朝起きた瞬間から、太陽と一緒に夜を待つ。夜のことを考えると何も手につかなくなる。今日はそんな日だ。
今日は週に一度、あの人が来る日。
外に出ると夜風が少し冷たい。他に来る人はいないと分かっているけれど、“本日貸切”の札を表にかけ、彼を待つ。ランチの時は大賑わいだった店内も今はとても静かだ。照明を少しだけいつもより落として、キャンドルに火をつけた。飾ってあるお花も少しだけ豪華に。でも派手になりすぎないように白いお花を多めで。食前酒として用意した白ワインもちょうど良く冷えている。厨房には、暖かいスープや冷たいデザートなど、もう準備は完璧だ。エプロンを外し、最終確認をする。彼にガッカリされないように、私は毎回ドキドキしながら用意した料理を眺めた。その時、扉が開くギギッという音がした。厨房から出て、彼を迎えにいく。
「ふふ、いらっしゃい」
「ああ、待たせたか」
入口まで歩き、彼の元へ向かう。彼の足はいつものテーブルに向かって進む。少しだけ飛びつくような形でしなだれかかった私を難なく足元で受け止めた。
「気をつけろ」
「でもいつも受け止めてくれるでしょう?」
屈んでくれた彼の頬にキスをひとつ落とし、彼の手を引いてテーブルについた。そこには既にお皿が用意してあり、出てくる料理を待っていた。
「待ってて」
「ああ」
厨房に向かい、冷えた白ワインでキールを作り、グラスに注いだ。キールとオードブルをトレイに乗せ、テーブルに戻る。
「今日の食前酒はキール、オードブルはキウイと生ハムのカプレーゼです」
召し上がれ、と言うと彼がグラスに手を伸ばした。私も急いでグラスを手に持ち彼のグラスにカチャン、と合わせた。心地よく冷えたキールが喉を通る。
「んー、美味しい」
彼を見れば器用に口元が見えないように飲んでいる。
「これ飲み終わったら、次は赤を開けない?」
「赤か、…シラーが飲みたい」
「シラーね、メインは鹿肉だからちょうどいいね」
そう言いながら、オードブルのキウイにフォークを伸ばした。少し固めのキウイと生ハムとチーズに完熟キウイを使ったソースをかけた一品。塩気と甘さが相まって絶妙な美味しさだ。
「どう?美味しい?」
「ああ、美味い」
「ふふ、やったあ」
彼のために準備した料理をその彼に美味しいと言ってもらえること以上の幸せはない。料理人としても恋人としても。彼にこうして出す料理は普段店に出すものではなく、一からレシピを考えている。旬のものを使ってバランスのいい食事を、と。甘いものが大好きな彼だから、少し体が心配で。気づけば彼のお皿の上から半分がなくなっていた。彼には私の三倍以上の量を用意していたのに。次のスープも温かいうちに出せそう、と思いながらチーズを口に運んだ。
「名前」
急に彼の手が伸びてきた。それは私の頬に添えられる。食事中なのに、と思いながらもフォークを置いた。
「なあに?どうしたの?」
添えられた彼の手に自ら頬を擦り寄せる。彼の手は心地いい。大きくてゴツゴツしていて私を包み込んでくれる。私に触れたまま、彼が少し前に屈んだのがわかった。私が顔を上げると彼の顔が近づいてくる。
「カタク」
リ、と彼の名前を呼び終わる前に唇が塞がれた。視界に彼の口元が映る余裕もないまま、少しだけアルコールとキウイの酸味が口の中に広がる。
「ん、…っ、ちょ、まだご飯…!んんっ」
止めようと彼の肩に手を伸ばすが届く前に彼の左の手に捕らわれた。頬に添えられた右手と、私の手を掴んでいる左手から彼の熱を感じる。もちろん、唇からも。彼が離れる気配はない。無理やり彼から唇を離し、赤くなっているであろう頬を隠すこともなく彼にくってかかった。
「ね、え!早く食べないと、次のスープが冷めちゃ、んっ」
「……、また温めればいい」
「そういう問題じゃな、」
彼のキスの応酬に応えながらも厨房に控えている料理のことが頭に浮かぶ。根菜のスープに鹿肉のシチュー、それにたくさんのデザート。食事の後にそういう雰囲気になるのが定番だったが、食事中にキスなんて初めてだ。それもまだオードブルの途中だと言うのに。
「……名前」
いつもの彼の目だ。私を求める彼の目。
「…どうしたの?まだデザートも食べてないし…」
気づけば彼に抱えられ、店と繋がっている自宅に連れて行かれた。店の火の始末や戸締りは済んでいるから問題ないが、冷めてしまう料理は少しもったいない。
いつものようにベッドに下ろされる。
「お腹、空いてないの?」
「……お前を食ってからだな」
「…もう」
覆いかぶさる彼の顔に吸い寄せられるように頬を寄せ、ファーを下にずらし唇をくっつけた。子供がするような押し付けるだけのキス。ちゅ、ちゅ、と音を立ててくっつけては離す。私がそれを楽しんでいると、ぐいとベッドに押し付けられた。
「足りないな」
全身を食べられてしまいそうなキスを受け入れ、大人しくベッドに沈んだ。
オードブルの越権
back