一人で生きるに
この世は残酷で、弱者は強者の食い物にされる。
それは、紛れもない真実で、自然の摂理。
突然そんな地に放り出された私もその自然の一部に他ならず、ただ、生きるために強者に利用され、その強者を使って、弱者から強者にのし上がった。
「あぁ、仕事が入ってしまった」
「えぇ〜、もう?」
「ルームサービスは自由に使うといい、あぁ、詫びにこのカードを好きに使いなさい」
「ありがと、せんせ」
潮時だな、と頭で考える。
男が身なりを整え退室したのを見送ると間髪をいれずシャワールームですべてを洗い流す。
身を清め豪奢なスイートルームを出てカードをフロントで男に返すよう言付けてドアマンの開けた扉を潜る。
「早かったわね」
「待機はしてました」
「あっそ」
黒塗りの高級車に乗り込み、部下である女と軽口を交わす。
「切るのですか?」
「えぇ、ここまでしてくれたのは感謝してるけど…
妾だけは勘弁よ」
煙草に火をつけ窓を少し開ける。
「……まぁ、あの男の思い上がりも甚だしいですしね。所長程の地位ある人間を妾だなんて、所長が許しても下が許しませんよ」
「あら嬉しい」
というのが、1か月前。
私の事務所に写真と手紙が送られてきたのが2週間前。
『なぜ電話に出ない』『どこにいる』『私がどれだけお前に尽くしたと思っている』
ここまで執念深いとは思わなかった。
全く、警察に突き出すにはやつは地位がありすぎる。と、悩んでいれば別口の客が教えてくれた、『武装探偵社』ならば引き受けてくれるのではないか? という。
武装探偵社は噂では政府とも密接に繋がっており、権力に握りつぶされることもないのだという。
これ以上時間の浪費は困る、と思い依頼することに決めたのだ。
横浜の赤煉瓦の雑居ビルの
「はーい」
と、若い少女とも女性ともつかない声が聞こえ、扉が開かれた。
「ご依頼でしょうか?」
セーラー服姿の穢れない少女の姿に思わず眩しげに目を細めた。
「えぇ、こちら、『武装探偵社』さん、ですよね?」
「はい。どうぞこちらへ」
案内されたのは室内のソファ。
その対面に座るのは眼鏡をかけた男性で、周囲に数名の年齢層豊かな人達が立つ。
「武装探偵社調査員の国木田です。
本日はどのようなご依頼で」
先程は若い少女だったが、彼は私より少し年上のよう。しっかりした立ち居振る舞いで安心して仕事を任せられる。
「寄川明里20歳です。
依頼は、ストーカーを、潰してほしいんです」
単刀直入に云えば彼は眉間のシワを更に深めた。
「市警に相談は?」
「……相手が少し厄介で」
「……成程。相手は分かっていると」
「勿論。少し前まで私のお得意様でした。
しかし、少し『
「……その逆恨み……か?」
「まぁ、簡単に云えばそうですね……
彼は私を『妾』にする気なのでしょう」
出された紅茶に口をつける。
「めか……!?」
「あぁっ! 美しいお嬢さん……!
白百合の如き華やかさ……私としんじゅ「太宰!」いたっ」
突然現れた男───太宰に手を取られると国木田さんが彼を殴り、引き離した。
「……」
その男に見覚えがあった。
「……申し訳ない。この男のことは忘れてくれ。
それで、なぜ妾などに?」
云わねばならないだろう。それが依頼するにあたって当然のことだ。
「……私が、娼婦だからです」
「娼婦……だと?
……ならば、こう云ってはなんだが、妾になれば安定するのではないのか?」
「妾に収まる器でないよ、彼女は」
そう、太宰が云った。
「なんだ、太宰知っているのか」
「もちろん、彼女はその筋では有名な高級娼婦。
それと、手広くやっている娼婦斡旋と保護をしている団体の所長だよ。一晩でいくら取ると思う?」
谷崎くん、と彼が名指しで云えば谷崎と云うらしい若い青年が顔を赤らめ「えっと……」と考え込む。
「10万、とか?」
「残念ハズレ。
今なら、そうだな……50と云った所かな?」
肩で溜息をつき、太宰を見返す。
随分と『普通』の男になったものだ。
「正解ですわ。太宰様」
「な!?」
そう。この男は、私を、初めて買った男だ。
まぁ、その後今現在ストーカーの顧客に買われたのだが。
「随分と面倒な男に飼われたようだね、明里」
「太宰様のせいでもあるんですよ。
あの人、あなたに怨みがあって私を買ったらしいですから」
「おや、それは申し訳なかったね」
「ところで、その、ストーカーの顧客というのは…?」
「……弁護士、それもかなり名のある先生です。
市警も簡単に手を出せない、裏の顔も持ち、政治家とも関わり深い面倒な部類の男です」
懐から手帳を取り出して写真を見せれば、国木田さんが目を見開き驚いた。
「こ、これは……!」
「黒い噂も絶えない男です。
私のストーカーで引っ張って余罪追求も挑めますよ」
少し冷めてしまった紅茶をまた一口飲んだ。
「し、しかしだな……こいつを相手にするには些か分が悪い……
しっかりと計画を練るべきだろう……なにより、この手の依頼は社長の判断も必要だ」
「ただいま戻りましたー」
出入口から聞こえてきた声にドクリと心臓が嫌な音を立てた。拍動が収まらず、汗が頬を伝う。
「あれ、依頼?」
「あぁ、依頼主の─────「明里……?」知り合いか?」
太宰はなるほど、と口を歪め昔見たあの深淵に近い闇を目に宿す。
「……明里なんでここに……?」
私を見て動揺する普通の、特に美しくも綺麗でもない女。
「……さぁ? お姉ちゃんと一緒じゃない?」
「おね……!? え!?」
「だって……! アンタ7年前から行方不明で……!
まさか『こっち』に来てたの……?」
「そうね、私がここに来たのは7年前よ」
「そんな、だって……今までどうやって?
孤児院とか? あ、誰かに拾ってもらったと「娼婦」……は?」
あぁ、鬱陶しい。
ここでこんな風になんの苦労も無く、いい人に出会い恵まれた何も知らない姉に苛立ちを隠せない。
「私、こっちに来て1年は貧民街、6年前からは娼婦として働いてるわ」
「なん、で……
そんな、の……ね? 今からうちに来て一緒に住も? 探偵社に入社……は簡単じゃあないからほかのバイトとかしてさっ」
「なんで、か。
なんでだろうね。ねぇ、お姉ちゃん。
家も身よりも金も何も持っていない女が生きる方法って何があると思う?
一、よっぽどいい人と出会う
二、良い住み込みの仕事を見つける
三、身を削って金を稼ぐ」
「なに、云って……」
「お姉ちゃんは一に運良くなれたようだけれど、普通は三だよ。
この世の大多数は三番。
この世は食うか食われるか、弱者は強者の食い物にされる。弱いやつから死んでいく」
不必要な人間はこの世から排斥される。
「そんなことない!
不必要な人間なんていない! みんな生きる権利を持った人間よ!」
あぁ、イライラする。
この7年、誰一人だって助けてくれなかった。
普通に中学に通い母親のご飯を食べ姉とテレビを見て宿題をし、父親にマッサージを頼まれお駄賃を貰って、そして寝て起きたら一人だった。
「……どんなことをしても生き抜くって決めてたの」
あぁ、眩しくてイライラする。
「でも、お姉ちゃんには知られたくなかったよ」
思わず立ち上がる。
「依頼は結構です。別の所に依頼します」
「……ポートマフィアに頼むつもりかい?」
「よくお分かりで」
「分かるさ。明里、まだ中也の相手もしているの?」
「……彼は優しいもの。貴方みたいに簡単に何かを捨てられない」
「なら先にポートマフィアに頼めばよかったろう。フロント企業の顧問弁護士である男が最近妙な動きをしているらしいしねぇ、彼を消すことくらい利害の一致で受け付けると思うよ」
「太宰様、やめてください」
「そうしなかったのは……」
「太宰様」
「君がまだ、強者になりきれていないからだ」
「太宰様!」
「……私は君に云った筈だよ。
強者にも残酷にも君はなりきれない。
汚れられない、のだと」
だから、私は君の生きる深淵にハシゴを下ろしたのだよ、と云う太宰に奥歯を噛み締める。
「君に黒は似合わない」
「……それでも私は、一人で生きねばならなかった。
一人で生きるには、黒に落ちる以外に無かった!」
「そうかな?
君が手を伸ばさなかっただけではないかい?」
「っ……失礼致します。
ご依頼の件は後日電話にてどうするかお返事させていただきます」
カツカツカツという高い靴音が耳にへばりつく。
ヒールの高さは自分の汚れの多さを忘れぬ為。
私は小説の主人公にはなれない
一人で生きるに
恵まれた主人公になる夢主とキャラクターに出会っていても結局主人公になれない女。
とは言っても、主人公になる事から逃げた女、が近い。
*
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