▼ 夢野をお客様と見ているシブヤ書店員
そこそこ年季の入った「シブヤ書店」という看板は、流行が蔓延るこの街では陳腐なものに見えてしまうだろう。けれどまあ私はこの何処にでもありそうな書店が好きで、足繁く通う内に書店員なんてものにまでなってしまうのだから相当である。店長はダンディズム漂う紳士的な男性で、私がここに通い始めた頃からの長い付き合いだ。厄介なお客様の相手をさりげなく代わってくれるという優しさも持ち合わせている。店長が既婚者じゃなかったら普通に好きになってた。
「こんにちは、なまえさん。今日もお綺麗ですね」
「こんにちは、夢野さん。頼まれていた書籍の方、届いてますよ」
「相変わらずつれないお方ですわねっ」
男性であるにも関わらず可愛いが似合う仕草で怒った様な顔をする夢野さんは、ここシブヤ書店の常連さんである。何がきっかけだったのかはもう忘れてしまったが、毎回顔を合わせる度にこうして好意を伝えられていた。ちょっと意味が分からない。店長も始めは冷やかしかと疑っていたけど、ちゃんと買うものは買うし仕事の邪魔をしないように話しかけてくる夢野さんにはもう目を瞑っているらしい。助けてよ店長。
「そうだ。今日はお土産があるんです」
「ええ、仕事中にそんな…困ります」
「某有名店のカステラなんですけど」
「有難くいただきます(持って帰ってください)」
「ほほほ、素直な方ですこと。店長とお召し上がりくださいな」
レジカウンターに置かれた紙袋には言葉通り某有名店の銘柄がプリントされており、思わず本音と建前が逆になってしまった。くっ、意思の弱さがここで…。いそいそとほかのお客様の目に付かぬ内にカウンター下に隠して咳払いを一つ。何事も無かったかのように取り寄せておいた本の代金を伝える。
「おや、もう帰れと言わんばかりの素早さですね。贈り物も受け取ったというのに」
「いやカステラについては本当に嬉しいんですけど、夢野さんばかりに構っている暇ないんですよ。さすがに仕事しないと」
「店長にはもうお話してありますから、存分に小生に構ってくれてよろしいんですよ?」
「手が早ェなこの人は本当によ」
「ささ、お話しましょう。今日の話題は「好みの異性」についてです」
「普段見られぬような目のギラつき方」
瞳孔開いてんじゃないかと思うぐらいに目を開かせて前のめりになっている夢野さんに口角を引き攣らせる。怖い怖い怖い。何でこうも押しが強いんだろうかこの人は。以前聞いた話では「君の前にいる時の幻太郎は亜種」らしいけれど。
「あー、そうですね。本が好きな人ですかね」
「分かりました。結婚しましょう」
「指輪だと…?」
「おっと、小生とした事が。気が急いてしまいました」
夢野さんの着物の懐から出てきた、青色の小さなその箱を見た瞬間本当に息の仕方を忘れた。私たち付き合ってなかったよね?ただの書店員とお客さんだよね?一瞬本気で私の記憶を疑ってしまった。
「ちなみに吾輩の好みの異性は、シブヤ書店に務めている清楚で素直な書店員である」
「へー、誰のことですかねー」
「あと少し照れ屋ですね」
「早々にその子は諦めた方がいいと思います」
「ふふっ、嫌です」
語尾にハートマークが聞こえた。にっこり笑ってカウンターに両肘をついて私の顔を見てくる夢野さんから目を逸らす。本当に、何故こうも面倒な女を好きになったんだろうかこの人は。夢野さんくらいに整っている顔立ちの方ならもっと他にもいただろうに。こんな冴えない女の何処がいいのか、全く理解に苦しむ。私が夢野さんぐらい美形な男だったらもっと綺麗なお姉さんに声をかけてお茶を楽しむ所だ。本の虫である私が珍しいのだろうか。それともなにか別の思惑があるのだろうか。なんかこう、次の小説のネタにしようとかそんな…ないな。私が読者でもこんな本読みたくないわ。
「なまえさん、好きですよ」
「…ありがとうこざいます」
「可愛いですよ」
「やめてください」
「好きです」
「…」
優しく微笑んで恥ずかしげも無く静かに言ってくる夢野さんに黙り込んでしまう。本当に、どうしてこうも面倒な女を好きになったんだろうか。いつかのことを思い出そうとしても心当たりなんてない。まあ、けれど。
「まあ始めは誰でも恥ずかしいものです。先ずは小生に向かって好きと言う所から始めましょう」
「なんで私が告白の練習をするみたいな雰囲気になってるんですか」
私に向かって嘘の一つもつかない夢野さんを、少しは信じてもいいのかもしれない。…なんて、嘘ですけど。
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