第5回「瀬戸際」 | ナノ


あなたの赤はとてもきれいで、こんな状況だというのに私はその赤に見惚れてしまった。大好きな白の上、あなたの赤に抱かれる私は幸せ者だ。


*****


私はマリンフォードが好きだった。
幼い頃から、週に一度マリンフォードへと食料を運ぶ両親に連れられその地に何度も足をつけた。石畳の町並みは真昼になるととても眩しくて、この白が正義の色なんだと思っていたときもあった。
ちょこまかと船の周りを動き回る私に海兵さんはいつも笑顔で挨拶をしてくれた。よく動き回って迷子になる私を見つけてくれるのも両親ではなく白い制服を着た海兵さんで、道の端でめそめそと泣いている私を見つけた海兵さんは決まって頭を撫でて袖からのぞくたくましい腕で私を抱えて両親のもとへと戻してくれた。海兵さんはその時の私にとってヒーローのような存在で、私はその思いを大人になった今でも変わらずに持ち続けていた。
一時は自分が海兵になろうと思っていたこともあった。けれども船から見えた海兵の訓練を目撃してその気持ちはすぐしぼんだ。自分にあの訓練を乗り越えられるわけがないと思う程度に私は大きくなっていた。

それから歳月は過ぎて、大人になった私は両親から仕事を引き継いで週に一度、幼い頃と変わらずにマリンフォードを訪れていた。

私が仕事を引き継いでから三年が経とうとしたとき、私はマリンフォードで海賊の人質にされたことがある。どうやら海兵さんたちの隙をついてインペルダウンへの護送船から逃げ出してきた海賊らしかった。
今までナイフを突きつけられた経験のない私は海賊の腕のなかで恐怖に震えていた。怖くて怖くて、何度も助けてと口にするけど海兵さんは海賊と一定の距離を保ったまま動く気配を見せなかった。次第に海賊の口調は荒くなり、海賊の持つナイフが感情とともに揺れ出してチクリとした痛みを私に与えた。
お父さんお母さんごめんなさいと心のなかで両親に謝った、そんな時だった。
周りを囲んでいた海兵さんの集団から背の高い男が一人、その集団を抜けて、円のなかへと入ってきた。正義のコートが風になびいていた。
海賊がその男に何か叫んでいたのに、私の耳にその男の声はするりと届く。


「目ェ瞑ってその場から動くなよ」


海賊が男にナイフの切っ先を向けた。
私は男の言う通りギュッと目を瞑った。


「決して後ろを振り向くな」


そんな言葉が聞こえたと思った瞬間、すぐ近くで圧倒的な熱量を感じた。髪の先や皮膚が炙られたと思ってしまうほどのその熱は私の頭上を物凄いスピードで駆けていく。でも、その熱はすぐに消えて静寂があたりを包んだ。
どさりと私の後ろで何かが倒れた。


「目を開けい」


眩しい白い光に目を細めながら私は言われた通りに瞼を上げた。あの男はフードと帽子の下から私をジッと見据えていた。それから男は近付いてきて、いつか迷子になった私を見つけてくれた海兵さんのように傷の目立つ厚い手のひらで私の髪を撫でた。


「もう大丈夫じゃ」


その声に私は久しぶりに声をあげて泣いた。




海賊に捕まえられた次の週。私はいつも通り荷物を積んでマリンフォードに来ていた。顔馴染みの海兵さんから「大丈夫だったか?」や「無事でよかった」と声をかけてもらった。だから私も海兵さんに声をかけた。


「あのとき私を救ってくださったのは誰だかご存じですか? お礼を言いたいのですが」


そして知った海兵さんの名前はサカズキさん。
私はその名前を忘れないようにと何度もその名前を繰り返し呟いていた。そんなとき話していた海兵さんの一人がどこかを指差して私の視線をそちらの方へ誘導した。視線の先にいたのは先週私を海賊から救ってくれたサカズキさんだった。私は船員に少しこの場を離れると告げてサカズキさんのあとを追った。


「さ、サカズキ、さん」
「……」


全力で走った私は息も絶え絶えになりながら大きな背中に声を投げ掛けた。そうやく止まってくれたサカズキさんの前で乱れた呼吸を正して向かい合う。


「先週は助けていただいてありがとうございました。あなたのおかげで今日もこうしてマリンフォードに荷物を運ぶことができました」
「……当たり前のことをしただけじゃ」
「はい。私を救ってくれてありがとうございます」
「……それだけを言うためにわしんあとを走ってついてきたんか」
「えぇ、もちろん。あなたは私の命の恩人ですから」
「ふん。真面目なやつじゃなあ」
「ふふふ、よく言われます」


これから私とサカズキさんの交流は始まった。
次の週から私は港でサカズキさんを見つければ駆け寄って挨拶をした。なんとなくあれだけで終わってしまうのが惜しいと思ったからだ。サカズキさんも私を鬱陶しがることもなく、用事さえなければしばらくの間だけ会話に花を咲かせてくれた。
そんなちょっとした話は次第に長くなり、一年を過ぎた頃にはお互いのスケジュールを確認し合って食事をする仲になっていた。

言葉を交わすたびにお互いの違いを知って、知るたびに受け入れた。サカズキさんの苛烈で過激と呼ばれている正義も「サカズキさんをサカズキさんたらしめる魅力ですよ」と言って笑えばサカズキさんは「そうか」と目を細めた。
有限な時間の一部をお互いに差し出した。この人にならばと思えば何も惜しくはなかった。

この数年間でサカズキは以前と比べていくらか取っつきやすくなっていた。本人は自覚のない変化だったのだが周りからしてみれば天変地異のような変化だった。サカズキの激しすぎる正義を憂いていた者はその変化が良い方向へと向かっていることを確信してホロリと涙をこぼした。


二人が愛を育むマリンフォードで、運命を変える事件は起きた。


ある日、いつものようにマリンフォードを訪れたとき町の方が少し騒がしかった。近くにいた海兵さんに話を聞けば、一部の海兵さんと町の人が麻薬中毒になり、次々に発狂していったらしい。
早く原因を突き止められればと私は願った。

あとから聞いた話によると海軍が麻薬の取り調べのため中毒者の家を捜索しても手掛かりは見つからず、階級、年齢、性格、どれをとっても中毒者に共通点はみられなかった。そんななかでようやく共通点が見つけられた。それは中毒になった者は市民が営む青果店で果物を買ったことがあったということ。海軍は急いでその青果店を調べ、そこから導き出された答えが私の船にあった。

なんと私が運ぶ果物は麻薬の成分を溶かした水で育てられたものだったのだ。
もちろん私にとっても寝耳に水。疑いをかけられながらの調査で分かったことは親の頃から果物を売っていたとある農園の経営者が最近代わり、その新しく経営者になった男が今回の事件の首謀者だったということ。
長引くと思われていたこの事件はおよそ二週間で終結し、首謀者が捕まり、私への疑いも晴れて私は無罪となった。
ようやくもとの生活に戻れると私は安心していた。

次の週。私は変わらずに町からの荷物をマリンフォードに届けていた。事件のこともあり不安になる人もいたけど、それでも二世代に渡って築き上げた信頼関係が崩れることはなかった。自分を信じてくれる人々に私は感謝の思いで頭が上がらなかった。
必ず恩返しをしなければ。
そんな思いを新たに抱いた私は海軍本部から歩いてこちらにやって来るサカズキさんを偶然見つけた。
遠征や任務の関係もあり、事件が発覚して終息するまでずっと会えずにいた。姿を見れば私は自然と手を大きく振って愛しい名前を呼んだ。


「サカズキさん!」


久しぶりにサカズキさんの名前を呼んだ。
いつもなら手を挙げて応えてくれるはずのに今日はそれがない。きっと遠征から帰って来て疲れているんだろうと思った。けれど、それにしてはサカズキの纏う空気はどこか怖い。
とても嫌な予感がした。

サカズキさんは私と五メートルの間を開けて立ち止まった。
刹那に思い出したのは私が海賊に捕らえられていたときの記憶。たしかあのときの距離も今と同じくらいの距離だった。
フードとMARINEの帽子でサカズキさんの目は見えない。サカズキさんが何を考えているのか、私には分からなかった。


「どうしたの、サカズキさん」
「わしがおらん間にずいぶんと大きな事件があったようじゃの」


サカズキさんの声は、海賊を語るときと同じ声色だった。


「まさかおまえに罪が無いとは言わんじゃろ」


喉がひりつく。


「おまえさんが確認を怠りさえしなければ防げた事件じゃ」


心臓がうるさい。


「一度罪を犯したものは必ず二度目の罪を犯す」


肌が熱に炙られる。


「ここでいつか起こる悪の可能性を潰すことを、正義と言わずなんと言おうか」


サカズキさんはその右手にマグマを纏っていた。
真っ赤に煮えたぎるマグマを見て、私は自分が彼の正義から外れてしまったんだと理解した。そして、私の犯した罪は私が棺桶で眠ることさえ許されないものだということも。

あのとき私がしっかりと連絡を取り合っていれば。

あのとき私がちゃんと確認をしていたならば。

そんな「たられば」の後悔が際限ない波のように押し寄せてくる。けれど、今さらそう思ったところで過去は戻らない。時間は未来へしか運んでくれない。
そんな当たり前のことを思い出した瞬間、ならばこうなることは運命だったのだと、あなたに助けられたことも、あなたと仲良くなれたことも、あなたが終わりに導いてくれることも、全部運命なのだと思えば途端に心が凪いだ。


「名前」
「なに?」
「目ェ瞑ってその場から動くなよ」


周りにいて状況を飲み込めずにいた海兵さんたちが一斉に顔色を変えてサカズキさんの能力を止められる人物を探しに走っていく。でも、もう遅い。海兵さんたちが誰かを発見するよりも先にサカズキさんのマグマは私に向けられた。

恐怖は海の彼方へと消えた。

赤が迫る。

私はマリンフォードが好きだった。そしてそのマリンフォードできれいなあなたの赤に抱かれて死ぬのならそれも悪くないと思えるの。それはあの時あなたに惚れた弱みなのかもしれない。私、あなたと出会えてとても幸せだった。

だから泣かないでサカズキさん。
あなたに泣き顔は似合わないわ。

サカズキさんの不器用な愛に私は笑って目を閉じた。身を焦がす痛いほどの熱にあなたの貫く正義を感じた。



サカズキの部屋のなかで丁寧に置かれた小箱が一つ、誰にも贈られることのなくなった運命をだた静かに過ごしていた。

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