第3回「独白」 | ナノ


進路に変更なし。
船は陸を目指して帆に風を受け進む。
時折雲に隠れる太陽が、海を照らしている。
船員たちが各々仕事をしながら、俺は一人、甲板から海を臨む。

「マルコ」

俺を呼ぶ声に振り返れば、そこには海のような深い青色の髪を持つ彼女が立っていた。
風に靡く髪の毛を抑えながら、ゆっくりと俺の元へ歩いて来る。

「マルコ」

確かに彼女が俺の名前を呼んでいる。
うっすらと笑みを浮かべる彼女は、俺の頬に手を伸ばす。
細い指が俺の肌を滑る。
愛しげに見つめ合う俺たちは静かに笑った。
俺は彼女の背に手を回して顔をそっと寄せる。
彼女も俺の方に顔を向ける。
鼻先が触れ合い、あと数センチで唇が触れ合う。
嗚呼、彼女の唇の感触は……。





「マルコー!起きてっかー!!?」

ドンドンドンドンドン!
叫び声とともに扉を叩く音が耳を抜ける。
うつ伏せで眠っていたらしい俺は呻き声をあげながら枕に顔を埋める。
扉を叩く手を緩めない向こう側にいる人物は、諦めが悪い。

「おーい!マルコー!一緒に朝飯食おーぜー!!」

「……うるせぇよい」

枕に顔を埋めても、シーツを頭まで被っても、末の弟の声が鼓膜に響く。
今日はまだ眠っていたいのに。

「なーあー!サッチが起こしてこいって言ってたんだ!ついでに朝飯食おーぜ!なぁ!!」

サッチ、だけは聞き取れた。
憎しみを感じてしまうのは仕方が無い。
いまだに叩かれる扉にそろそろ同情を覚えた俺は、重たい瞼をどうにか開けながらベッドに腰をかけた。
しかし、まだ立ち上がるには時間がいるようで、重い尻が動きそうにない。

「……エース」

「お!?なんだ!?起きたか!!?」

思っていたよりも掠れた声だったが、エースには聞こえたようだ。
ピタリと鳴り止んだ扉を叩く音に、漸く俺の部屋には静寂が訪れる。
その静寂に、不思議と瞼が落ちてくるので、逆らうこと無くそのまま目を閉じた。

「寝るんじゃねぇよ!!マルコー!!!」

静寂を壊すエースに、俺の頭には鈍痛が走る。
頼むから今だけは眠らせてくれ。

「……あぁくそ!うるせぇよい!!俺ァまだ眠いんだよい!!」

「おぉ!起きたか!!」

ピキリとこめかみに青筋が浮かんだ。
苛立ちを原動力に、覚醒しないままの頭を持ち上げて俺は扉を乱暴に開け放つ。
パッと嬉しそうに笑うコイツのおかげで、俺は怒りを発散させることなく内に留めてしまった。

「おはよう!きったねぇ顔だな!早く洗ってこいよ!!」

「……ざけんなよい」

太陽のように笑う末っ子の笑顔により、俺は毒気を抜かれてしまった。
肺の中にある空気全部を吐き出した深いため息も、コイツにはあまり意味が無い。
意味さえ理解していないだろう。

「……で?何しに来たんだよい。エース」

顔を洗うためエースに背を向けて部屋に戻る。
身体をドアの隙間にねじ込んで来たエースは、椅子に座って足をブラブラと揺らしている。

「お前を起こしに来たんだよ!」

「……なんで?」

「サッチに言われた。ついでに飯一緒に食おう」

「……ハァ」

そういえば、扉を叩きながらそんな事を言っていた気がする。
冷水で顔を洗って漸く意識がはっきりしてくる。
物事も考えやすくなった。

「腹減らねぇのか?もう10時だぞ」

ぐ〜ぎゅるぎゅるぎゅる。
腹の虫が激しく主張しているエースの頭の中は食べ物のことばかりだ。
そんなエースに苦笑して、俺はシャツを羽織る。

「俺はお前と違うんだよい」

「そういやぁマルコががっつり食べてんの見たことねぇな〜」

「そんな食える歳でもねぇからない」

「え〜人生損してるな〜!」

「するか、そんだけのことで」

ぐるぐると大きな腹の虫を鳴らしながらエースはそんなことを言う。
食べ物のことが頭の八割方を占めるこの男からしてみれば、俺の胃の大きさは小さいのだろう。
机の上に投げ出された資料や報告書などを適当に掴んで、部屋を後にする。

「うげぇ、持ってくのかソレ」

「まだ全部見てねぇからよい」

報告書にいつも苦しむエースは、顔を歪ませている。
期日までに、読める字で提出してくれれば、俺だって楽だ。

「今日の朝飯はなにかな〜」

「おめェは食えれば何でもいいんだろい」

「やっぱ肉が食いてぇな!」

「……」

俺の話など聞きもせず、エースはあれが食いたい、と涎を垂らす。
聞いているだけで腹が膨れてくる。

「隊長、はよーっス」

「おう」

「おはよう!」

すれ違った隊員と挨拶を交わせば、笑うエースにうっ、と目を細めていた。
どうやらコイツも寝起きらしい。
俺は同情の意味も込めて手を振った。

「おめェは元気だなァ……」

「そうか?」

エースの首に引っかかっていたテンガロンハットを被せ、頭をポンポンと叩いた。
元気なのはいい事だ。

「よいよい」

「なんだよマルコー!」

子供扱いしたことは、鈍感なエースでも分かるらしい。
笑いながら食堂に続く扉を開けた。

「お!来たな、マルコ!」

「おはよい」

朝飯の時間よりだいぶ過ぎたこの時間は、まばらに人がいる。
カウンターの向こうからコックコートの袖を捲ったサッチが声をかけてきた。

「ちゃんとお使い出来て偉いぞ〜エース」

「子供扱いすんじゃねぇよ!」

「まーまー。ほれ、朝飯だ」

「ハッ!肉だ!」

「単純だよな〜」

椅子に腰掛ければ、エースの目の前には大盛りの肉。
見ているだけで胸焼けしそうなそれらをエースは嬉しそうに平らげる。

「おめェにはこっちだ」

「あぁ、ありがとよい」

差し出されたのはブラックコーヒーとサンドイッチ。
これくらいの量で丁度いい。
コーヒーの香りで幾分か目も冴えてくる。

「げぇぇ、少ねぇ」

「黙って自分の分を食えよい」

隣からかわいそうなものを見る目で見られるが、気にはしない。
コーヒーの苦味が口の中に広がって、漸く朝を感じた。
隣ではまるで犬のようにがっつくエースが、口を動かしながら何かを喋りかけてくる。

「んんんんだばってさふぁんんんん」

「……口の中のもン食い終わってから喋ってくれよい」

「んん!」

元気に頷くのはいいのだが、エースの食事中に気をつけなければならないのは突然コイツが眠っちまうことだ。
さっとエースの朝飯の入っている皿を俺の方に寄せれば、ガタンっとエースの首が降ってきた。

「今日は早かったな〜」

「あぁ」

コックの仕事を終えたサッチが自分の分を持ってエースの隣に座る。
これが日常になるだなんて、コイツが入ってきた時からは想像もつかない。

「サッチ、ここの字が潰れてるよい。わざとか?」

サッチから受け取っていた報告書の一部が、どんなに頑張っても読めなかった。
サッチに書類を手渡して、どれどれとサッチも目を細めたり書類を遠ざけてみたり色々試した。

「ん〜……悪ぃ、俺も読めねぇ」

「じゃあ、その部分だけ書き直しだ」

「ちぇ〜」

サッチは唇を尖らせて眉を下げた。
はむ、とサンドイッチを食べる。
咀嚼しながら、サッチの飯は美味いなと改めて思うが、口には出さない。
卵がふわふわで俺は幸せだ。

「はっ!寝てた!」

「早起きのくせにねい」

「まったくだ」

「せっかく皿も避けてやったのに、なんで顔が汚れてるんだよい……」

カウンターにはサッチが用意したエース専用のタオルが置かれている。
漸く顔を上げたエースに投げつけたタオルからは、男だらけの海賊船には似つかわしくない香りがした。
ふと脳裏を過ぎったのは、彼女だった。
咄嗟に頭を振って、どうにか頭から彼女を追い出す。

「お!洗いたてのタオルだ!いい匂いがする!」

「さっさと顔拭けよ、エース」

ふかふかのタオルに顔を埋めるエースに呆れながら、サッチは自分の分を食べる。
額に左手を置いてふ、と息を吐く。
急に彼女が出てくるとはどういうことだ、と俺自身に驚いている。
内心で焦る俺に気付かない2人は食事を続ける。

「おい、サッチ。その肉くれよ」

「はァ?お前の皿にもあっただろうが」

「無い!」

「あッ!やめろ!横から取るんじゃねぇ!」

横では小さな戦争が繰り広げられていて、俺はそれを見てフッと笑う。
変わらない日常風景に安心を覚える。
小さくほっと息を吐いた。

「マルコのサンドイッチも美味そうだな……」

「……は?」

「もらい!」

「あッ!?」

油断していた。
サッチの飯しか取らないと思っていたエースが、俺の皿にも目を付けてきた。
風のように俺のサンドイッチを攫い口に運んでしまう早技を目撃した。

「んん!うまい!」

「エースこの野郎!」

「俺の飯取んじゃねぇよい!」

揺さぶったところで、エースは口元を両手で抑えてもぐもぐと咀嚼している。
俺とサッチは顔を見合わせてため息を吐くしかなかった。

「ハァ……」

エースに構うのを止めて机に頬杖をついて、ふと窓に目を向ける。
夢で見た彼女より淡い色の空があった。
唐突に、キスする直前だった夢を思い出して俺の顔には急速に熱が集まる。

「ッ、ゲホッ……!」

「うわ、どうしたマルコ?」

「デコは無事か?」

2人にこんな表情を見られようものなら暫く俺は笑いものになる。
勢いよく机に突っ伏して顔を見られないようにする。
額がジンジンと痛むが気にしてはいられない。

「耳が赤いぞ?ホントに大丈夫か?」

「うるせーよい……」

弱々しい声が出た俺は、さらに詳細に夢を思い出す。
あれはきっと、この船の甲板だった。
潮風を浴びて海を臨んで、俺の隣には彼女がいた。
いるはずも無い彼女がいた。
夢で見る程、俺は彼女のことを考えていたのか。

「くそ……」

腕で顔を隠しながら、どうにか熱を逃がそうとする。
窓から差し込む陽の光が、日常よく見る光景なのに、今だけは眩しく思えて仕方なかった。


違う、彼女を想っている訳では無い。

彼女に会いたいだなんて、思っていない。

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