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不安

「住所は……」

そこで口を閉ざし逡巡する。無い訳では無い。自身の住まう家はもちろんある。あれを家だとするのならば。と、数分黙りこくった彼女はゆっくりと住所を口にした。

しかしそれに空間を不可視の冷気が包んだ。おかしなことを言っただろうか? とぶるりと背中に冷たいものが伝った。目の前の男は元々深い皺を眉間に刻んでいたがそれを更に深めた。

「巫山戯るな。それは、『此処』の住所だ」

「……! ……なら、ここは『実験施設』なのですか……?」

真誉の目には驚愕よりも恐怖が色濃く現れた。手先足先は震え、無意識に躰に掛かっていた布団を握り締めた。彼女の様子を気に止めるまでもなく乱歩は平然と云ってのけた。

「ここは武装探偵社だよ。上の階も下の階にも実験施設なんてものは無い」

「……先生、国木田君。少し、席を外してくれるかい?」

太宰が乱歩の鋭い視線から真誉を隠すように立ち、小さく笑みを零した。

「……無理させるんじゃないよ……まぁ、社長がいるなら大丈夫だろうけどねぇ……」

「どういう意味だ太宰。先生は兎も角俺まで──「国木田君は質問が尋問になるんだも〜ん。社長も云っていたじゃあないか。それに、敦くんの時だってそうなってしまっただろう?」ぐっ……!」

言葉に詰まる国木田を引きずって与謝野は退出した。

「……却説、これで静かになったろう。
話してくれるかい? 『実験施設』と君の『異能力』を」

「異能力……?」

真誉は戸惑った。なぜなら自身に『異能力』などという言葉はインプットされていないから。つまり、異能力など知らない。『君の異能力』などあるわけが無い。そんなもの所有していない。自分にあるのは秘密だけ。それが先に口をついて出た実験施設で散々使われたものである。

「そんなものありません。『実験施設』はその名の通り政府が実験をしていた施設です」

武装探偵社は政府と密接に関係している。そのような実験施設があれば知っているはずであるし、異能力者ならば、政府と関係している施設にいたのならば記録が無いのはありえない。

「嘘はついてない」

乱歩はそっと口にした。太宰も「えぇ」と同意する。

「川木真誉と申したな。己が知る全てを我々に話せ。我が探偵社は力無き者の味方だ」

少し普段より柔らかくした福沢の声に真誉は無意識に肩の力を抜いた。彼らの後で静観していた男性の眼差しは鋭さを帯びており、彼女を固くさせるのは簡単であった。「……はい」一言そう言えば布団を握りしめていた両の手から力を抜いた。

「私は、政府の実験施設で実験を行っていました。行っていたと言っても私は被験者側です。圧死、窒息、溺死、失血死、脊髄の損傷等様々な死因を実験して来ました……私は、どんなに外傷を与えられても死ねませんから」

ポツリと零した言葉に福沢は眉間の皺を更に深くさせ、太宰、乱歩は表情に変化はない。

「まぁ、その辺だろうとアタリは付けていたけれど、まさか本当にそれとはね……」

太宰の苦笑に乱歩は「僕も分かっていたさ。カルテを見たからね」と唇を尖らせて椅子に腰をドカッと下ろした。

「いや、しかし分からないのはそれからだ。
そんな非人道的な実験施設が秘密裏に運営されてるならば裏社会でも話題になっているはずだ。少なくとも、遺体の処理や被験者の調達にね。それが全くなかったというと……」

続く言葉に真誉が耳を疑った。太宰の発した言葉は──この世界でない横浜──。

「信じられないけれど、ありえないことを全て排斥すれば出てくる真実はひとつ。僕もそうとしか考えられないね」

乱歩自身もこの答えに心根では信じられない。自身の推理力と常識が衝突しているのだ。混乱するのを何度も抑制する。

待て、待て待て待て、だって納得出来るはずない。この世界でない? と真誉は表情を固めた。「ここは異世界……?」太宰の耳に届いた呟きは「私達からすれば君のいた世界こそが異世界さ。なに、安心し給えよ。異世界人であろうと武装探偵社はそう簡単に投げ出さないさ。ねぇ、社長?」という返事が投げ返された。

「然り。我々は武装探偵社だ」

それこそが武装探偵社社長による肯定の返答だった。死をも恐れない兵士。それは昔の日本に多く根ざした悪習を髣髴とさせ、過去の日本政府における汚点と化した事だった。しかし、それが1人いるだけで世界の掌握には大きな一手と成りうる。最弱の歩兵が絶対に取られず「と金」となる事だって容易い。自分の生きる世界でない、と言われても日本政府がそのように落ちぶれていて、守るべき国の民を苦しめている等と聞いて福沢は拳に力を込めた。

「恐らくだが、君の異能は『死なないこと』何故倒れていたかだが……異能力で回復中に社員が見つけのだろうね」

「そう。新しい傷がない事から推測になるけれど───「新しい傷がない……?」どうしたの?」

怪訝そうに真誉は聞き返した。「そんなはずない……だって、昨日……」小さな小さなつぶやき。だが静寂に包まれた空間には空気を揺らすには十分な音。

「昨日?」

「……昨日、私は確かに刺殺の実験が……胸部の肋骨を通過して肺に穴を開けた気胸の治療実験でしたから……私の再生は皮下組織より下部のみで、昨日の実験痕が無くなるはずありません」

「ならば、こちらに来て再生能力が向上したかな? 巷間には知られていないが、この世界には異能力者が存在している。その力がこちらに来たことによって正式な異能力として機能した。そう考えるのが妥当だろうね」

「……私の、異能力……」

「さしずめ、『吾死なれず』というところかな」

「……川木真誉の代表作……か」

呟いた福沢の一言に真誉はずっと気になっていた事を問うた。「私と同名の文豪、とはどういうことですか? 私は、そんな事聞いたことありません。逆に太宰治、与謝野晶子も私は『文豪』として認識しています」

彼女はずっと気になっていたことだ。

「太宰が文豪〜? 想像出来ないねぇ〜!
なら僕は? 江戸川乱歩!」

「有名な、推理小説家です。私は、日本の推理小説の第一人者だと思っていますが……」

「じゃあ社長! 福沢諭吉!」

「『人の上に人を造らず』……作家というよりは……武士で学者……教育論者なイメージですが……」

「へぇ〜武士で教育論者ね〜、ピッタリじゃない」

「私はそのように立派なものではない」

「私は!?」

ぐっと身を乗り出し顔を近づける太宰にビクリと肩を揺らした彼女は「太宰さんは……『人間失格』『走れメロス』『斜陽』……無類派として戦後日本の近代文学界を牽引した大作家……まぁ、度重なる自殺に薬物中毒もあって変人で」そこではっと言葉を区切った。太宰がどことなくうなだれているように見えたからだ。

「なんだか私のことを言われてるようだ……」

「太宰自身のことで間違いないじゃないか」

ケラケラと笑う乱歩に太宰は心做しか泣いているかもしれない。その様子に真誉はクスリと笑いが漏れた。「あ、笑ったね?」ニヤリと太宰が笑った。空気がようやく緩んだ。

「却説、話を合わせよう。真誉ちゃんは探偵社で保護する。しかし、まぁ、全てを社員に開示するわけにはいかない。余計な混乱を避ける為にもね」

「それで? どうする心算なんだい?
彼女を社内でどう云う立ち位置にするのさ」

「それはもう決まってますよ。
うちの社員にする」

ニッコリと笑って太宰は福沢へ視線を寄越した。

*

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