見るなりそそくさと両脇に捌け、道を譲っていった。
知り尽くした校内を迷うことなく進みながら目指すのは、教え子であり恋人でもある総司が在籍する二年生の教室。
そしてその総司こそ、土方の機嫌を最高に悪くしている張本人であった。
事は十五分ほど前に遡る―――。
六限目の授業を終えた土方は、職員室に戻り一服でもしようかと考えていた。
愛煙家の彼からすれば、たった一時間の授業の間吸えないだけでも相当なストレスになる。
吸い過ぎは身体に毒だから控えてくれと総司に言われたことがあるが、いくら恋人の頼みだからと言っても、これだけ長い間吸ってきて突然禁煙するのは至難の業だった。
それでも善処して、以前よりも格段に吸う本数は減ったが、禁煙への道はまだまだ遠い。
適度に吸わなければ苛立ちは募るばかりだし、それにより仕事に支障が出るなどという事態になったらそれこそ論外だ。
(でもまぁ、あいつの言い分もわからなくはねぇしな。)
体調を気遣う以外に、もう一つ総司が切実に禁煙を望んでいる理由があった。
それは、口付けた際に感じる煙草の苦味。
根っから甘党の総司にとって苦味は天敵にも等しい存在であり、愛する者との口付けによってそれを感じることに強い嫌悪感を抱いているのだ。
苦味よりも甘味を嗜好したがるなどまだまだお子様だな・・・と思いつつも、幼い時分より彼のことを見守ってきた土方からすれば、変わらぬ愛らしさを内包する彼に愛しさは募るばかり。
(今すぐには無理だが、いずれは・・・だな。)
ぷくっと頬を膨らませながら顔を顰める姿も可愛いが、やはり一番なのは総司が心から笑ってくれること。
その為ならば、たとえ時間が掛かっても最大限努力はしていきたいものだ。
結局今回もお預けか・・・と自嘲しつつ、漸く辿り着いた職員室のドアを開ける。
受け持ちクラスのある教員達は出払ったままのせいか、室内は未だがらんとしていた。
「おぉ、トシ。午後の授業ご苦労だったな。」
「あん?珍しいな、あんたが職員室にいるなんてよぉ。」
聞こえた声に導かれるようにして顔を向ければ、案の定そこに立っていたのは親友であり上司の近藤。
普段はこちらから訪ねることの方が多い為に、彼が職員室まで出向いてくることはあまり無い。
何か急ぎの用件でも出来たのだろうか。
デスクの上に教材を置き、改めて用件を尋ねてみると、近藤の口から飛び出した発言に土方は柄にもなくきょとんと目を丸くした。
「本当は昨日の放課後に相談するつもりだったのだが、急な呼び出しだったからな、忙しくて来られなかったのなら仕方が無いさ。トシの仕事熱心さは俺もよくわかっている。なに、別に急ぎの案件だったわけではないから気にせんでも・・・」
「ちょ、ちょっと待ってくれ・・・!!近藤さん、あんた一体何の話をしてんだ・・・!?」
「何って・・・昨日の放課後、手が空いたら俺の所まで来てくれとお願いしただろう?」
そんなことは初耳だった。
自慢では無いが、これでも自分は記憶力にはかなりの自信がある。
特に、仕事絡みでの呼び出しを簡単に忘れるわけがない。
仕事のせいで私用を忘れることはあっても、その逆は有り得ないのだ。
「もしや、話がちゃんと通っていなかったのか?総司が託ってくれるというから頼んだのだが・・・。」
「総司?総司に頼んだのか?」
近藤から直接言われたとしたら、万に一つこちらに落ち度があったかもしれない。
だが、連絡役として総司が間に入ったとすれば話は別だ。
託けを預かった彼が、故意にそれを伝えなかった可能性は十分に考えられる。
悪戯好きの彼ならやりかねないと思った。
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