▼ Alternative〜阿伏兎IF〜
真っ暗な海の中を泳いでいるようだ。なんていう冒頭にすれば、読み手は惹き込まれるんだろうかと小説家のように考えてため息を零す。見慣れない顔があるから珍しいんだろう、チラチラとこちらを見ては去っていく天人や人の視線を無視してもう一度、今度は恨みを込めて息を吐き出す。
かぶき町から見上げた空の更に上、宇宙へとやって来たのには理由があった。あったというか突然の事だったというか。経緯を省いて結論だけを述べると簡単だけれど、それだと説明が必要になるとは思うからやっぱり始めから何も省かずに答えるべきだと思うのだ。まあそれでも結論だけを言うと拉致されたという事である。
「人聞きの悪ィことは言うもんじゃねぇよ」
「出たわね人攫い」
「海賊らしいだろ?」
「さっさと地球に帰してくれる?無断欠勤なんて大人としてあるまじき行為よ」
「悪いがそれには応えられねぇな」
ゆっくりしていってくれよと言って私の隣に座る人攫い基、阿伏兎。お客様でもないのに敬称を付けるのも可笑しい話だし、何よりも先ず人攫いに対して使う親切心など以ての外だ。何だってこんな所に連れてこられたのか考えても全く見当もつかない。
「私をここに攫ってきた所で、何をすることもできないわよ」
「別にアンタに何かしてほしいわけじゃねぇよ」
「ああ、そうね。間者の役くらいはできるんじゃないかしら?」
こんな風にと男の懐へ擦り寄って下から見上げる。伸ばした手のひらで胸板を一撫でしてやれば、些か乱暴にその手を掴まれて眉を寄せる。女性には優しくしろと母親に習わなかったのか。文句を言おうとして、その目が僅かに怒りを孕んでいて口を閉じた。
「アンタの色仕掛けに期待なんざしてねぇよこのすっとこどっこい」
「あら、一応そういったお店で働いてるんだけれど。お気に召さない?」
「気に入らないね。それを他の男にもするんだろう」
「特別が欲しいの?欲深い男ね」
「海賊だからな」
目を細めて笑う阿伏兎に、こちらも笑みを浮かべてその手を払う。言葉遊びの好きな天人だと内心悪態づいて窓の外へ体を向けた。変わらず闇が広がっていて、いくつかの船の光がチラホラと見える程度。さっさと家に帰るか、お店でママに愚痴りたいと思いを馳せていれば、両脇に手をつく阿伏兎の影。三度目になるため息をこぼして振り返れば、ニヤニヤと海賊らしく悪人のように笑う顔がこちらを見下ろしていた。
「アンタの特別にしてくれねぇのか?」
「…そうね」
「つれないねぇ」
「少なくとも、名前も呼ばない男を特別にするほど安くはないわよ」
時には騒がしく、時には焦れたように、しつこく名を呼ぶ男はここにはいない。短く息を吐き出して、顎を捉えた大きな手に顔を上げさせられて、目を見開けば真っ直ぐにこちらを見る目に射抜かれた。
「なまえの傍に置いてくれよ」
「っ、酷い男」
「海賊なもんでな」
女を傍に置くはずの男が、女の傍に置かせてほしいだなんて。とんだ口説き文句だと近付いてきた体を押し返した。
□二周年記念