第2回「町」 | ナノ


「いらっしゃいませ!! おや、たしぎちゃん今日はどうする?」

「あ、すみません。このお魚いただけますか?」

「あいよ。相変わらず旦那とは仲良くしているかい?」

「ええ!? いや、それは……はいぃ」

「ふふっ、初々しいねェ。まぁ、あんな顔も中身も男前なんて、なかなかいないからうらやましいよ」

「ううっ…あ、ありがとうございますぅ…」

顔が真っ赤であることを自覚しているから、つい急いで財布を広げる。値札を見ながら2匹分のコインを手に取ろうとしたら、今度はコインが跳ねて地面に落ちた。それでまた心臓が跳ねて、慌ててしゃがみこみコインを拾っていると、そんな慌てなくても魚もたしぎちゃんの旦那も逃げないよ。なんて言葉が頭から降ってくる。
違うんですとは言えなくて、ただただ恥ずかしい。なんとか無事に会計も終わり、魚を受け取る。もう、弁解できない赤い頬を隠すように頭をペコペコ下げるとおかみさんは笑って見送ってくれた。

「あー…なんて恥ずかしいんだろう」

赤みが抜けない頬を冷や汗で冷えた手で触れる。つい呟いてしまった。まだ慣れないのかと自分の適応力の低さに少し気落ちしつつ、でも同時に慣れない、いや慣れることなんてできない、と心が叫ぶ。ダメだ、少し落ち着こう。そう考え息を吐き、肩を一度がっくりと落とした。これはスモーカーさんといる時とはまた違う緊張を日々味わっているせいだ。

魚屋のおかみさんの言う旦那とは、名字・名前。23歳で海軍本部中将である。もちろん、本当の旦那様ではない。任務だ、あくまで任務。だから恥ずかしくても彼と“夫婦役”を演じなければいけないんだ。そう、任務。任務任務任務…よしっと。なんだか赤みが引いた気がする。すっきりしたなと自分の状況を分析して、顔を上げると私は賑やかな街に目を向けた。

ここ“ウォーターセブン”は水の都の異名に相応しい水路をうまく利用した街だ。少し前に大きな水害に見舞われたなんて嘘みたいに復旧、いや市長のアイスバーグ氏によりパワーアップしているらしい。少し前に居たグランドラインの入り口、ローグタウンとまた違う賑やかな街並みは新鮮で、気に入っている。船大工達が多く暮らす街のせいか住んでいる人達は職人気質。でも一度打ち解ければ気安く、今では行く先々で挨拶をしてもらえるようにもなった。

大将青キジからの任務内容は、復興中のウォーターセブンの状況を見ることだった。大きな水害に見舞われたウォーターセブン。海列車が通り、一流の船大工が集う街。海軍にとっても重要であるこの街の復興は急務である。しかし麦わらの一味がこの街を助けたらしく、公な海軍の介入は今の住民達のことを考慮して難しいと市長から通達があったそうだ。だが、それならば密偵を放てば済む話だ。
なのに今回は本部に呼び出されたと思えば、中将と二人でこのウォーターセブンの観察任務を申し渡された。しかも夫婦役でよろしく!と大将青キジの満面の笑みで。二人で首を傾げれば、“大事な任務”なんだぞ!っと真面目な顔で言われたが、納得はできない。ふと隣にいた中将が、それってバレたら本当にまずくならないの?と聞くと、市長には連絡しているから大丈夫との返事。ふーんっとなんとも言えない声を上げる中将。あの二人の会話に入ることは私にはできなかった。

「まさか、こんな長期任務になるとは…」

観察期間は3ヶ月。旅の夫婦を装い、住まわせてもらっている。これも先にアイスバーグ市長に会ったことで、手を回してくれたおかげである。ンマー、ゆっくりしていけ、となんだか温かい目で見られたのがどうもくすぐったかったが。
まぁ、アイスバーグ市長が笑うのも無理はない。なぜなら音楽家の旦那様と剣士の奥様という謎の設定であるからだ。何かあった時のために帯刀できるのはありがたい。でもそんな変なカップルはいます?と怒りそうになった。なんだかんだでここでは受け入れられているが。

「おお、たしぎちゃん」

「こんにちは」

「おお。昨日も旦那の演奏よかったぜ」

「あ、ありがとうございます!」

「今日はどこの飲み屋だい?」

「ええっと」

手帳を取り出しパラパラとめくる。

「今日は、モウモウ亭です!」

「おっしゃ、お前ら今日はモウモウ亭だ!」

「「おおー!」」

「たしぎちゃんは来るのかい?」

「え、あ…はい。一緒に行きます…」

「またラブラブ見せつけられるなー」

「いいなーこんなベッピンさんが嫁さんだなんて」

「おい今日は名前飲ませようか」

「あーダメです!!それは!! お酒なら私が付き合います!!」

「やった! じゃあまた夜なー!」

「はいはい、では…」

頭を下げて、その場を後にする。全く…とため息が出た。彼にお酒を飲ますなんてもっての外だ。彼はお酒に強くはない。幸いにも悪酔いするタイプではなく機嫌よく飲む。それは良いのだ。でも…

「あれからだ……より恥ずかしくなったのは」

また頬に熱が入る。中将は軽口を叩くタイプの人間ではない。だが、お酒を飲むと凄まじく饒舌になるのだ。そしてその口はどこで学んだのか、あれやこれやで女性を褒める。あれは多分大将青キジの影響だろう。絶対そうに違いない。囁くのが大将青キジならば笑って流せそうなのに、軽口を叩くタイプでない人がそれをするとギャップがすごい。いつも少し怒っているようにも見える目も口もこちらがわかる程度に弧を描き微笑み、瞳がキレイやらなんやらを囁いてくるのは心臓に悪い。

しかも中将は強面が多い海軍の中では一際目立つイケメン…と女性海兵の噂になるほどの青年だ。しかも若くして中将の地位にいるのも贔屓でもなんでもなくて、肩書きに恥じぬ強さを持っている。やや天然ではあるが、容姿も才能も器量も何も文句はない。自分からすれば出来過ぎてるような人だ。そんな人と夫婦役だという事実だけでもこちらはいっぱいいっぱいなのに、住民の皆さんの前でそんなこと言わないで、恥ずかしい。その日は慌てて、家に連れて帰ったが、その間も饒舌さは止まらず、もうただただ心臓に悪かった。

「しかも、最後のあれは…どう受け取られるかわかっているのだろうか…」

はぁ…と大きなため息をつく。壮大な爆弾を落としてくれたにもかかわらず、その翌日、なんと中将は何も覚えていなかった。昨日の夜眠れない程考えさせられたのはなんだったのか、あの言葉の意味をとある好意として受け取れない訳はないだろっと、言葉がぐるぐるしていた。馬鹿みたいに膝から崩れ落ちたのは、今思い出しても恥ずかしい。
だからそれ以来飲ませていない。自分のためにも、だ。

石の階段を上がる。ここを上がって少し歩いた先に借りている家がある。ヴァイオリンの音が聞こえるのもこの辺りからだ。


〜〜♪♪♪〜♪〜♪♪〜〜♪♪♪♪〜〜


「相変わらずキレイな音色だなぁ…」

音楽家というめちゃめちゃな設定に違わない、キレイな音色。なんでも中将は音楽が得意だそうだ。だが、滅多に人前で弾かないらしく、その話題は噂レベル。多分に漏れず、私もこの任務でその事実を知ったのだが。最初聴いたときは、心臓が持ってかれるくらいびっくりした。これほど引き込まれる演奏は知らない。知識がないだけと言われるかもしれないが、とりあえずすごいと胸を張って言える。
しかもここに来た当初、道に迷いそうになった時もこの音色のおかげで無事、家に帰ることができた。それ以来、この音色を聞くと気分が落ち着くのは気のせいではないだろう。
赤みはやや残っているが、中将の前だと案外平気で振る舞える。しかも演奏しているということは、機嫌がいいはずだ。帰ったらこの魚でご飯にして、モウモウ亭に行こう。

そう言うのを積み重ねれば、いつかまたあの街角の家で、彼の言葉に応えられるようになるかもしれない。





「報告書はこれくらいでいいか…」

たしぎクンが買い物に行ってから、走らせたペンは1時間程で止まるに至った。
彼女には買い物に行く際に街を回ってきてもらっている。それは任務内容の報告のためでもあり、彼女自身が街巡りを楽しんでいるように思えたからだ。
僕自身は造船所以外はあまり興味が沸かず、街のことは彼女の報告に助けられているのが現状である。
たまに彼女に付き合い一緒に道を歩くが、その時色々な場所を案内してくれる様は、まるでこの街の住人のようで。馴染んでいる彼女の適応力は目を見張るものがある。

「まぁ、適任だよね。街の人も気を許しているし」

彼女の活躍を多めに記した報告書(実際そうであるので)を、封筒に入れる。
今日の夕刻、街を訪れる海兵の名を思い出しながら、これでいいかと机にポンっと報告書をおいた。んーっと背伸びをする。

窓際にある本棚兼椅子に腰掛け、水の都ウォーターセブンを見下ろす。
この借家は街の中でも少しばかり高いところに建てられていた。あの水害でもなんとか生き残った建物の一つで、土台もしっかりしていたので外壁補修と内装を整える程度ですんだらしい。いつも艦か自室にしかいなかった身としても、この木材をふんだんに使われた室内は、なかなかに心地いい。窓から見渡せる造船所と家々、水路が共存するなんとも不可思議な風景も心踊るところはある。

クザンクンからの任務を受けて1ヶ月が経とうとしていた。任期はあと2ヶ月。
街は順調に回復している。住民の感情もそれに伴い向上しているようで、アイスバーグ市長の手腕がすごいんだなと素直に感心した。
アイスバーグ市長とはここに来たばかりの時に、たしぎクンと会いに行った。そこで僕の設定を聞き、本当に演奏できるのか?と問われたので、ヴァイオリンを聞かせれば気に入られたようだった。その後店を回って演奏してくれないかという提案があり、今の生活に至っている。飲み屋に入り込むことができたせいか、住民に馴染むのが早かった。アイスバーグ市長も度々現れるからその時に情報交換をするくらいには仲を深めていた。

「でも、こんなにのんびりしていいのだろうか…」

一応任務だが、いつも忙しなく仕事をしていた身としては、このゆったりと流れる時間が不思議でならない。まぁ、任務だと言われた限りはこなすだけなのだが、といつも思考はそこで途切れる。
ただ、この任務で彼女が相方であることはありがたかった。僕は普通の生活がよくわからない。初日に過ごし方について話し合ったが、僕がアテにならないとわかると、スモーカーさんより生活できない人初めてです、と彼女は文句いいつつ、その日におおよそのタイムスケジュールを作りあげた。今や店での演奏の時間管理も彼女がしてくれている。とても有能だ。

いつか見た(たまたま開いていた)彼女の手帳にはそんな日々のスケジュールやここで学んだ料理の仕方などが書かれていた。マメだね、と言うと。中将みたいに見て覚えられるタイプではないのです、と頬を膨らませていた。何を間違ったのだろうか、ほめてるんだけど?と言えば顔を真っ赤にさせる。コロコロと表情が変わるなぁ。それを見ていて飽きないというと失礼そうなので、言わなかったが。彼女のおかげで人らしい生活をしているのは確かだ。

「そろそろ帰ってくるかな」

椅子に置いていあるヴァイオリンケースを手元に寄せる。今日は確かモウモウ亭で演奏の仕事があったはずだ。あそこは楽器はないので、ヴァイオリンを持って行くことになる。今のうちにメンテナンスをしておこう。ヴァイオリンを取り出し、弦に触れた。そう言えばここに来て1ヶ月、好きに音楽に触れる生活をしている。まるで本当の音楽家のようだ。あと2ヶ月の期限付きだが、すでにすぎた1ヶ月を惜しむような気持ちになった。ここが妙に心地いいのが良くないのかもしれない。変な感情に最近は見舞われる。

「……そう言えば、彼女はあれをどう受け取ったのだろうか」

ヴァイオリンの調整が終わり、1曲何か弾こうかと考えたときにフッと思い出した。モウモウ亭。あそこで以前弾いた後、酒を飲んだ。あまり強くないと言い度数の低いものをもらったが、甘い酒だったせいか飲み進めてしまい、不覚にも酔ってしまった。正直店でのことは覚えていない。
僕は酒を飲むと記憶が飛ぶらしいとクザンクンが言っていた。だから飲みに誘われても飲まなかったし、任務で飲まないといけない時は、ベガパンククン特製のアルコールを消す薬を飲みながら過ごしていた。ここも任務中ではあったが、その薬は支給されなかった。

記憶があるのは、彼女がなんとかして僕を家に連れて帰り、部屋の前まで来たであろうあたりだ。顔を真っ赤にさせた彼女が、“名前さんがお酒を飲むとこうなるなんて知りませんでした”と多分、何度目かのため息をついた。酔いが覚めてからは彼女に迷惑をかけたと言う自覚は芽生えたのだが、その時は単純に、この借りの住まいで、彼女に名前を呼ばれたことが嬉しいと感じた。

「えっ!?」

彼女の声が耳元で聞こえた。それはそうだ。だって僕が彼女を抱きしめたから。女性にしては鍛えられているその身をすっぽりと包むように抱きしめる。
彼女は律儀だから、外では名前さん、家の中では名字中将と使い分ける。それは悪いことはなく、彼女がそれが楽ならそれでいいと思っている。なんせ夫婦を演じる必要があるのは“外”だけでいい。家の中では海兵同士任務に携わっていると言う考えをする方がお互い楽だっただろうから。

でも今は家の中にもかかわらず、名前さんと呼んだ。
まぁ、酔っ払いを連れて来て疲れていて、家に帰ったと言う切り替えがまだできていなかったのだろう。そう言う冷静な判断ができるくらいに回復した思考の中で、でも家の中で呼ばれた“名前さん”という彼女の声がとても心地よかった。

「ど、どどどどうしたんですか?」

「んー」

「名字中将…?」

「いや、なんだか嬉しかったんだ。ここでキミに名を呼ばれたことが、今とても嬉しかった」

「ええ!??」

「いつか、任務じゃない時に呼んでもらえる日が来るといいな」

「!!!!!」

彼女の体温が上がるのを感じ、抱きしめるのを緩め、顔をみる。思った通り真っ赤になっていた。それがなんだか彼女らしくて頭を撫でる。

「ありがとう、また明日」

それだけ言って部屋に戻った僕は、そのまま寝入ったようで、朝起きると思い出せるのは、モウモウ亭に行ったこと、そして彼女を抱きしめてつい本音を言ったことだけだった。翌日の彼女はとてつもなく挙動不審だったので、悪いことをしたと思い、(一部しか)覚えていない、と伝えると崩れ落ちた。どちらが正しかったのか今でもわからない。まぁ、とりあえず1曲弾こうかな。ヴァイオリンを構える。


〜〜♪♪♪〜♪〜♪♪〜〜♪♪♪♪〜〜

さすがにもう家では名前を呼んでくれなくなったけど、彼女は今も側にいてくれる。もちろん任務ではあるが、これは強制ではない。それはクザンクンから言われていることだ。嫌と言えれば切り上げることができる。真面目な彼女が切り上げるとは言わないかもしれないが、気配を探ることに長ける自分が判断を下すことができる。でも彼女はいつもと変わらなかった。心地いいこの空間をそのままにしてくれている。

だから僕もそれに応えよう。

キミが僕のヴァイオリンの音色を好んでくれていることは知っているから、帰って来そうなタイミングを見て奏でるようにしている。


「道に迷った時、この音色が聞こえて帰ってこれました!」

なんて言った時の笑顔がまた見られるように。彼女がこの街角の家に無事帰ってくれるように。
そうらしくもない祈りを込めながら、彼女の帰りを待つ音を奏でるのが今の習慣になった。

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