▼ 成長した承太郎は逃がさない
私は臆病者である。臆病者の意気地無し。誰かの影に隠れていないと落ち着かない。人の目に晒されると震えて泣いてしまいたくなる程だ。満足に言葉を交わせられるのは家族や、それこそ昔から親しい友人のみ。その友人というのが空条承太郎という人なんだけれど、歳を重ねるごとに大人びていく承太郎くんは私には少しだけ眩しく、とても都合のいい人だった。人の目は全て彼に向けられて、私は一切その目に晒されないで済むのだから、これ程安心できる場所はない。承太郎くんもそれを分かっているからか、私を人前に出す事はせずに常にその背中に隠されてきた。
「ごめんね、承太郎くん。迷惑かけて」
「別に迷惑だと思ってないぜ」
「うん。ありがとう」
自分のスタンドというものが見え始めたのは中学生の頃。自分のスタンドが怖くて仕方なくて、それでも私にずっと付き添うそれに慣れたのは見え始めてから三ヶ月たったとき。私のスタンドはどうやら記憶操作を得意とするものらしく、私がその目で記憶しているものや他者の記憶の共有、削除、捏造。どこのエスパーだというような能力だ。ただその能力は臆病者の私にとって、とても都合が良かった。これさえあれば殆どの人と関わらずに生きていけるから。
そんな私が承太郎くんたちとエジプトへ向かったのも今は昔。正直思い出したくもない苦い思い出だ。私はその旅から逃げた。臆病者の私は死ぬかもしれないという、漠然とした恐怖に呑まれたのだ。旅の途中、決して承太郎くんたちには使わなかった能力を駆使した。ジョセフさん達には私の記憶を削除して、承太郎くんだけに私はこの旅に参加すること無く、何も知らず日本で過ごしているという捏造を施した。なんとか日本に帰った後で、家族にもスタンド能力を発動する。承太郎くんが帰ってきた時には、私は一人何処か見知らぬ土地で暮らしているということにしてもらいたくて、誰にも何も言わずに家を出た。
「はよーっす、なまえさん」
「はよーございまーす、なまえさん」
「お、はよう、仗助くん、億泰くん…今日も元気ね」
私が行き着いた場所は杜王町と言う街。二人揃って手を上げて挨拶をしてくれたのは、ここで知り合った仗助くんと億泰くんで。学生とは思えない体格の良さに、口元が引き攣ったのを覚えてる。まだ会話はスムーズにいかないけれど、二人共優しいから私の言葉を待ってくれて、年上なのに情けないと内心自嘲した。
「そーいや、なまえさんに会いたいって人が居るんですよ」
「私に?」
「全然怖い人じゃねぇっす!優しい人ですよォ」
「でもよォ、初めはちょっとビビるかもしんねぇな。だってなまえさん、俺見て震えてたし」
「ご、ごめんね。本当にその、謝る以外の言葉が見つからない…」
手を振って子供がお化けを怖がるのを安心させるように言った仗助くんに、億泰くんはいつかの事を思い出して眉を下げる。慌てて謝れば人懐こそうな笑みを向けて、大丈夫と言ってくれた億泰くんに安堵の息を漏らした。この二人と出会ってから、随分と人の目に慣れた気がして口元が緩む。
「あの、その人は?」
「もう来ると思いますよ」
「なまえさんの事話したらすぐに会いたいって言って、なァ仗助」
「空条承太郎さんって人なんですけど」
心臓が止まるんじゃないかと思った。顔を見合わせて話す二人は、私の足が震えていることに気づいてはいない。俯いて伸ばした前髪が視界を閉ざしたのに少し安心を覚えて、胸元で両手を握る。早く逃げなければと思う頭とは裏腹に、足はそこに根でも張ったかのように動かず泣きそうになった。少しだけ期待する頭は、同姓同名の別人なのだと馬鹿なことを考える。一緒に行動したという旅の記憶があるのは私一人なのだから、こんなに怯えなくたって大丈夫なはずなのに。あ、と声を漏らす二人の声に肩が大袈裟なくらい震えた。
「承太郎さん、この人が…なまえさん?」
「顔色悪ィぜ、大丈夫か?」
「なまえ」
呼ばれた名前に弾かれたように顔を上げた。男の子から男性になった承太郎くんに声をかける間もなく、その分厚い胸板に押し付けられて、仗助くんと億泰くんの驚いたような、どこか興奮したような声が聞こえた。震えそうになる体は痛みを感じるほどに抱き締められて、余計に恐怖が増してくる。大丈夫、上手くスタンド能力は発動している。怖いことなど何も無い。
体を離した時には二人の姿は無くて、その場には私と承太郎くんだけになっていた。見たこともないような穏やかな笑みに、喉がキュッと締まった気がする。
「つかまえた、ってヤツだぜ」
「えっと、その、久し振り、だね?」
「ああ、久し振りだな。家に入れてくれないか?話がしたい」
「あ、うん。どうぞ…」
正直嫌だと言いたかったけれど、昔からの親しい友人を無碍にできるほど私の神経は図太いものではなかった。というよりも驚くほど自然に手を繋がれていて逃げ出すことも出来ない。
「驚いたぜ。帰ったらなまえは家を出たなんて聞いたからよ」
「うん…。その、一人立ちって意味でね?別に家族が嫌になったとか、そんなんじゃなくて」
「その割には、家族もなまえの居場所を知らなかったらしいじゃあねぇか?」
「あ、えっと、その」
「なぁ、なまえ」
立ち止まった承太郎くんに手を引かれて、私は何故か怖くて仕方なくて、振り返ることも出来ずに体は勝手に震える。分かっているはずだろうに承太郎くんは構わず、昔よりも大人びて低くなった声で、もう一度私の名前を呼んだ。いつもいつもその声や大きな手のひらで助けられていたというのに、逃げ出したくてたまらない。
「まさか、逃げたいなんて考えてるんじゃあねぇよな?」
咄嗟にスタンド能力を発動するために振り返った。私のスタンドは相手の目を見て名前を呼ばないと使用できない。また何処か知らない場所へ逃げればいい、そんな安直な考えを打ち消すように、気付けば口は空いていたその大きな手で抑えられていて、承太郎くんの精悍な顔立ちがよく見える位置にまで近付いていた。少しばかり距離があったはずなのに、どうやって音も立てず気付かれずに近付けたのか。まるで私だけ時間が止まっていたかのようなそんな感覚。
「“また”俺から逃げるのか?」
目は見開き体が強ばったのが分かる。そんな筈はない。記憶操作は上手くできているのだ、覚えているはずがない。覚えているというよりは、無い記憶のはずなんだ。私が「旅に同行していない」と捏造した。なら何故承太郎くんは「また」なんて言ったのか。ぐるぐると考える頭の中で一つの仮定が導かれる。もし、もしも、もしもの話だけれど。能力に有効期限なんてものがあったとしたら。
帽子の下から覗いた綺麗な色をした瞳はゆうるりと細められ、久しぶりに、私によく見せてくれていた笑みを浮かべる。
「今度逃げたらその足、使い物にならなくしてやるからな」
口を覆う手のひらにキスをした承太郎くんは、心底愉しそうに喉の奥で笑った。
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