第2回「町」 | ナノ


 野良猫のようだ。
 王宮に新しく護衛兵として入ってきた彼を見て、ビビはそう思った。歳は自分と同じらしいが、背は少し低い。汚れた衣服から覗く腕や足はひどく痩せていて、どこか顔色も悪く見える。チャカとペルのうしろをやや猫背気味に歩くその少年は、先ほど国王であるネフェルタリ・コブラを殺そうとした、暗殺者だった。

ストレイキャット・インザハウス


 名前がこの王宮に来てから、もう7年は経っただろうか。昔の彼の取っつきにくいやや捻くれた性格のせいもあってか、はじめはなかなか周りと仲良くなろうとしなかったけれど、いまはけっこうここに馴染んでいる。身長も随分伸びて、私の背丈なんてとっくに抜かされてしまった。
 父に私の護衛を命じられた名前は、意外にもその命令に反したことはなかった。基本的に私が行く先にはついてきて、危ないことがあれば守ってくれるし、私の話も聞いてくれる。私に、というより、父に頭が上がらないようだ。
 そんな名前に昔、なんでもない会話の中で誕生日を聞いたことがある。彼はあまり表情を変えることはないけど、珍しく少し狼狽えたような顔をして、短い沈黙のあとにわかりません、と、消え入りそうな声で答えた。まだ幼かった私なりに彼の「わかりません」の意味を必死に考えて、なら今日を誕生日にしよう、毎年この日を一緒に祝おう、なんて言ったのを覚えている。
 そうやって決めた彼の誕生日は明日だ。あれから、毎年ケーキを作ったりプレゼントを贈ったりしているけど、いつも名前は無表情だから、彼がどう思っているのかわからない。ひょっとすると、迷惑に感じていたりするのだろうか。
 名前。最近、彼のことを考えると、心がふわふわして落ち着かなくなる。一緒にいるとやけにドキドキして、なんだろう、不思議な感覚だ。いまも、……いまも、会いたい、ような、そんな気持ちになってしまう。もしかして、これは……、いや、やめておこう。幼い頃からずっと一緒だった彼に抱いてしまったこの感情に、名前はつけない方がいいと思うから。
 窓の外を見ると、太陽が地平線の向こうへ帰ろうとしていた。すうっと暗くなって、夜になる。沈んでいく太陽を見るともなく見ていると、部屋のドアがノックされた。
 返事をすると、ゆっくりとドアが開けられる。その隙間からこちらを伺うように顔を覗かせたのは、さっきから話題にしていた名前だった。

「姫、夕飯の支度ができました」

「ありがとう」

 腰掛けていたベッドから立ち上がると、目の前に差し出される手。いつもいつも、なんでもないみたいに私に手を差し出す名前は、私のことをどう思っているのだろうか。妹とか、幼なじみとか、もしくは単に護衛する対象だとか、そんな風に思っているのなら、なんだか、……。

「どうしました?」

「……なんでもない。行きましょう」

 そして私も、いつものように彼に手を引かれて歩くのだ。胸の高鳴りに気づかないフリをしながら。


「あの、テラコッタさん?」

「いかがなさいましたか、ビビ様」

「いえ、あの、……これはいったい」

 なんですか、という言葉は、テラコッタさんの笑みと同時に手に持たされたカバンのせいで口から出なかった。本当にこれはどういう状況なんだろう。
 名前の誕生日。おめでとうも言えないまま時間は過ぎて、時計の針が午後3時を指した頃、突然テラコッタさんが部屋に入ってきた。そしてあれよあれよという間に着替えさせられて、気づけば自分の普段着がややカジュアルな外行きの服装に変わっていた。
 今日は特に外出する予定もなかったはずなのに、なんだろう。頭の上に浮かんでいるだろう疑問符に彼女は気づかず、上から下まで着替えおわった私を見て満足そうに頷く。次いでドアの方に向かってテラコッタさんがもう入ってもいいわよ、と声をかけると、遠慮がちにドアが開いた。

「あの、急に呼び出されて部屋の前で待ってろって言われて……わけがわからないんですけど」

 相変わらず無表情の名前だった。途端に自分の顔に熱が集まっていくのを感じる。どうして、いつもと違う恰好だから? 彼の視線が私に向いた。たまらず目をそらす。部屋の中に名前が入ってくる気配がする。その足音はゆっくりと私に近づいて、俯いている私の視界に彼の足がうつった。

「姫?」

 いつも名前は私を姫と呼ぶ。何回もビビでいいよって言ってるのに、姫はなんだか恥ずかしいからやめてって言ってるのに、これだけは言うことを聞いてくれない。

「なんか、いつもと雰囲気ちがいますね」

「ね、かわいいでしょ?」

 ぽつりと呟いた彼の言葉に、テラコッタさんがすばやく反応して私の肩に手を置きながらそう言った。名前が、私を見てる。どくどく、身体中に血が巡っていくその音がひどくうるさい。

「うん。かわいいと思います」

「えっ」

 思わず顔を上げてしまった。聞き間違いかと思って、でもどこかでそうじゃなければいいのにとも思って。目にうつった彼はいつも通りの無表情で、私と目が合うとその形のいい唇を動かした。

「かわいい」

 今度ははっきり聞こえた。聞き間違いじゃ、なかった。……ああ、頭が真っ白だ。これだけで、こんなに嬉しくなるなんて。

「さ、ビビ様の準備もおわったことだし、さっそく行ってらっしゃいな」

「え、行くってどこへ……?」

 私の問いにテラコッタさんはにっこりと笑って、とんでもない爆弾を投下した。

「デートへ、ですよ」


 アラバスタ特有の日差しと、それを浴びてキラキラ輝く街並み。いつもの景色だけど、今日はいつもとちがって見える。
 名前とこうして2人で街を歩くのはいつぶりだろうか。昔はよく外へ行って、砂の上を走り回ったり木に登ったり、名前の手を引いて遊んでいた。
 ここに来たばかりの名前は、警戒心の強い野良猫みたいに周りを敵対視していて、父と私以外の人とは話そうとしなかった。私と喋るときも話しかけるのは決まって私で、彼は必要最低限の受け答えをするだけ。人を嫌っているように振る舞う名前は、人に怯えているようにも見えた。だから、私は彼の腕を引っ張って、王宮の外へ飛び出したんだ。ああ、そうだ。初めて名前と街を歩いたあの日、私は彼に誕生日を聞いたんだ。

「姫、ぼーっとしてると危ないですよ」

 ぐい、と腰をひかれる感覚と耳元で聞こえた声に、はっと我に返った。私のすぐ横を子どもが数人走り抜けて、ありがとう、と彼にお礼を言おうとして気づく。近い。距離が、近い。
 子どもは元気だなあ、なんて呑気に呟いている名前の顔を見たまま硬直してしまう。心臓が大暴走して、爆発しそうだ。

「あ、あの、名前、」

「え? ……あ、すみません」

 耐えきれずに彼の名前を呼ぶと、ようやくこちらを見て私の腰にまわっていた手を離す。ぱっと開いた距離に安堵すると同時に、少しだけ寂しい、ような感覚がした。

「それにしても、デートって何すればいいんでしょうね」

「えっ!?」

「……あれ、俺何か変なこと言いましたか?」

 無表情を崩さないまま発せられた「デート」という単語に驚いて、思わず大きな声がでてしまった。ていうか、 名前はデートの意味を知っているんだろうか。少しだけ不安げに私を見つめる彼の目はひどく純粋で、うまく言葉がでてこない。それでも私は、自分の目がものすごく泳いでいるのを感じながら、なんとか口を開いた。

「あ、いや、ちがうの。名前がデートなんて言うの、ちょっと意外だったから」

 内心あたふたしているのがバレているのだろう。名前は怪訝そうに少し首を傾げる。

「……えっと、名前は何か、テラコッタさんから聞いてない? その、デートの意味、とか」

 そう聞くと、傾けていた首をおこして顎に手を添え、考える素振りをしてからまた彼は首を傾げた。その仕草がちょっとかわいいな、なんて思ってしまったのは秘密だ。

「んー、なんだっけ、好きな人がどうとか言っていた気がします」

 すっ……、好きな、人。名前にもいるのだろうか。彼はもう子どもじゃないんだし、王宮の中でも外でも、好きな人の1人ぐらい、いてもおかしくない……よね。あれ、なんだろう、そう考えるとなんだか、嫌な気持ちになる。

「……姫? どうしました?」

「……ううん。大丈夫。ねえ、せっかくだし、名前の行きたいところに行こう」

 いま、私はうまく笑えてるだろうか。心の底にくすぶるこの感情は、彼には隠したままでいよう。きっとそれが、一番いい。
 ぐい、手首を掴まれて、引っ張られる。気づくと、名前の顔が目の前にあった。びっくりして目を見開いてしまう。このままキスでもするんじゃないかってくらいの至近距離で、無表情のまま名前は口を開く。

「俺の行きたいところでいいんですね?」

 頷いた。緊張やら驚愕やらで声が出せなかった。私の目をまっすぐ見ていた名前は、私が頷いたのを確認して体を離す。
 私の腕を引いたまま歩き出す名前に、慌てて足を動かした。あれ、名前の背中って、こんなに大きかったっけ。


 しばらく歩いて、空が少しずつ茜色に変わり始めた頃。王宮から少し離れた場所にある建物の屋上で、ようやく彼は足を止めた。どうやら教会か何かの跡地らしいここは、あの日、私が名前を連れてきた場所だ。いや、連れてきた、って言ったら語弊があるかな。無我夢中で彼の手を引いていたら道に迷ってしまって、確か名前が高いところに行ったら王宮の場所がわかるはずだって言って、ここまで階段を登ってきたんだ。
 白い外壁とか大きな鐘とか、見た目がなんだかお城みたいだって私がはしゃいでいたら、初めて彼から話しかけてくれたんだっけ。あのとき、彼は、名前はなんて言ったんだっけ。
 日中その光と熱を主張する太陽が、夕日になって溶けていく。砂のなかに、消えていく。まだ小さかった彼の言葉が思い出せなくて、なんだか無性に悲しくなった。

「ねえ、姫」

 ぽつりと、名前が呟いた。夕日を見つめる黒い瞳に赤い色が反射して、宝石みたいに光る。
 その美しさに息を呑んでいると、彼は私に向き直って、もう一度口を開いた。

「昔俺に、誕生日はいつかって聞きましたよね」

「う、うん」

「わからないって答えた俺に、じゃあ今日を誕生日にしようよ、って言って。あの日から、毎年姫は俺の誕生日を祝ってくれた」

 そう言って、懐かしむように名前は目を細める。微笑んでいるようにも見えるその表情に、どきりと胸が高鳴った。

「今年は、祝ってくれないんですか?」

 いつもの無表情だ。でも、その声は珍しく少しだけ寂しそうに揺れていて、……それってつまり、名前は私が決めてしまった誕生日を、毎年楽しみにしてくれていた、ということ?
 どうしよう。頬が緩んでいくのを感じる。だらしない顔を見られたくなくて、私は口元を手でおさえて俯いた。

「……姫?」

 不安げな声音で呼ばれて、ちらりと名前を見てみる。私よりも背が高いくせに、捨てられた子犬のような目で見てくる彼が愛しくてたまらない。

「名前」

「はい」

 背筋を伸ばして返事をした名前の両手をとって、目を合わせる。気の利いたことなんて言えないけれど、月並みなことしか言えないけれど、それでも、ちゃんと言わなきゃ。

「誕生日おめでとう」

「……」

「生まれてきてくれて、ありがとう」

 少しだけ見開かれた黒い目が、動揺したように揺れた。じわじわと赤くなっていく彼の頬にあれ、と思って首を傾げると、ついに名前は顔を横に向けてしまった。いつも無表情を崩すことのない名前が、どこか恥ずかしそうに唇をゆがめて落ち着きなく視線を動かしている。珍しいどころじゃない。こんなに人間らしい表情の名前は、初めてだ。

「……そんなに見ないでください」

「あっ、ご、ごめんなさい」

 じっと見つめられて居心地が悪くなったのか、ちらりとこちらに目をやってから彼はそう言った。あなたがそんな表情をするのが珍しくて見入ってしまった、とは言えずに、咄嗟に謝る。
 少し拗ねた表情で、名前はじとりと私を見た。目を合わせたまま、数秒。心臓が徐々に鼓動をはやめて、なんだか私も恥ずかしくなってきた。
やがてその沈黙は、吹き出したような笑い声で幕を閉じる。

「ふ、ははっ、あーもう、敵わねえなあ」

 あ、名前が笑った。子どもみたいなその笑顔に既視感があって、……そうだ、昔1回だけ、彼は同じ笑顔を見せてくれたんだ。あの日、この場所で、はしゃぐ私の手を握って。

「ありがとう、ビビ」

 照れたようにはにかんで、名前はそう言った。ああ、やっと、思い出した。あの日の彼も、


 アラバスタの国王、ネフェルタリ・コブラを殺し損ねた俺は、何故かそいつのはからいで王宮に勤めることになった。
 生みの親にさんざん虐待を受けて捨てられて、ごみ溜めみたいな場所でさ迷っていたところを知らない大人に拾われて。連れていかれたその施設にはどうやら俺と同じような境遇の子どもが大勢いて、その全員が、殺し屋として教育されているようだった。行く場所もない、生きる場所もない、明日も未来も、見えない。真っ暗闇のなかで、大人たちが言うとおりに武器を持って、たくさん、たくさん、殺した。
 お前なんか産まなければよかった。殴られ蹴られながら親に言われつづけた言葉。
 お前などいらない、消えろ。ヘマをした俺に施設の大人が言い放った言葉。
 やめてよ、もう捨てないで。見捨てないで。ねえ、誰を殺せば、また俺を見てくれる?
 ただ、振り向いてほしかった。俺を必要としてほしかった。だから俺は、外交だかなんだかで町に来ていたそいつを殺そうとした。アラバスタ、とかいうどこかの国の王らしいそいつを殺せば、きっと褒めてくれると思って。
 結局、失敗した俺は船に乗せられて砂漠が広がる国に連れていかれ、わけもわからないまま気づけばコブラの娘の護衛を任されていた。俺と同い年らしいその娘は、俺がどういう人間か知ってるくせに笑顔で話しかけてくる。こわかった。いまこうやって優しく接してくれるこいつも、他の奴らも、いつかは俺をゴミみたいに捨てるんだと思うと、こわくてたまらなかった。
 王宮に連れてこられて1ヶ月も経たない頃、娘が突然俺の手を掴んで言った。

『外に遊びに行こう!』

 そのまま引っ張られて王宮から出て、走って街に向かう。人がいっぱいいて、俺の手をぐいぐい引きながら歩く娘を見るとみんな笑顔で声をかけてきた。

『おや、ビビちゃん! 今日も元気だねえ』

『うしろの子は噂の新人くんかい? よし、これ持って行きな! 一緒にお食べ』

 商人らしい男から果実を2つ差し出され、おずおずと受け取る。照りつける太陽の暑さのせいか食欲はなかったのだが、その果実は美味しそうに見えた。
 ふと、顔を上げると娘と目が合う。そいつがにこりと微笑んで、途端に世界に色がついた。まぶしい太陽も、キラキラ輝く砂も、美しい街並みも、そこを行き交うみんなの笑顔も。どうしていままで見えてなかったんだと思うほど、その街は綺麗だった。
 外を走り回って、貰った果実を食べながら休憩して、なんでもない話をして、ビビ、が俺の手を引くままに探検して。気づくと、空が赤く染まり始めていた。
 近くにあった教会の屋上に登ったら、夕日がよく見えた。なんだかお城みたいだね、って笑うビビの青い髪が、オレンジ色と混ざりあってすごく綺麗で、風に揺れる白いワンピースがドレスみたいで。柄にもなく、本当にお姫様みたいだ、なんて思った。

『ふ、ははっ』

 自然と口から出た笑い声が自分のものだと気づくのに少し時間がかかった。ああなんだ、誰かを殺したりしなくても、こんなに簡単に幸せは得られるのか。
 なら今日を誕生日にしようよ。毎年この日を一緒に祝おう。さっき、誕生日がわからないと答えた俺にビビが言ってくれた言葉。

『ありがとう、ビビ』

 そう言うと、ビビも笑った。
 来年も、再来年も、その先も。おまえは、俺が生まれた日を喜んでくれるのかな。

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