――サンジが、好き。
その気持ちに気付いてしまったのは最近で、名前は密かに、胸の中にしまいこんでいた。きっと、ナミに言ってもウソップに言っても、ゾロに言ってもフランキーに言ってもブルックに言っても、反対されるだろうからだ(ロビンに言ったら、もしかしたら応援してくれるかもしれない)。サンジは女の人が大好きだし、島に降りるたびナンパしてる姿をたまに見かける。この気持ちを伝えれば、サンジはたぶん(本当にたぶん)自分と付き合ってくれるだろうけど、その後が大変なのは、目に見えている。それに、サンジは大切な仲間だ。恋愛感情をクルーに抱くのは、なんだかいけないような気がする。
だから名前は、その気持ちに蓋をすることにした。それが一番、最適な方法――たとえ初恋だったとしても。
「名前ちゃん」
後ろから呼ばれた声に、名前は肩を揺らして振り向いた。海風に揺れて輝く金色の髪、特徴的な眉、優しげな瞳。
「考え事かい?」
サンジは名前の隣に立ち、デッキの手すりにもたれた。胸ポケットからタバコを出して口に咥え、風を手で遮りながら火をつける。流れるような仕草に見惚れそうになるのを堪えていると、煙を吐き出したサンジがこちらを向いた。その瞳はとても穏やかで、ドキリと胸が高鳴る。
いつもそう。いつも、サンジは穏やかな目で自分を見てくれる。
「……うん、ちょっと」
少し濁すと、そうか、とサンジは頷いて海の方を向いた。名前もまた海へ目を向ける。目の前に広がる海は穏やかで、心の中のわだかまりも、何もかも全てを肯定し包み込んでくれるようだった。
「こうして海見てると、悩みなんてちっぽけなもんだって気がしてくるから、不思議だよな」
同じことを思ったらしく、サンジは呟くように言った。そうだね、と相槌を返す。
「サンジくんは、悩みとかあるの?」
聞いてみると、サンジは考えるように少し上を向いた。
「そうだな……ナミさんに鍵付き冷蔵庫買ってもらったし、今んとこはねェかな。ルフィの底なしの胃袋なんて、気にしちゃいられねェし」
彼がそう言った途端、ルフィとウソップ、チョッパーの笑い声が聞こえてきた。サンジはふっと笑った。
「あいつらは、悩みなんかねェんだろうな」
「ふふ、そうだね……ちょっと羨ましい」
なんとなく出てきた言葉だったが、サンジは少し驚いたようにこちらを見た。
「羨ましい?」
「うん」
言ってしまおうか、と名前は思い、逡巡しながらも口を開いた。
「私ね、ちょっと悩みがあって……今、好きな人がいるの」
「好きな人って……?」
「うん、異性として、好きな人」
サンジは左目を少し見開いた。同時に、口に咥えていたタバコがぽろっと落ちる。もしかしておれのこと?なんて、メロリンする反応を予想していた名前は、その反応に驚きながらも言葉を続ける。
「でもね、その人と付き合うことになったら大変だって、わかりきってるの。苦しい思いをするかもしれない……だから、やめることにしたの」
「やめる?」
「好きでいることを、やめることにしたの」
サンジは何も言わず、ただこちらを見つめている。名前は目を合わせられず、海の方へ視線を向けた。真っ青な空を映す、真っ青な海。その綺麗さが、今は眩しく感じられた。
「……そいつは、この船のクルーかい?」
少しして、サンジから尋ねられた。あなたです、なんて言えず、どうだろ、と誤魔化し笑いして答える。
「名前ちゃん」
呼び掛けられて、海からサンジへ目を移す。サンジはいつになく真剣な表情をしていた。
「……おれなら、君に苦しい思いはさせないよ」
驚きのあまり、サンジの言葉を飲み込むのに少し時間がかかった。理解して、何故だか涙が込み上げて来る。
「名前ちゃん?」
「ど、どうしてそんなこと言うの……? 諦めようって思ってたのに……!」
こぼれる涙を拭いながら呟く。
「えっ? それってまさか――」
「お、こんなとこにいたのか。おーい、サンジおやつ――って、何泣いてんだ、名前!?」
「うお! サンジお前サイテーだな」
「サイテーだな!」
ルフィ、ウソップ、チョッパーの声がした。何も言えず、ただ涙を拭っていると、サンジが焦ったように答えた。
「おれが泣かせちまったわけじゃ……いや、おれのせいになるのか?」
「サンジお前、名前に何した!?」
「落ち着けルフィ、おれはただ……」
「……ふふ」
困ったようなサンジの様子に、次第に笑いがこみ上げて来る。いつのまにか涙も止まり、名前はルフィたちににっこりと笑った。
「サンジに泣かされたわけじゃないよ。私がただ複雑な気持ちになって、泣いただけ」
「『ふくざつな気持ち』ってなんだ?」
「……複雑は複雑よ。色々あるの!」
ますます首をかしげるルフィに、ウソップが、お前には一生理解できねェだろうな、と呟く。
「失敬だな! わかってるよ、ふくざつだろ? ふくざつ」
『ふくざつな気持ち』の定義について話し出した三人を横目に、名前はサンジを見つめる。視線を感じたのか、彼もまたこちらを見た。その瞳には、いつもの穏やかさだけではなく、少しの熱も感じられた。
少し照れを感じて名前が笑うと、サンジも優しく笑い返してくれた。やっぱり好きだなあ、とその笑顔を見て思う。
この恋はなかったことにしようと思ったけれど、付き合ってみないと大変かどうかもわからないし、みんなはもしかしたらすんなりオーケーしてくれるかもしれない。
彼を信じてみるのもいいかもしれないな、と、ゆっくりとこちらに伸びる大きな手を受け入れながら、名前は思った。
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