わらってないて | ナノ



高鳴る胸はしずかに冷えていく。ゆっくりと落ち着きを取り戻す心臓とは裏腹に、額には汗が浮かび、心臓のもっと奥深くが、痛むような気がした。
そのとき黄瀬は思い知ったのだ。期待してはいけない。思い上がってはいけない。自分が、特別な存在なのだと、思ってはいけない。そう思えば思うほど、期待すればするほど、高く高くに張りつめたそれがどん底まで落ちた時の衝撃は、計り知れないものになっていくのだから。

黄瀬涼太は、なるべく周囲に期待しないように生きてきた。こうだったら良いな、とか、もしかしたらこうかもしれない、とか、そんな希望を抱くと、必ずと言って良いほどそれは裏切られてしまうのだ。自分の望んでいた通りのことなんて、起こらない。まだ幼い黄瀬は、それが人生なのだと、それがきっと、人生の楽しいところなのだと思い込んだ。否、思い込まないとやっていけなかった。

だから黄瀬は、多少周囲との間隔がずれていることがある。

たとえば、体育会や球技大会、合唱祭などの順位発表の時。クラスメイトが手を取り合い必死に祈っている姿を見ても、黄瀬は一緒になって祈ったりはしなかった。結果は既に出ているのだから、祈っても仕方がない。事実、黄瀬は何度も必死に練習してきたクラスメイトの落ち込んだ表情や仕草をたくさん見てきたのだ。そこから立ち直る姿も。本番が終わった後、クラスのきずながより強いものになっているのも、知っている。そこが人間のうつくしいところのなのだと、何度も思った。けれど、きっと、疲れるだろうな、と思ってしまう。期待して、裏切られて、一番下まで落ちて。そこから皆でまた這い上がって、手を取り合って笑う。なんとうつくしく、それでいて繊細なのだろう。


そして、今日は黄瀬の誕生日だったりする。
中学に入学してから誰にも教えた覚えはない。つまり、祝ってくれるのは、家族以外に誰もいないということになる。しかし黄瀬は、それに対して何も思わなかった。当たり前のことだ、とさえ、思っていた。期待をしていないから。誰かがプレゼントをもって、わいわい笑いながら自らを囲んでくれるなんて、発想もしなかった。

その日は普通に部活に顔を出して、最近昇格したばかりの一軍の練習メニューをこなす。二軍三軍とは比べ物にならないくらいのハードなメニューだ。それでも、黄瀬は楽しかった。何に期待するわけでもなく、ただひたすら自分を信じて走れるから。ボールを持っているときだけは、何も考えなくて済んだ。

練習が終わってから、黄瀬はコートのモップがけをしていた。ふと、肩を叩かれる。何だと思って後ろを振り向くと、そこには誰もいない。なんだ気のせいか、と視線を前に戻した瞬間、再び肩を叩かれた。今度は誰だ、もしかして悪戯か、そう思いながら振り返ると、先程には何もなかったそこに、人が一人立っていた。当たり前のような顔で。さっきからそこにいたかのような顔で佇む少年は、黄瀬の教育係である。

「うお、っ」
「黄瀬くん、キャプテンが呼んでます」
「く、黒子っち…」

驚き心拍数の上昇した心臓辺りを押さえる黄瀬と対照的に、落ち着き払っている黒子は、部室の前あたりに立っている三年の先輩を目線で示した。帝光中バスケ部キャプテンである彼は、黄瀬と目があうとちょいちょいと手招きをした。手に持っているモップをどうしようか迷っていると、黒子がそれを受け取る。代わりにしてくれるらしい。その厚意に甘えて、黄瀬は主将の元へと走った。



黄瀬と主将が体育館から出ていった直後、一軍メンバーは赤司の号令により集結する。流石は一軍メンバーと言ったところか、集合もてきぱきとスピーディだ。

「さて。内容を確認しますが、大丈夫ですか」

次期主将候補、いやもう決定と言っても良いかもしれない赤司は、一軍メンバーに上級生がいることも配慮してか敬語でそう確認する。そこに顔を並べたメンバーはその言葉にこくりと頷き、赤司の口から、今日行われることの確認がされた。


一方、黄瀬の方はというと、主将である虹村と、一軍についての話をしていた。どうやら主将という立場柄、最近上がってきた新入りのことを心配してくれているようだった。どうやら黒子も、上がってきた当初は蹲っているのが常だったらしい。きついだろ、とか、ロードワークはついてこれてるよおまえ、とか、どこでそんなこと見てたんだと思わずにはいられないほどの言葉をもらう。それに素直に言葉を返していると、虹村が唐突に足を止めた。

「あーそうだ、体育館に忘れもん!」
「あーじゃあオレ、取ってきます」
「お、…マジで?」
「?」

取ってきます、という言葉は、教育係の受け売りだ。以前態度について注意されたことがあった。先輩への敬意が足りない、ということらしい。黄瀬はそれが必要なものだと思ったことはないが、教育係の言うことは聞かないといけない、らしいから、今この言葉を咄嗟に言ったのだ。すると虹村の方が意外そうな顔をして、目を逸らして頬を掻いたから、疑問符を浮かべる。するとそんな黄瀬の様子に慌てたらしい、じゃあ頼むわ、と言って、虹村は顔の前に片方の手を出した。頷いて、方向を転換する。


「…正直、あんなうまくいくとは思ってなかったです」
「良い演技だったぞ、虹村」

体育館の方に向かった黄瀬とは反対側の通路から、ぐっと拳を握った彼、バスケ部監督が現れる。やけに楽しそうな子供のような反応に、虹村は思わずため息を吐いた。

「今日の目的、教えてもらってもいいですか」
「黄瀬に足りないものを補うため、だ」

間髪入れずに答えが返ってくると、虹村は意味が分からず彼の方を向いた。彼、白金は、穏やかな顔を優しげに綻ばせて、笑う。

「さて、成功するか、楽しみだな」
「はあ…」




体育館に忘れ物をした、という虹村の頼み事を受けて、黄瀬は体育館へと戻った。後片付けは終わっているだろうか、そんなことを考えながら扉を開くと、耳を塞ぎたくなるような音と”何か”が、黄瀬の頭上に降り注いだ。




「――…お、…え?」

普通の認識を持つものなら、ここで理解していただろう。鋭いものならば、虹村に黄瀬だけ呼ばれた点からしておかしいと気付くかもしれない。けれど黄瀬は違った。黄瀬は、周りと認識がずれている。だから、気付かない。自分が今、どういう状況に置かれているのか。周りがやけに楽しそうに言った言葉の意味が、自分に向けられているというのも、わからなかった。

「ハッピバースデー黄瀬―っ!」

言葉と同時に、再び破裂音がいくつも響いた。そして香る独特の火薬の匂いに、ああ、クラッカーか、と理解する。そして遅れて言葉の意味も、理解した。間抜けな顔で突っ立っている黄瀬の前に、周りよりも多少小柄な赤司が、歩を進めた。

「ほら、今日の主役はおまえだぞ、黄瀬。早く来ないか」

目を丸くした黄瀬の腕を掴んで、赤司はコートの真ん中まで足を進める。それと同時に、人で作られら道も移動をして、ぱちぱちと拍手が起こった。そこで、黄瀬は漸く気が付いたのだ。自分が、祝福されているのだということに。

「あ、赤司っち、オレ、っ」
「…黄瀬」
「おい黄瀬ぇ、何泣いてんだよ!」
「涙もろすぎでしょー」
「ほら、これで拭くのだよ」
「黄瀬くん、泣かないでくださいよ」
「つかおまえ泣き顔ぶっさいくだぞリョータァ!」

決して期待していたわけではない。祝ってほしいと思っていたわけでもない。
けれど、やはり黄瀬は、心のどこかではそう思っていたのだ。自分では思っていない、思わないようにしよう、そう決めていても、やはり、黄瀬は、もっと皆から祝福されたかった。愛されているのだと、思い込みでもいいから思いたかった。

いつの日か、家に帰っても両親は不在で、いるのは姉だけで、いつもと変わらないこの日を過ごした記憶。誕生日なんて特別なんかじゃない、そう思うようになった、はじまりの日。

それが今日、黄瀬涼太の誕生日、六月十八日である。


たくさんの仲間に囲まれて笑う黄瀬を遠巻きに見つめながら、白金はほっと一息吐いた。隣の虹村も、その光景を微笑ましそうに見つめている。

「成功したじゃないすか」
「大成功だ。黄瀬のあんな顔を見たのは初めてだろう」
「…あんな顔もするんですね、やっぱ」
「人間だからな」

ほら、と白金の大きく皺の寄った手に背中を押され、虹村も一歩前に出た。行ってこい、と言われているような気がして、先程のことを思い出し少し気まずくなりつつも、虹村もそっとその輪の外側へと交じって行った。


「この後は黄瀬の誕生日祝いにコンビニ行くぞ」
「誕生日祝いがコンビニってどうなんですか」
「や、オレそれでもいいっスよ!」
「おっしゃ、じゃ黄瀬のおごりな!」
「それはおかしいだろう、青峰」
「じゃ間を取ってショウゴくんで」
「っざっけんなテメエ殴られてえのか」

黄瀬の心から楽しそうに笑う笑顔を見て、他のメンバーも乗り気になってきたようで、皆それぞれに黄瀬が生まれてきたことを祝福している。頭を撫でられどつかれ落ち着かない黄瀬は、それでもしあわせそうに、涙を流した。


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黄瀬くんお誕生日おめでとう!
2013.06.18




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