ロジャー海賊団の船では週に一度、くだらない(本人たちはいたって真面目な)理由で朝の食堂に活気を与える船員がいた。
「絶対に牛乳!」
「ヨーグルトだっつってんだろ!」
「牛乳!」
「ヨーグルト!」
「牛乳にひたひたに浸けてちょっとふにゃふにゃにして食べるシリアルが一番おいしい!」
「ふにゃふにゃになんかしたらシリアルのせっかくのザクザク感がなくなるじゃねェか!ザクザクのままヨーグルトと和えて食べるシリアルこそが一番うまいんだよ!」
わいわいぎゃあぎゃあ。
ロジャー海賊団の見習いであるバギーと名前は毎週飽きもせずに週に一度あるシリアルの日に食堂の一角で口喧嘩を始める。内容は『シリアルをどう食べると一番うまいのか』。
だが、二人の口喧嘩は自分の主張を押し付けるだけで、いつも決着はつかないままだ。
そんな二人と同じテーブルに座り、口喧嘩を気にすることもなく、皿に盛られたシリアルを食べているのは口喧嘩する二人と同じ見習いのシャンクスであった。シャンクスは最初こそ二人の口喧嘩に笑っていたのだが週に一度の頻度で起こること、また口喧嘩の内容が毎回同じとなれば次第に関心が向かなくなるのは当然で、今ではシリアルを食べながら「北極と南極はどっちが寒いのか」というようなことを考えていた。しかし、見習いという立場ゆえあまりゆっくりと食事をする暇はないのにその時間を削ってまでもこうやって口喧嘩する二人にシャンクスは呆れを通り越してむしろ感心さえしていた。
「毎週毎週よく飽きねェな」
「シャンクスはどっち派!?」
「おれは何もかけずに食う派」
「なら今日は牛乳かけてみよう? ね? おいしいからさ」
「てめェ、名前! シャンクスを仲間にしようよすんな!」
「別にどっちがうまいとか競う必要ないだろ」
「珍しく意見があったなシャンクス。おれもそう思うぜ。何がうまいかなんて個人の好みだ。だがな、あいつが『シリアルを牛乳の海に浸して食べるのが"一番"うまい』と主張する限り、おれは反対する! "一番"うめェ食べ方はヨーグルトに和えてガブリだ!」
「バギーの味覚音痴!」
「名前のバカ舌!」
再びヒートアップしていく口喧嘩に相変わらずだなとシャンクスは表情を緩めて最後の一口を口に運んだ。
「また喧嘩してんのか」
「「「船長!」」」
朝の食堂で一番目立っている彼らに声をかけたのはこのロジャー海賊団の船長であるゴールド・ロジャーだった。
「おはようございます船長! どうしたんですか?」
「おはよう名前。いやなに、今回の軍資金を渡しに来たのさ」
ロジャーはポケットから硬貨の入った三つの袋を取り出した。重力に従ってぶら下がっているその袋はいつもに比べて少しだけ重そうに見えた。
そんな袋を見て、三人の見習いは「おぉ〜」と声を揃えた。
「今度の島は治安がいいみたいだしな。しっかり遊んでこい!」
*****
目的の島に無事上陸し、雑用から解放された三人はさっそく船から降りて島のメインストリートを歩いていた。
「暑い」
「夏島だって船長は言ってた」
「暑い」
「となりで暑い暑い言うな。おれ様まで暑くなるだろ」
「暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い」
「黙れって言ったんだよおれは!!!」
「シャンクスは麦わら帽子で涼しそうだね」
「まぁな」
「人の話を聞け!!!」
バギーの怒鳴り声に、メインストリートを歩く人はチラチラと三人に迷惑そうな視線を向けるが、肝心なシャンクスと名前にバギーの声は届いていないようだった。
「あ」
「どした?」
突然立ち止まったシャンクスに名前も立ち止まり、しょうがなしにとバギーも立ち止まった。シャンクスの視線の先にあるのはそれなりに儲けていそうな武器屋。
「おれ、この前の戦いで剣が折れたから新しいの買ってくる」
「そういえばそんなこと言ってたね」
「じゃあまた後で」
「いいのが見つかるといいね」
「おう」
シャンクスにバイバイと手を振る名前の数歩先にいたバギーは「じゃあおれも」と名前がこれから向かおうとする方向とは違う道を歩いていく。
しかし、名前がそれを許さなかった。
「か弱い私を一人にする気!?」
「どこがか弱いじゃスットンキョー! おまえなら言い寄ってきたやつを余裕でのせるだろうが!」
「一人は寂しいじゃん!」
「おまえの長い買い物に付き合うこっちの身にもなれってんだ! だいたいなんでシャンクスのときは何も言わずに見送ったんだよ!」
「だってシャンクスと買い物しても「似合う」しか言わないし、気付いたら私一人になってるし。その点バギーはなんやかんや言いながらちゃんと答えてくれるからいい……ってどっか行こうとしないでよ! 一緒に買い物行こうよー!」
「人の耳元で喚くなバッキャロー!」
しがみつく名前をバギーが全力で引き剥がし、「行こう」「行かない」で押し問答を繰り返す。
「もー! そんなに嫌がることないじゃんバカバギー! もういい!」
「そうだそうだ、その調子でどこへでも行きやがれ!」
小さな子どものようにお互い舌を突き出して別々の通りへと別れていった。
「バギーのバカ!もう一人で満喫してやる!」
確固たる意思でそう宣言した名前は振り返ることなくメインストリートを歩いていく。それなりに栄えている島というだけあり、可愛らしい店がたくさんあった。名前はどの店に入ろうか悩んでいたが視界に入ったリンゴの看板が目印のカフェに立ち寄ることを決めた。
飴色の扉を開けばチリンチリンときれいな音色を奏でるベルに迎えられた。その音色で名前の尖っていた怒りが丸く和らぐ。
カフェの店内は白を基調として黄色や緑で彩られていた。所々アクセントとしてか赤いリンゴを模した飾りが設置されていて、それが店内の彩りを一層鮮やかにしていた。
そんな店内に心を踊らされながら名前は入り口の近くに置かれたショーケースの覗き込んだ。ショーケースのなかにはこの島の特産物というリンゴを使ったアップルパイやコンポート、定番のケーキからシュークリームにショーケースの上には色々な焼き菓子が並べられていて名前の目移りが止まらない。
「ねぇバギー! 何が一番おいしいかな」
振り向いてバギーの姿が見えないことを確認してようやく名前は一人だったことを思い出した。たった数分前に別れたばかりだというのに、おいしそうなスイーツを前にしてそんなことはすっぽりと頭から抜けていた。
じわじわと羞恥で顔に熱が集まるのを感じながら名前は目だけを動かして店員を見る。当然ショーケースの向こう側に立っている可愛い店員はにこやかな笑顔を浮かべていた。
穴があったら入りたい。
このときの名前の心情を表すならまさにこの言葉がピッタリだった。
あまりに恥ずかし過ぎた名前は吃りながらもクッキーを一袋だけ買ってそそくさとそのカフェをあとにした。店員が何か言っていた気がしたが確認するために引き返すことはしなかった。
「あーあ、恥ずかしかった」
名前はカフェから退散したあと、とにかく一人になりたくて町の端を目指して走り、たまたま見つけた人気のない噴水に腰かけていた。ちなみに水は出ていない。
「べつにバギーと別れたことを忘れてたんじゃなくて、これはあれよ、いつものくせで」
誰が聞いているわけでもないのに名前は先ほど買ったクッキーを食べながら言い訳染みた言葉を連ねていく。
「でもこれってバギーがついてきてくれれば防げたんだから原因はバギーだよ絶対。うん。それにしてもこのクッキーおいしいな……きっとアップルパイとかもっとおいしんだろうな……あんなことさえなければ食べれていたかもしれないのに」
最後のクッキーを飲み込んだ名前はその場に立ち上がり思いっきり息を吸い込んだ。
「バギーのバカ野郎!!!!!」
周りの木々に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立った。
そんな風景を眺めていた名前は深呼吸を数回繰り返し顔を上げた。
「よし、戻るか」
カラになったクッキー袋をポケットに仕舞い込み、名前はオーロ・ジャクソン号へと歩き始めた。
もともと名前は怒りという感情が長引かない性格であり、大概のことは寝たら忘れる。今のスッキリとした顔に怒りはどこにもなかった。
「でも、問題はバギーなんだよね。何か手土産に買って帰ろうかな」
「なんだい嬢ちゃん。もう彼氏への不満は収まったのか?」
後ろから飛んできたあまり好意的ではない声に名前は隙のない動きで振り返り戦闘体勢をとった。右手に短剣を構えて、声がした方を睨み付けた。
そこに立っていたのは名前の三倍はある身長の大男。右手に棍棒を持っていてニヤニヤと笑っている。悪意しか感じないその表情に気を取られているといつの間にか後ろの道も男の仲間に塞がれていた。
目の前にいる大男だけなら勝算があったが一人対六人はさすがにキツい。
名前の肌に冷や汗が滲み出る。
とにかくこの状況を打破するための時間を稼がなければ。
「あなたたちは誰」
「おれたちが何者かって? そんなことはどーでもいいさ。重要なのは嬢ちゃんが条件にピッタリだったってことだよ」
「条件?」
「子ども、プラチナブロンド、碧眼、身長160cm以下、可愛い顔つき、種族は人。この条件に当てはまるやつをおれたちはずっと探してたんだ」
大男の挙げた条件は名前を指しているのではないかと疑うほど当てはまっていた。男たちがじりじりと名前と距離をつめてくる。
「せっかく見つけた商品なんだ、逃げんなよ嬢ちゃん」
「ッ!」
目の前の大男が地を蹴って一気に距離を縮めてきた。名前は横に飛んで逃走を図ろうとするが後ろにいた男たちに完全にマークされている。
「くっ!」
迫ってきた剣を短剣で受け止めるも勢いを殺しきれずに体勢を崩された。絶好の機会だと男二人が名前を捕らえようと走り寄ってきた。
しかし、名前も見習いと言えど数々の荒波を乗り越えてきたロジャー海賊団の一員。そう易々と捕まえられるつもりはない。
片手で砂を掴み、迫ってくる男二人の目に向かって勢いよく撒いた。名前の目潰し攻撃を正面からモロに食らった二人は両手で目を押さえて悶えた。
目潰しが決まって男たちの布陣に穴が開く。そこから路地に入って撒こうと考えた名前だったがそれをリーダー格の大男が許してくれるはずもなかった。
あの巨体に似合わないほどの俊敏な動きで大男は名前の進路に立ち塞がって棍棒を振った。名前は短剣でその棍棒の攻撃を受けるがぶつかった衝撃で手のひらが痺れて短剣が飛ばされてしまった。
「うっ、」
尻餅をつく形で倒れてしまった名前の前で大男は勝ち誇ったような顔で棍棒を担いでいた。活路は見つからないかと周りを見た名前だったが男たちに囲まれて逃げ場はない。最悪だ。
「あまり手間をかけさせないでくれねェか?」
ギッと睨んだ名前の視線を大男はせせら笑った。
「おれたちも好きでこんなことをやってるわけじゃねェんだ。おれたちの雇い主は死ぬほど人形が好きでね」
大男の大きな分厚い手が名前に伸ばされた。払い除けようとした名前だったが逆にその手を捕らえられて、そのまま上に持ち上げられた。
「気に入った人形が見付かればその人形と似た見た目の子どもを捕らえてこいと命令するのさ。今までに何人も捕まえて雇い主に届けたが、不思議なことに屋敷から雇い主以外の気配はないんだ」
大男は名前を近付けて、目の前でニィと嗤った。
「殺されなけりゃいいな」
男たちは全員バカにしたような笑い声を上げた。
ぷらりと持ち上げられたままの名前は大男が笑うたびにその振動が伝わって身体が揺れる。不快で眉をひそめる名前が目の前の大男につばでも吐こうかと考えた、そんなとき。
「名前を離しやがれ!」
聞き慣れた声が笑い声を切り裂くように飛んできた。
その声に笑いがピタリと止まった瞬間、名前の腕を掴んでいた大男の顎に見事なドロップキックが決まった。
顎にきた強烈な一撃に大男は意識を失ってそのまま地面に倒れ込んだ。
名前が緩んだ手から逃げて数分ぶりの地面に降りると、いきり立った男たちから名前を隠すようにして間に立つ人物がいた。
その後ろ姿に名前はこれまでにない勇ましさを感じた。そうして、その感情のままに名前は名前を呼んだ。
「バギー!」
しかし、
「逃げるぞ名前!」
「えぇ!?」
「逃がすか! 追え!」
振り向き、名前の手を握ったバギーは男たちから一目散に逃げ出した。当然、怒った男たちは二人を逃がすまいと追ってくる。
「あそこは『おれが来たから安心しろ』ってシーンじゃないの!?」
「うるせェ! 相手が二人ならまだしも一度に五人も相手できるか!なんでこいつ一人のためにあんなに引き連れてるんだよチキショー! うわ怖ェ、追ってくる!」
「何それ」
せっかくかっこよかったのに、これじゃ台無しだ。
バギーらしい言葉と繋がれた手から伝わるあたたかさに、我慢していた涙が名前の目からぽろりとこぼれた。
「泣くな名前! そんな暇あったら足を動かせ!」
「泣いてない!」
「だーかーらー、耳元で叫ぶなって言ったの覚えてねェのか!」
「覚えてない! そんなことより、なんであんなにタイミング良く現れたわけ?」
「おまえがおれ様をバカ呼ばわりしたろ!」
「あぁ、あの叫んだ声聞こえてたの?」
「じゃなきゃ来てねェよ。そんでおまえにもう一発ガツンと言ってやろうと来てみたらおまえが捕まってたわけだ」
「私の大声、役に立ったんだ」
「言うべき感想はそうじゃねェだろ! おい、その十字路右行くぞ!」
「うん!」
必死な顔で走るバギーと手を繋いで、捕まらないために町の路地を走り回っているこの状況が、名前はなぜだかとても楽しいと思えた。
何度も角を曲がり、ようやく港にたどり着いたときには後ろから追ってくる足音は聞こえなくなっていた。だが、二人は振り返ることなく人気のない甲板まで駆け上がった。
甲板にたどり着くと同時に名前は仰向けになって倒れ込み、バギーは背中を手摺に預けて座り込んだ。
ここまで来ればもう安心だ。
「生きてる……」
「二度と厄介事に巻き込まれるんじゃねェぞ名前」
「ありがとうバギー。助けてくれて」
「……べつに。おまえがいなくなったらおれ様にまで余計な仕事が回って来るから助けたんだ」
「うん。それでもありがとう」
バギーからの返事はなかった。
名前はバギーから視線を外して目の前に広がる空を見る。
空の向こう側には大きな入道雲があった。入道雲は西日に照らされ所々がオレンジに染まっている。それがヨーグルトに沈んだシリアルのように見えて、名前は今朝のバギーの皿のなかを思い出した。
「お礼に来週のシリアルはヨーグルトで食べてあげる」
「ハッ、やっすい報酬だな」
「いらない?」
「もらうに決まってんだろ。名前が自主的に食べようなんてこれから一生ありそうもねェしな」
「でも、その代わり私がバギーを助けたときは牛乳で食べてね」
「いいぜ。おまえに助けられることなんかないだろうけどな」
「言ったなバギー、絶対に牛乳で食べさせてやる」
危険を乗り越えた二人はすっかり喧嘩前の仲へと戻っていた。オーロ・ジャクソン号から一望できる水平線の、夕暮れが迫る空がオレンジのやわらかな光でそんな二人を包んだ。
「ところでバギー、名前。あのチンピラたちの始末を私に押し付けてきた件に関してなんだが、何か言うことはあるか?」
和やかだった空気が一瞬にして霧散した。
錆びたブリキのおもちゃのようにギギギ、と二人が振り向けばそこにいたのは副船長のレイリー。
そういえば逃げている途中で会ったレイリーに「あいつらなんとかしてください!」「お願いします!」と追ってくる男たちを擦り付けた気がしなくもない。あのときは二人とも逃げるのに必死だったのだ。
「ないようだな。なら私の部屋で詳しく話してもらおう」
バギーはガシッと首裏の襟を掴まれ、名前はレイリーの「おいで」という鋭い声に従わざるを得なかった。
「はぁ……助けてくれたのがシャンクスだったらこうはならなかった」
「おま、助けてやったのにその言い草はなんだよ!」
「だって事実じゃん!」
「だー! もう二度と助けてやんねェからな名前!」
「うるさいぞ二人とも」
「「ごめんなさい」」
思わず合ってしまった返事にバギーと名前は苦虫を潰したような顔をして、互いに舌を突き出した。
レイリーはそんな二人の気配を背中で感じながら仕方がないやつらだとひそかに笑った。
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