第3回「独白」 | ナノ


「───ねぇ、ママ」


 私の一番古い記憶は、父の葬儀が終わって一月が経つ頃にある。幼かった私は死という概念を曖昧にしか理解しておらず、心の整理が出来た母親同様変わらない日々を過ごしていた。
 父や親族が呼ばれた北の海に住む従姉妹の結婚式へ向かう最中に抗争に巻き込まれて亡くなったと後に聞かされた。たまたま具合の悪かった母と幼い私は自宅にいたので難を逃れたが、それを喜べる程の見返りはない。


「どうしていい人からしんじゃうの。おじさまもパパもわるい人じゃないのに、しんじゃうの。なんで?」
「それはね、神様が天国を作って、その街にいい人を置きたいからよ」


 冷たいだけの墓前で困ったように微笑む母親が、死を理解できない子供に言い聞かせるように優しい嘘を吐く。誰もいない夜道は静かで、近くの森の小さな入り口からは虫のさざめきが聞こえる。真っ暗でも星や月の明かりで微かに母の顔が見える。その顔が朧なのは最早過ぎ去った過去で、幼い私の記憶が蘇らないからだろうか。繋いだ手からは温もりが移るのに、肝心なものは全て靄が掛かったまま隠されている。
 母の問いに満足できなかった私は眉間に皺を寄せて首を傾げた。視界が少し傾く。


「かみさまってわるいひとなの?」


 私から「いいひと」である父を奪った「かみさま」は悪い人ではないだろうか。母の言うその街はいい人で溢れているのなら、私の知るいい人はもっといるのに神様はいらないのだろうか。
 罰当たりな問いをこぼした私を母は笑って窘めた。


「そんなことはないわ。私達もいつかは天国へ行くのだから、きっとパパ達にも会えるわよ」
「ねぇ、ママ。てんごくって、どこ?」
「空を見てご覧なさい。人は死んだらね、星になるのよ」


 そうして見上げた夜空の煌めきを覚えている。輝く星々は隙間を埋めるように犇めき合っていた。綺麗と思った次の瞬間、掌を返したような畏怖に私の脳内は支配された。母から告げられたお伽話と自然の脅威が重なり合う。母の美しいドレープを皺が出来るほど掴んだ。

 そこはおやすみを告げる夜の帳ではなく、今まで死んで行った亡霊が住まう逆さまの帝国だった。




命の雑踏で指を絡めた





一、邂逅


「漸く見つけたぜ」


 低く、胃の底に落ち着くような声がする。振り向けばまるで獲物を追い詰めて狩れると愉悦に浸る獰猛な獣のような瞳が、私を見据えていた。高い痩身と捲った袖から覗くトライバルタトゥーに話し込んでいた街の人たちが驚愕する。不安そうな瞳で見る彼等に「お客様がいらっしゃるのを忘れていました」と嘘をついてその場を後にする。


「お待ちしておりました。自宅はあちらになります」
「……御託はいい」


 下手な芝居はいらねェ。そう言ってニヤリと笑った彼の目的も、来訪する予定さえ知らなかったのだから、気を遣ってあの場を後にした私を褒めてほしい。
 今巷を騒がせている死の外科医。手配書も新聞の記事でも見たことがある。善行と悪行の境をふらふらしているこの男の勘は鋭い。恐らく、≪私≫を知っている。


「流石はコンシェルジュ、街からも頼りにされているな」
「知恵を職業にしているだけです。それがなかったらただの職無しと一緒ですよ」
「その知恵のおかげであの大虐殺を生んだのか」


 誰もいない、簡素な路地裏を歩む脚先が止まる。彼が知っていることに気付こうと、何処から情報が漏れたのかが分からない。そして今更シラを切ることなどできないのを知らないほど、私は愚かではない。


「お前が欲しい。仲間になれ、才女」
「……なんて情熱的なお言葉。ところで、この街に海軍の駐屯所がないのは何故か知っていますか? トラファルガーさん」


 路地の曲がり角から次々と黒服の男達が出てくる。私にはこの島に帰って来てからというもの、常に監視の目がついている。まるで今でも手綱を握れているぞと脅すようだ。そんな細い糸のようなもの、私を繋ぐ楔にしては脆すぎる。


「≪私≫がいるからですよ」


 これはいい時間稼ぎになるだろう。今のうちに荷造りをしなくては。悪どい笑みを浮かべて抜刀した彼への挑戦状にももってこいだ。



二、試験


 試してみた。何度も、幾度も。大人になった私はそんな戯言など虚妄だと知っているのに、真実だと見せつけたいエゴのためだけに……そうであってほしいという一縷の望みだけを求めてこの街で生存している。
 それも、今日限りの話だが。


「……じゃあ、契約成立だな」
「ええ。今日で出発なさるのですか?」
「そうだ。時間がねェ。さっさと身支度しろ」
「女の支度の時間くらい大目に見てあげないとモテませんよ」
「悪いな、そういうもんなのか。何も言わなくても寄ってくるもんでな」


 ああ言えばこう言う。憎いその笑みで一体何人の女が食い物になったのだろう。
 荷造りをしている私の目の前にあるアンティークの食器のいくつかが、瞬時に気味の悪いトルソーへと変わる。滅茶苦茶に継ぎ接ぎしたその塊は沈黙しているが、呼吸をするところから生きているだろう。彼の能力のことは知っているから、実力としては申し分ない。サイファーポールになりそこないの用心棒もどきをこうして倒して貰わないと、この先の私の身すら危ぶまれる。
 お気に入りのブランケットが彼に変わり、椅子へと腰を据える。長い脚を組んで息を乱さず、私が荷造りをしているのを見て口角を上げた。お互いに知能が高いと余計な会話もせずに済むのは有難い。


「しかしまあ、一応志望理由は聞こうか」
「志望も何も、そちらのほうから望んだのでしょう」
「腹は割って話した方が今後のためにもなるだろう、才女サマ?」


 才女。私の二つ名を知る人間は海軍の上層部にしかいない。
 しがない司書として慎ましく暮らしてきた街の人は、私が海軍に属していたことを知らない。平和で善良な人間で形成されたこの街で、私はいつから歪んだのだろう。


「もうその名で呼ばないでください。兵役は終わりましたから」
「そうだろうな。アンタの総指揮の元で大勝した戦争……最小の被害と最大の傷跡を残した功績はさぞ素晴らしかったろう」
「役目を果たしただけです」
「引き止める声も多かっただろうに、それを断ってまでこの街に戻っては時折重役のコンシェルジュになっていたそうじゃねェか」


 椅子に座る男が長い脚を組み替える。海賊でなければモデルをお勧めするところだ。端正な顔立ちと抜群の容姿は見るものを惹きつけ、頭脳の回転の良さから博士号でも取れるんじゃないかと錯覚する。だからこそ警戒せねばならない。油断ならないこの男は海賊で、これからは私の船長となる。
 だが彼が欲しいのは私の脳味噌で、海軍から転落した憐れな女を経過観察したいだけだ。しかし勘違いされては困る。私は解雇されたわけではなく、兵役を全うしたからこそ望んで海軍から離れただけだ。自分から退職届を出したに過ぎなく、残存を乞う上司からの圧力さえ振り切ってここまで帰って来たのだ。何が正義だ。汚職と隠蔽に塗れた権力帝国でしかない。


「テメェはおれに、何を求める」
「何故ですか?」
「別に忠誠を誓えってわけじゃねェ。だが無償でおれに奉仕する必要もお前にはねェだろ」
「ふふ、随分疑い深い方ですね」


 そんなもの端からあるわけないのに。信頼関係など、最初から築く礎さえなかったのだ。それに気付かないほど、この男も愚かではないというのに。


「見ての通りですよ。退役した後も海軍から見張られていました。そこへ貴方が来たものだからこうして繋がりがあるんじゃないかと疑われたわけですよ。貴方が作ったオブジェ、見えないわけじゃないですよね?」
「なんだ、おれのせいだと言いたいのか?」
「貴方のせいですよ」


 必要なものを詰め込んだトランクを閉めるとやけに大きな音がしたような気がした。暗に貴方のせいで私も海軍に裏切り者認定されたんですよと伝えるも、稚拙な知らないふりをする。計算してのことなのかまでは計り知れないが、行き場所を失くした私は彼につくしかない。それでも、構わなかった。そろそろ知らない世界を見るのも悪くないと思っていたから。めちゃくちゃに継ぎ接ぎされた、よもや人体だとは思えない塊が目を覚ます頃には家主を失った家で途方にくれるだろう。お気の毒に。
 しかし目を覚まさない彼等はまるで死んでいるようだ。呼吸はすれど、繋がる先の体は反対側に転がって同期の右腕とくっついているから各々呼吸するせいで不規則に蠢いている。死のオブジェ。目の前に悠々と座る男の二つ名に相応しい。


「……トラファルガーさんは、人が死んだら何処に行くと思いますか?」


 扉を開けると、あんなに晴れていたはずの空が泣いていた。まるで淑女が流すような涙を遮る傘に彼は入らなかった。鍵を閉めた私をジッと見つめている。隈を連れた鋭い双眼が、見定めるように。
 ほんの少し振り返って、見えもしないのに墓地の方角を見る。そこには私の母が眠っているが、もう何年も前からだ。今更涙を零すほどでもないが、それでも生まれ育った地と母の遺骨を置いて行くことには気が引けた。でもそれは利口ではない。私が彼のことを受け入れた時から、こうすることは決まっていた。海賊と繋がりがあると思われた、というのはただの口実に過ぎない。
 試してみた。あの戦争で。それでも私の求める結果ではなかった。ならば彼と。トラファルガーさんとなら、生涯解けるわけのない私の問いにも答えが出るだろうと結論付けたからだ。


「……さァな、おれにも教えてほしいところだ」


 しっとりした傘の隙間から彼の顔を見つめると、心なしか笑みを象っていた。それがどことなく私の柔らかい所へ引っかかるものだから、小さな跡だけが残った。



三、猜疑


 海賊というものは、陽気だ。知恵者ではありつつも戦う術を持たない私さえ受け入れてくれた。ちゃぷちゃぷと小さな波の跳ねる音を聞きながら、日陰で水平線を眺めていた。


「なんだ、もうホームシックか」


 自船でさえ得物を離しはしない彼は、何を思うのだろうか。習性や敵襲対策といえば聞こえはいいが、もし彼の心が此処へ置いていないのなら。掲げた髑髏にさえないのなら、何処に置いて来たのだろうか。


「悪いが、今更帰せと言ったって帰してやれねェぞ」
「別に帰ろうとは思いませんよ。心残りってやつです」


 あの地に残した母のことを思う。平凡とした家庭だが、強烈な消せない記憶を焼き入れたのは彼女だ。その思い出の中に残した母を思う、まるで忘れ物をしたかのような唯一の心残り。人は死んだら星になると教えた彼女の肉体が、あの地に留まる理由を知りたかった。


「それとも、私が裏切ると思いですか?」


 海賊になってまだ一月足らず。陽気な仲間に受け入れられても、警戒心が人一倍強い彼は気になるのだろう。入団を唆したのは彼だと言うのに、おかしな話ではある。
 揶揄した私の問いには答えず、笑みを消してジッとこちらを見る。観察しているようで、まるで否定して欲しいと望んでいるようだ。


「海軍は裏切りましたが……いや、兵役は終わっているからその言い方も変ですね。ですがいい子であれという期待には背いて犯罪者の仲間入りをしたわけですから」
「裏切る奴は、また裏切る」
「それはかつてファミリーを裏切った貴方もですか?」


 一瞬の間。その刹那に彼の鼓膜と脳に私の言葉が届き、意味を形成する。頭のいい人は少しの情報を最短で理解するから、私の一言はその一瞬があれば十分だった。抜刀された鬼哭の先が向けられる。よく手入れされたそれは能力がなくても私の首を刎ねるにはもってこいだろう。
 怒りを持った瞳に微笑みかける。


「そう不安がらないでください。誰にも話したりしませんよ」
「……その保証がねェだろ」
「お仲間は貴方の過去を知って見捨てるような方々でもありませんし、何よりメリットがありません。疑うより私の情報収集力の方を買っていただきたい。それとも私を船から降ろしますか?」
「……」
「安心してください。情報の貴重さを知る私にとって、本当に口は固い方なんですよ。それに……貴方をそんな気持ちにさせるのは、私だけでいい」


 そう、その顔だ。最高の殺し文句にせいぜい暫くの間は猜疑心に苛まれていればいい。それが私と彼の距離感だ。
 どこまで知っている、なんて浅はかなことを聞かれないでよかった。これはブラフであり動揺を誘うものであるから、こちらの手数が少ないことがバレてはいけない。
 信頼はいらない。必要なのは、私の見る夢の先を見せてくれるだけで良い。


四、確証


 かつて、試してみても満足のいく結果が出なかった。なら、次は確かめるべきだと思っていた。


「馬鹿野郎ッ!!」


 ロマンとか美学とは無縁の、理性的で狡猾な人なのだと思っていた。だからこそ、私たちはただのビジネスの関係でそこに感情など必要としていないと思っていたのに。勘違いしてしまいそうになる、その焦燥を孕んだ腕が倒れかけた私を抱きかかえるものだから。

 
「あは、は、死ぬかと思いました」
「アホか! もう少しズレれば首が飛ぶところだったんだぞ!」


 拍動する熱の塊が押し付けられているようだ。左肩がなくなってしまったかのように痛い。実際肉は刮げ取られているのだろうが。そこを労わるように抱き抱えられてしまっては、為すすべもない。
 私を狙ってきた海軍を退けるために、みんなは武器を手にとってくれた。この一年、そういったことも慣れた私は彼らに指揮をして勝利に導いていた。今回も指示を出している傍、視界の端に映ってしまったのだ。船長が凶弾に倒れるなど、外聞が悪いとらしくもなく思ってしまった程には。
 消毒薬くさい医務室で包帯を巻かれる。医療者らしい手際の良さと、傷に触れない優しさが身に染みる。痛みを紛らわせるのには十分だった。


「初めて撃たれましたが、痛いものなんですね」
「……痛いか」
「ええ、そう言いましたが」


 血のついたガーゼ以外は白い。貫通していたのか、縫う必要もなく終わった治療は呆気ない。


「痛いのは生きている証拠だと、良く言う」


 巻かれた包帯は清潔を表す白で、彼の指先は死を誘うものだ。心がないのにハートの海賊団。死を誘うのに医者。彼は矛盾でできている。
 鋭い双眸は、真っ直ぐに私へと届く。


「お前、何故死のうとする」


 最初は戦争で試してみた。次は己で確かめてみた。私の夢の先。幼い頃から夢見る呪いを。


「……人は、死んだら何処にいくのでしょう」
「またその質問か」
「くだらないと思いますが、私は母に死者は星になると言われました。それを今でも信じているわけではありません。しかし、それを証明したいのです」


 父は私を見下ろしているのか。母は空で父に再会できたのか。戦死者は何人星になれたのか。私が死んだら、その景色を見れるのか。
 くだらない、稚拙な御伽噺に支配されているだけだ。天国や地獄、輪廻の概念を理解してもなお拘ってしまう。あの帝国の片隅に私は輝けるのだろうか、と。


「……お前は前に出るな。その頭でおれたちを導け」


 ピンセットを消毒している彼が静かに言う。その声は呆れるわけでも、嘲笑うわけでもなく、ただ淡々と業務連絡を注げるように静かだった。
 返事をせずに服を着る。ボタンを留めたら出て行こうとする私の前に、彼が影を作った。その先を追って顔を上げると、声質の割には船長らしい瞳をしていた。


「ハートの心臓はおれだが、脳はお前だ。どちらも止まるわけにはいかねェ」
「……サー、キャプテン・ロー」


 だからこそ、私もそう返事せねばならないと思わせられたのである。
 信頼はそこにあるものではなく、生み出し育むものだったのだ。


五、結託


 綺麗な体で嫁にはいけなくなってしまった。貰う手もないのだけれど。薄くなったとはいえ、皮膚が盛り上がった肩の傷はとうに癒えていた。私がお尋ね者の仲間入りをして二年が経とうとしている。あの時よりも髪は伸びたし、知識も増えた。傷が増えなかったのは偏に彼らのおかげである。私の生涯をかけた命題は今さえわからないのに。


「……ここにいたのか」


 この二年の間で達成された心臓を届け、見事に王下七武海へ参入できた宴の最中だった。私の夢を語った後、彼からはなにも追求してこなかった。自身が死ぬこと以外は無害な夢だと思ったのだろう。別に自殺願望はないし、自分が死んでしまって本当に確認できるかわからないなら、まだ死にたくはないのが本音だ。そして、その肩の傷が癒える前に「話がある」と言われた時は驚いた。


「主役が参加しなくていいんですか?」
「大半は潰してきた。お前はいいのか?」


 彼は私に七武海になるためにはどうしたらいいかの指南を仰ぎに来たのだ。信頼を彼は生み出してくれたのだ。それを私が殺すわけもなく、彼と共に今日まで育んできた。最初はただの興味だった。何気なく言った方法を彼が鵜呑みにするとは思わずに。そのうち、私の指示にも従って戦闘に臨んでくれる姿勢を見せつけてきた。任せてくれている、預けられていると思うと私も下手なことは返せないと思い始めた。
 初めは冷酷でビジネスの関係しか興味ないと思っていたのに。本当は懐深くて仲間思いな船長なのだと知ってからは、私も彼のためになれないかと日々模索するばかりだ。


「実はベポに頼んでこの島に行きたいと言っていたんです。なので、その理由をお見せしましょう」


 彼は飲みたくない時に能力で酒をすり替えたりするイカサマでシャチやペンギンを潰したりしているのを知っている。今日もそれで抜けてきたのだろう。こういう時くらい羽目を外して騒いでもいいものを。
 私は適当にあしらって抜けてきたので、彼ほど酒気を纏っていない。澄んだ水の匂いと湿気が浄化する。


「……ほう」


 彼が感嘆を吐くのも理解できる。ここは、全てが夜空で埋め尽くされた空間だからだ。
 森を少し抜ければいきなり開ける空間がある。見渡す限り、凹凸すらない平坦な塩湖だ。雨が降り、凪いだ晴れた時にしか見られない水鏡。輝く夜空が地面にも映り、まるで星空に放り出されたかのような空間だ。


「上手く条件が重なってよかったです」
「……すげェな」
「ええ、世界にはまだこんな景色があるんですね」


 明るい月と、輝く星。お互いの顔も青白く見える。


「どうだ、探し物は見つかったか」


 揶揄する彼の悪戯な顔さえ、良く見える。悪い人だと思う。もう私がそれに執着していないことを知っているくせに。
 死んだ人が星になるなんて今ではもう信じていない。だからこれだけ満開な夜空にも、探しやすいように足元に映された夜空にも、私の知っている人達はいなかった。それでも貴方がそう言うのなら、軽口として聞いてほしい。


「これはきっと、私が殺してきた人達なのでしょうね」


 指揮官は、数を殺す。兵士が一人殺したとしても、大勢を指揮する側はその扱った兵士分の数を背負う。最小の被害に抑えても、最大の加害を加えてしまう方が罪の意識に苛まれる。戦争で試したあの魂たちが浮かばれることを信じて、罪悪感を見ない振りしただけにすぎない。
 さんざめく星の反響が、今更ながらに私を責め立てる。かつてはこの星の中に母を見たかったことから始まったというのに、今はもうこの星空に見知った星を見ることのないよう祈るばかりだ。


「怖いか」
「いえ、何も」


 星空を踏み躙る。真っ逆さまに落ちて行きそうな地面に、私は立っていられる。これからも生きて、彼らと歩んでいける。知恵で作る最小の被害と最大の加害は変わらずとも、そこに仲間を思う気持ちがあれば。それだけで、皆を導いていける気がする。


「……話がある」


 悪巧みの話だろうか。七武海になる、と言ってはいたが、その先はまだ聞いていない。しっかりと顔を見上げると、彼もまた私を見下ろしていた。


「おれはこれから、恩人の遺志を継いで本懐を遂げるつもりだ。プランはあるが、仔細までは決めていない」
「……」
「そこで、お前の知恵がほしい」


 彼の過去を、知らないわけではない。言われたことはないが、仲間になった当初に調べたことがある。凄惨な過去を持つくせに、折れずに仲間を大切にするその姿勢に惚れたのだ。皆、雰囲気で感じているのだろう。この人なら、生み出した信頼を預けられると。その一角に、私も乗せてほしい。


「おれと共に来い、名前」


 差し出される手が、未来へ連れて行ってくれる。
 信頼が育てば育つほど、背中を預けたいという気持ちが膨らむ。それが実れば、次は忠誠だ。この人のために在ろう。この人に付き従い、この人と共に生きよう。傅く膝が無くとも、王冠が無くとも、船長でなくてもいい。肩書きのない、トラファルガー・ローに誓おう。


「どこまでも連れて行ってください、ローさん」


 私が築いてきた命の輝きの中で、私は貴方の手を取った。

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